ふと気づいた「書類ばかりの人生」
朝から晩まで、机に向かって黙々と書類と向き合う生活。ある日、ふと時計を見て「今日、誰かと話したっけ?」と自問した。電話で短く依頼内容を聞いたきり、あとはずっと紙とPCの画面の往復。そんな日々が、もう何年も続いている。司法書士になってからの時間を振り返ると、クライアントと話すより、書類とにらめっこしている時間の方が圧倒的に長い。気づけば人生の大半が“書類との会話”になっていた。笑うに笑えない話だが、これが現実だ。
机の上に積み上がる紙の山
事務所の机の上には常に何かが山積みになっている。登記関係の書類、依頼者から預かった証明書類、届いたFAX、そして未処理の郵便物。片付けても片付けても、次の日にはまた積まれている。“これは昨日処理したはず”と思っても、似たような別の案件が舞い込んでくる。片づけるたびに「終わった」と思いたいけど、むしろ永遠の始まりのような気がする。
登記申請書から契約書まで終わりなき作業
登記申請書は一つとして同じものがない。土地の地番が違えば書き方も違うし、関係者が増えれば確認作業も倍増する。契約書も同じで、条文の一字一句に責任が伴う。テンプレートを使っているとはいえ、それぞれの案件に合わせて微調整が必要だ。誤字脱字一つでトラブルの元になるから、緊張感が常にまとわりついている。気を抜けば“人生終了”なんて冗談にもならない。
気がつけば午前も午後も書類とにらめっこ
朝9時に始めて気づけば14時。昼飯を抜いていたことすら忘れて、書類に赤ペンでチェックを入れていた自分にハッとする。午後も気合いで処理を進めるが、夕方には集中力が途切れてくる。間違いがないか不安になって、何度も見直してしまう。結局、終わらずに持ち帰り……。まるで“書類と恋愛してる”くらいの付き合い方をしている自分が少し哀れに思えてくる。
相談は一瞬、書類作成は永遠
電話や対面の相談は、思ったよりも短い。10分もあれば用件は済む。でも、その後に待っているのが地獄の事務作業。依頼内容を正確に理解し、必要書類を揃え、期限を確認し、慎重に書類を作成する。人と話す時間より、その後の“事務処理”が10倍以上長い。世間の人は「士業は話してアドバイスする仕事」と思ってるかもしれないが、実際はほぼ裏方作業だ。
依頼人との会話は短くても
「先生、お願いね」と軽く頼まれたその言葉の裏に、何十枚という書類が存在している。その準備にどれだけの時間がかかるか、相手は知らないし、知らなくてもいい。でも、その“知られない苦労”が、積もり積もってストレスになる。ありがとうの一言がある日はまだ救われるが、当たり前のように処理されていく日常には、報われない気持ちが残る。
その後に続く“事務地獄”の現実
相談が終わってからが本番。役所への問い合わせ、書類の記入、押印の依頼、そして郵送準備。やることは多岐にわたるのに、全部ひとりでやっている感覚になる。事務員はいるが、最終チェックや判断は自分の責任。寝る前に「あれで間違ってなかったかな……」と不安になることもしばしばだ。仕事に追われ、人生に余白がなくなっていく。
書類に人生を支配された司法書士の日常
カレンダーを見れば、予定はすべて「〇〇登記」や「〇〇面談」など業務のメモばかり。プライベートの予定はいつから書かなくなったのか、自分でも思い出せない。書類に支配されているとしか言いようがない毎日。それが司法書士の現実であり、自分の人生でもある。
1日があっという間に終わる理由
朝から書類、昼も書類、夜になっても書類。気づけば「もうこんな時間?」と時計を見る。何かをやり切った達成感より、「まだ終わってない」が常に心に残る。たまに空を見上げると、季節が変わっているのに気づいて驚く。自分の時間は止まっているようにすら感じる。
自分のペースでは進まない現実
