不意に届いた依頼書
午前九時の来客
ある曇り空の月曜、事務所に届いた一通の封筒。差出人は解散予定の合同会社フォーリーブス。 「登記の相談をしたい」とだけ書かれた手紙に、私は一抹の違和感を覚えていた。サトウさんはいつもどおり塩対応で、「また厄介な奴が来ますね」と呟いた。 数分後、革靴の音とともに中年男性が入ってきた。彼の名は大曽根克彦、元代表社員。手にしていたのは一冊の分厚い議事録だった。
謎めいた「解散」の相談
「合同会社を解散したいんです。ただ、ちょっと複雑でして」 大曽根は深いため息をついた。彼が差し出した議事録には、社員全員の同意が記されていたが、何かが変だった。 社員数三名、うち一人は出資額が異常に多い。それ以上に気になったのは、「総会は書面決議とする」と記されているのに、別紙で録音議事録が添えられていた点だ。
沈黙の社員総会議事録
議事録に潜む矛盾
議事録を読むと、議長の大曽根が「異議なし」と述べ、他の二人の社員も口頭で賛成していた。しかし、その録音データの声が、どうにも不自然だった。 サトウさんがぽつりと言う。「……これ、機械音声じゃないですか?」 私は耳を疑ったが、たしかに、声に“抑揚”がなさすぎた。 合同会社にありがちな“口約束”と“形式重視”が、逆に仇となっているようだった。
過去の登記簿が語るもの
私は過去の変更登記を洗い出した。すると、3年前に一度、代表社員が交代していることに気づいた。 しかも、その交代登記は“決議日”と“登記日”が矛盾しており、郵送日と合っていない。これは……意図的な偽装か? 「サザエさんで言えば、波平のハンコを勝手に使ったカツオだな」私は口にしてから、サトウさんの無言の視線に黙った。
消えた社員と幽霊出資者
役員欄に記された名
三人のうち、一人はすでに死亡していた。死亡届も、除籍もされていないが、住民票がすでに存在しない。 さらに一人は、調べたところ実在しない人物だった。存在するのは出資額を記載した契約書と、旧住所のメモだけ。 つまり、実質的に大曽根の単独会社だったのだ。書類上は完璧な合意に見えても、現実には存在しない“合意”だった。
電子証明の落とし穴
サトウさんが冷静に指摘する。「これ、電子署名じゃなくて、PDFに貼っただけの画像ですね」 最近増えてきた“電子署名風”詐欺に近い形。誰が見ても騙されそうな体裁だけに、厄介だった。 「やれやれ、、、またこういう面倒なのが回ってくるのか」と私が呟くと、サトウさんは「今さらじゃないですか」と返してきた。
サトウさんの冷静な分析
メールのヘッダーを追って
大曽根が言う“社員からの賛同メール”のヘッダー情報をサトウさんが解析した。送信元IPは全て同一。 しかも、それは彼の会社のWiFiと一致した。つまり、三通のメールは一台のパソコンから送られたものだった。 「私、ルパン三世じゃないけど、手口が雑だと興ざめなんですよね」とサトウさんが毒を吐く。
小さな合意書の伏線
一枚だけ、奇妙な合意書があった。会社設立当初のもので、社員の一人が「持分譲渡後は即時退社する」と署名していた。 この書面が決定的だった。すでに退社しているはずの人物の名を使って議決権を装っていたことが、これで証明された。 私は重い腰を上げて、大曽根に静かに告げた。「これは解散登記じゃなくて、虚偽登記未遂です」
再現された解散協議の夜
録音データの存在
録音データには明らかな“編集点”があった。音量、音質、間。どれもが一様でなく、編集の素人でも不審に思うほどだった。 私は編集された断片を並べ替え、疑似的な“リアル会話”を再構成してみせた。 その結果、大曽根はついに観念し、「どうせ誰も気づかないと思ったんです……」と白状した。
やれやれ、、、やっぱりこうなるか
結局、彼は“税金逃れのための解散”を画策していた。会社名義の資産を処分し、残余財産を独占する算段だった。 サトウさんは一言、「カッコ悪い悪事ほどバレやすいんですよ」と言った。私はうなずきながら、「やれやれ、、、やっぱりこうなるか」と呟いた。 外は、夕立。雨の音が、事務所の窓を優しく叩いていた。
意外な犯人とその動機
なぜ合同会社だったのか
株式会社ではなく合同会社を選んだ理由。それは“社員総会が不要”で、柔軟に経営できるという利点ゆえだった。 だがその柔軟性が、今回のような“曖昧な悪事”に悪用されたのだ。 大曽根は「簡単な仕組みが裏目に出た」と自嘲気味に言った。
そしてなぜ解散したのか
彼の会社は、すでに取引先を失い、資金繰りも限界だった。残ったのは、形だけの“財産”と“見せかけの社員”だった。 唯一の出口として選んだのが、偽装解散。だが、司法書士という“現実主義者”にとって、虚構の書類は通用しなかった。 私たちは正しい手続と、誠実な書類が持つ力を信じているのだから。
登記簿最後の一行
司法書士の仕事とは何か
「面倒くさいですけど、結局やるしかないんですよね」私が言うと、サトウさんが「ですよね」と、珍しく同意した。 不正は防げたが、書類は山積み。事務所に戻ってからの処理が私を待っている。 それでも、これで誰かが騙されずに済んだのなら、悪くない仕事だった。
忘れられない「最後の押印」
大曽根が最後に署名した“顛末書”に、私は確認印を押した。静かな空気の中、その赤い印だけが妙に鮮明に見えた。 「この印一つで、また誰かの嘘が止まるならいいんだけどな」と独り言をつぶやいた。 シンドウ司法書士事務所、本日も閉店間際。私はコーヒーの残りを飲み干し、椅子にもたれた。