被後見人の死と謎の通報
朝9時過ぎ、一本の電話が施設に入った。高齢者施設「陽だまりの家」で暮らす一人の男性が、昨夜から起きてこないというのだ。職員が訪ねると、布団の中で既に冷たくなっていた。
亡くなったのは八十六歳の男性で、十年前に軽度の認知症と診断され、三年前から成年後見人がついていたという。遺族はおらず、生活は後見人の管理のもとで成り立っていた。
だが、不可解だったのは、施設よりも早く、警察に通報してきた“匿名の人物”の存在だった。「あの人、殺されるかもしれない」と、女性の声でささやかれたという。
無言の遺体と空っぽの通帳
司法解剖の結果、死因は心不全だった。だが、所持していたはずの通帳はどこにもなかった。代わりに残されていたのは、空の封筒と、机の上に置かれた一枚の手紙。
「すみません、もう疲れました」と、震えるような字で書かれた遺書のようなもの。筆跡は本人のものと一致したが、その内容は曖昧で、死を望んでいたとは読み取れなかった。
司法書士の私のもとへ、施設長から「遺言の有無を確認してほしい」と連絡が入ったのは、ちょうどその日の午後だった。
最後の面会者は誰か
施設に出入りした人物は、全て受付で記録されることになっている。だが、死亡の三日前、記録の中に「空白」があった。つまり、その日は誰も面会に来ていない、という記録だった。
私はふと、ある探偵漫画のことを思い出した。犯人が防犯カメラを避けて、裏口から入っていた回。その中でも「記録にない来訪者」が重要なカギを握っていた。
「サトウさん、この施設、裏口ってあります?」
面会記録の抜け落ちた一日
「あります。職員用の搬入口。鍵はありますが、今は壊れてて施錠してないそうです」
しれっと答えるサトウさん。彼女は眉一つ動かさず、資料の束を整理していた。なるほど、出入り自由ということか。私は面会簿と裏口の位置を確認し、ふと気づいた。
その「空白」の日、施設の清掃業者が入っていた記録がある。清掃員の身元確認は甘く、派遣の名前も曖昧だった。
成年後見制度の落とし穴
亡くなった男性には、三年前から専門職後見人が選任されていた。だが、資産がほとんどなかったため、司法書士ではなくNPO法人の事務職員が担当していた。
ところが、最近になって市街地の土地が古い名義のまま残っていることが発覚し、成年後見制度を利用して処分が進められていたという。
私は、その処分の資料を法務局で確認することにした。登記の中に何かおかしな点がある気がしてならなかった。
過去の申立書に記された嘘
家庭裁判所に提出された申立書には、「本人に親族はいない」と明記されていた。だが実際には、遠縁の甥が一人存在していた。なぜ彼の存在が黙殺されたのか。
もっともらしい理由は添えられていた。「連絡が取れないため」。だが、この甥が数ヶ月前に役所に転入届を出していたことが判明し、それが嘘だったことが露呈した。
つまり、誰かが意図的に「親族がいない」ことにしたかったのだ。後見人が選ばれやすくなるからだ。
財産目録の不自然な変化
亡くなる直前に提出された財産目録には、資産合計がたったの三万円とされていた。だが、登記上は二千万円相当の不動産が処分された直後だった。
売却代金はどこへ行ったのか。そのお金を誰が受け取ったのか。私は司法書士としての職責を感じながら、関連書類の開示を求めた。
登記簿には、所有者の名義が変更された日と、死去の日がほぼ一致していた。
登記簿と不動産売却のタイムラグ
「これ、買主の名義が変わったのが一週間前です。でも代金の振込記録がないんですよ」
サトウさんが指摘したその一点が、すべての糸口となった。確かに、通常であれば売買契約→振込→登記移転の順になる。しかしこれは、順序が逆だった。
つまり、名義だけが先に動いていた。おそらく「売却したこと」にして、口座には一銭も入っていなかった。
シンドウの違和感
何かがおかしい。頭の中で赤信号がチカチカと点滅していた。まるでサザエさんの中で波平がメガネを探してたら、実はかけてた、みたいな。そんなうっかりの匂いじゃない。
これは「誰かがうっかりを演じている」ような、演技のある事件だった。やれやれ、、、本当に面倒な仕事を引き受けちまったな。
私は心の中で愚痴をこぼしながらも、被後見人の名前で開設されたままの別口座の存在に気づいた。そこには、手数料の引き落としだけが残っていた。
やれやれ、、、と呟いた先にあった帳簿の矛盾
通帳には不自然な連番の振込が続いていた。小口で毎月八万円、四ヶ月にわたって引き出されていた。合計三十二万円。
これは生活費としては少なすぎるし、使い道もない。そして、その引き出しに使われたカードの防犯カメラ映像が、銀行に残っていた。
写っていたのは、清掃員の制服を着た女性。だが、その顔は被後見人の介護記録に現れることのなかった“誰か”だった。
サトウさんの冷静な指摘
「この人、後見人の元事務員じゃないですか?」
調査の末に行き着いたのは、後見業務を法人として請け負っていた団体の一職員。退職後、勝手に管理口座を操作していたのだ。
その口座は正式な後見口ではなく、家族名義で一時的に預かっていたという説明だった。だが、それが通用するのは昔の話だ。
通帳に残されたわずかな手数料とキャッシュカードの謎
キャッシュカードは施設内で見つかった引き出しの奥に隠されていた。被後見人は認知症が進んでおり、暗証番号を知るはずがなかった。
つまり、その職員は辞めた後も、被後見人の口座を「私的に」扱っていた。そして、施設職員を装って再び近づいた。
後見制度は「本人のため」の制度であるはずが、制度の穴を突いた者にとっては、格好の標的になることがある。
偽装と告発
警察が動き出したのは、我々がすべての資料を揃えた翌日だった。元事務員は横領と詐欺の疑いで逮捕され、NPO法人には業務改善命令が出た。
「シンドウさん、たまにはちゃんと活躍しましたね」
「うるさいな、こっちは胃が痛いんだよ、、、やれやれ、、、」
最後に笑ったのは誰か
被後見人の甥が現れ、残された遺産を引き継いだ。だが、本人の意思が不明なままの財産分配に、私はなんとも言えない気持ちを抱いた。
それでも、「守るべきものを守る」ために働く司法書士として、今日もまたどこかの制度の穴を塞ぐしかない。
コーヒーを一口すすり、私は書類の山に再び向き直った。