依頼は突然入ってくる。急ぎでお願いしますと言われれば、今やっていることを中断せざるを得ない。結局、優先順位がどんどん崩れていき、自分のペースでは進められない。「急ぎじゃない」なんて言葉は信じられない。どんな仕事も、誰かの“今すぐ”がぶつかってくる。
集中しても終わらない“無限書類ループ”
今日はここまで終わらせるぞ、と意気込んでも、次々と新しい案件が来る。終わった瞬間に新しいスタートが待っている。終わらせた達成感が続く間もなく、気持ちは次へ切り替えなければならない。“終わらない”という感覚が、心をすり減らしていく。
誰にも頼れない現場の孤独
事務員はいるけれど、最終的には自分がやるしかない。仕事を振れば、申し訳ないという気持ちが先に出る。頼るより、自分で抱えた方が早いという思考が染みついている。気づけば、どんどん自分を追い込んでいる。
事務員一人では回らない現実
ありがたい存在ではあるが、すべてを任せられるわけではない。法的な判断や細かい修正は、自分で見ないと不安になる。事務員が手いっぱいなときは、こちらも気を遣ってしまい、余計に一人でやってしまう。悪循環だ。
優しさが災いして全部自分でやってしまう
断れない性格なのか、気づけば自分で全部抱えている。お願いすればやってくれるのは分かっていても、相手の負担を考えてしまう。その結果、誰にも頼れず、ひとりで夜遅くまで残業している。自業自得かもしれないが、そう簡単に性格は変えられない。
「これお願い」すら言い出せない性格
「ちょっとこれお願いできますか?」の一言が言えない。相手の顔色を見てしまうし、自分でやった方が早いという気持ちが勝ってしまう。元野球部で根性だけはあるつもりだが、チームプレーができないキャプテンは、チームを潰すだけだと、どこかで気づいている。
書類と過ごす静かな夜
夜の事務所は静かだ。電話も鳴らないし、訪問もない。ようやく集中できる環境になるが、それは同時に孤独でもある。書類の音だけが響く部屋で、自分だけが働いているという現実が、じわじわと心を蝕んでくる。
事務所にひとり残って思うこと
コンビニのおにぎりを片手に、ひとりパソコンに向かっていると「なんで俺はこんな生活をしてるんだろう」と思う瞬間がある。家に帰っても誰も待っていない。だからこそ、仕事に没頭できるという強がりも、時には空しく響く。
もう誰も電話してこない時間帯の安心感
20時を過ぎると、ようやく電話も落ち着く。その瞬間、少しほっとする。外界と遮断された空間で、一人集中できる時間がようやくやってきた気がする。だけど、それは裏返せば、誰にも求められていない時間ということでもある。
だけど終わらないタスクが背中にのしかかる
静けさの中でも、タスクは減らない。書類の束が、今日中に終わるはずだったものたち。手が止まりそうになるのを何とか鼓舞して、机に向かい続ける。誰にも見られず、誰にも褒められない。でもやるしかない。それがこの仕事の宿命だ。
それでも辞められないこの仕事
やめたいと思う瞬間はある。でも、ふとした時に「先生ありがとう」と言われたとき、その一言がすべてを救ってくれる気がする。書類の山に埋もれた人生でも、その中に誰かの役に立てた証があるなら、少しは意味があったのかもしれない。
頼られることがうれしい瞬間
「先生しか頼れない」と言われることがある。しんどいけど、悪い気はしない。誰かの困りごとを、自分の知識で解決できる。面倒な仕事だけど、必要とされているという実感が、この仕事の唯一のやりがいだ。
「助かったよ」の一言が救い
書類を渡したとき、「助かりました」と笑顔で言われる。わずか数秒のやりとりが、何時間もの疲れをふっと軽くしてくれる。だからやめられない。そんな些細な報酬を胸に、また明日も机に向かう準備をする。
でもその裏で積み上がる書類たち
感謝の言葉をもらっても、次の案件は待ってくれない。「ありがとう」の余韻に浸る間もなく、また新しい書類の山が姿を現す。その繰り返しが、きっとこれからも続いていくのだろう。でもまあ、それが司法書士ってもんだ。