声のない日々がしんどいと思った朝
一言も喋らずに終わる日が増えた
司法書士という職業柄、黙々と作業に打ち込む時間が長い。特に地方の小さな事務所となると、電話の本数も来客数も限られる。気づけば今日も「おはよう」と「お疲れさま」以外の言葉を口にしていない。そんな日が週に何度も続くようになると、身体は元気でも、心のどこかがじわじわと冷えていく感覚がある。
事務所にいるのに会話がない
事務員さんがひとりいるとはいえ、仕事のやり取り以外で話すことは少ない。雑談を始めるきっかけも見つからず、結局お互いに黙々と業務に集中するだけ。集中していることはありがたいのだが、ふとした瞬間に「あれ?今日、俺しゃべったっけ?」と我に返る。
事務員さんがいても雑談が生まれない理由
彼女はとても真面目で、余計なことを話すタイプではない。僕もどちらかというと仕事中は話しかけづらい雰囲気を出してしまっているのかもしれない。以前、軽い世間話をしたときに少し気まずい空気になったことがあり、それ以来なんとなく距離を取ってしまった。たったそれだけのことで、事務所の空気が変わるものなのだ。
忙しさの中で、心の余裕が削られていく
結局、話す気力すら削がれていくのは、忙しさに追われているからかもしれない。朝から晩まで登記の確認、書類のチェック、電話応対、法務局とのやり取り…と、頭をフル回転させていると、ふと立ち止まる時間も取れない。心に余裕があれば、「今日、話してないな」なんてことにもっと早く気づけるのかもしれない。
電話が鳴らない日は不安になる
静かな一日は楽なようでいて、実は精神的にはとても重たい。電話が一本も鳴らない日には、「今日は何か忘れてないか?」「もしかして誰にも必要とされていないんじゃないか?」と、妙な焦りや不安に襲われる。そんな日は、時間が止まったような感覚にすらなる。
静かすぎる一日に感じる焦燥感
普段は「忙しいな、もう少し静かになってくれ」と思うくせに、実際に静かになるとそれはそれで落ち着かない。何かが欠けているような、見えないプレッシャーがずっと肩に乗っている。静かすぎるというのは、安心感よりも不安感の方が勝つ。
相談がない=価値がないように錯覚してしまう
司法書士の仕事は相談がなければ始まらない。依頼がない日は、自分の存在意義すら疑いたくなる。「今日は誰も必要としていないのかな」「何か悪い口コミでも出たのか」など、どんどんネガティブな妄想が膨らんでしまう。実際はたまたま件数が少ないだけなのに、それを受け入れられない自分がいる。
誰かに必要とされていないと感じてしまうとき
元野球部の頃は、常に仲間と声を掛け合いながら動いていた。「ナイスバッティング!」「次いけるぞ!」と声が飛び交っていたあの頃。ああいう言葉のキャッチボールがあるだけで、人は自分の居場所を確認できるのだろう。今の僕には、その確認手段がない。
話すことがないと、自分が消えていく気がする
誰とも話さず、静かに淡々と一日を終える。その繰り返しは、知らぬ間に自分という存在が希薄になっていく感覚につながる。口に出して自分の考えを言わないと、自分の内面が固まっていく。まるで空気のように、誰にも気づかれず、ただ存在しているだけのように。
「今日誰とも話していない」に気づいた瞬間
ある日、帰宅してふと「今日一言も声を出していない」と気づいた。その瞬間、ゾッとした。人は話さないと、思考も感情も鈍ってくる。テレビに話しかける自分がいて、「やばいな」と思ったが、それでも話したいのだ。話す相手がいないという現実が、想像以上に重くのしかかっていた。
元野球部だった頃の、あの賑やかさが懐かしい
野球部では、毎日声を張り上げていた。練習中は帰り道でも、合宿でも、くだらない話を延々としていた。笑って、怒って、泣いて、すべてに声があった。今、それが恋しい。静かさが嫌なのではない。あの声のある風景が、僕にとって居場所だったのだ。
人との距離感に悩む司法書士の孤独
この仕事は、距離感が難しい。深入りするとトラブルになる、かといって距離を取りすぎると孤独になる。絶妙なバランスの中で、誰とも親密になれず、ただ事務的な関係だけが残る。これが「仕事だから」と割り切れるほど、僕は器用ではないらしい。
会話のない職場に、どう向き合えばいいのか
会話が少ないこと自体は、必ずしも悪ではない。ただ、それが続くと心が擦り減るのも事実。自分なりの折り合いを見つけて、静けさの中でも自分を保つ方法を考えなければ、いつか本当に心が折れてしまうかもしれない。
仕事は好き、でも無音はつらい
司法書士の仕事自体には誇りを持っている。向いていると思うし、やりがいもある。でも、「声のない日々」が続くと、そのやりがいさえも感じにくくなってくる。静寂に慣れてしまう前に、少しでも音を取り戻したいと願うようになった。
孤独を和らげるための小さな工夫
最近は、朝一番にラジオをつけるようにしている。誰かの声が部屋にあるだけで、不思議と落ち着く。また、週に一度は意識的に外で人と会うようにした。たとえば役所の担当者に少し雑談をする、喫茶店の店員に「寒いですね」と声をかける。小さなことでも、会話が心をあたためてくれる。
一人で抱え込まず、誰かに吐き出してみる
誰かに弱音を吐くことは、決して恥ずかしいことではない。今こうして、この文章を書いていることも、自分への問いかけであり、少しの救いになっている気がする。もし同じような思いをしている人がいたら、こう言いたい。「声を出していい。ひとりじゃない」と。