最近どう?って聞かないで
何も起きてないようで、いろいろある
「最近どう?」と聞かれると、ふと身構えてしまう。正直、何と答えていいのか分からない。特別な出来事があったわけでもなく、誰かと新しい出会いがあったわけでもない。ただ毎日、机に向かって登記書類とにらめっこして、事務員と二言三言交わして、夕方にはコンビニ弁当と缶チューハイ。それがずっと続いている。これが「最近」だとしたら、わざわざ話すほどのことじゃない。でも、聞かれれば「元気ですよ」と返してしまう。その言葉が空々しく響くのを、自分でもわかっている。
朝起きて机に向かうだけでも精一杯な日
たまに、どうしても起き上がれない朝がある。眠れなかったわけでもない。体が重いとか、熱があるわけでもない。ただ、「今日もまた始まるのか」と思った瞬間、布団が鉛のようにのしかかる。そんな日は、ようやく起き上がっても、顔を洗うのに時間がかかるし、出勤しても頭が働かない。けれども登記の締切は待ってくれないし、お客さんの都合もお構いなしに押し寄せる。「プロならちゃんとやって当然」と言われれば、それまでだ。でも、プロだって人間だ。
「変わりない」が本当は一番しんどい
「まあ、変わりないですよ」。この言葉をどれだけ口にしてきただろう。誰にも迷惑をかけない、無難な返し。けれどもその実態は、何も変わらないことへの焦りや、時間だけが過ぎていく不安だったりする。変化がないというのは、ある意味で「停滞」を意味する。恋人ができたわけでもないし、事務所が拡大したわけでもない。むしろ依頼の波は不安定で、景気の良さも感じられない。でもそれを全部話すのも面倒くさくて、また「変わりないです」と笑うのだ。
司法書士という肩書に隠された孤独
司法書士という職業は、外から見ると安定していて、ちゃんとしていて、社会的な信用もあるように見える。でも中身はどうだろう。事務所にひとりで座って、書類を整えて、誰とも会話しない日もある。昔は法務局や銀行の窓口でちょっとした雑談もあった。でも今は、オンラインや郵送手続きが増えて、人と顔を合わせる機会すら減った。誰かとつながっている感覚が薄れていくのは、地味にきつい。
同業者に会うこともなく
同じ司法書士と顔を合わせる機会は、年に数回あるかないかの研修会ぐらいだ。けれども、そこでも気軽に話せる空気ではない。名刺交換して「最近どうですか?」と聞かれれば、また例の答えを繰り返す。「忙しくて…」「おかげさまで…」。言葉のやりとりはあっても、本音のやりとりはない。だから孤独は埋まらない。むしろ、よその事務所がうまくいっている話を聞くたびに、自分の居場所の小ささに打ちのめされる。
話し相手が事務員ひとり
うちには事務員がひとり。真面目でよく働いてくれる人だ。だけど、こちらが話しすぎれば気を使わせてしまうし、冗談がすべっても空気が重くなる。だから結局、あいさつと業務連絡程度で終わってしまう。昼休みに何を食べたか話すくらいの日もあるけれど、それが救いに感じる日もある。とはいえ、そんな会話でこの胸のうっぷんが晴れるわけでもない。ただ、誰かと話したという事実だけが、かろうじて心を保ってくれる。
「お忙しいですか?」が地雷に変わる日
「最近、お忙しいですか?」。これもまた、困る質問だ。忙しいと言えば余裕があるように思われるけど、現実は違う。忙しくても、儲かっているとは限らない。むしろ手数料の安い登記が連続して、ただただ消耗しているだけの日もある。なのに「お忙しそうでいいですね」と言われると、何とも言えない気分になる。こんな日々が「いい」わけがない。
忙しいけど儲かってないんだってば
先月は登記が重なって、土日もずっと事務所にいた。提出期限に追われ、ミスが許されない緊張感のなかで書類と格闘する。そんな生活が続けば、体も心も疲弊する。なのに、請求書を出しても「高い」と言われることもある。こっちは命削ってやってるんだよ、と思っても、それを口に出せば終わり。結局、「大変でしたけど、なんとかなりました」と笑って済ませてしまう自分がいる。
手続きは終わらない、感謝もされない
登記が終わっても、「ありがとうございました」と言われることは少ない。むしろ、「もっと早くできなかったのか」「司法書士って何をしてるんですか?」なんて聞かれることもある。説明しても理解されず、書類が揃っていないのにこちらのせいにされることもある。そんなとき、もう誰にも「最近どう?」なんて聞かれたくないと思ってしまう。
それでも、やっぱり誰かの役に立っていたい
ここまで読んで、「じゃあなんで続けてるの?」と思う人もいるかもしれない。自分でもよく分からないときがある。でも、ごくまれに「あなたにお願いしてよかった」と言ってもらえる瞬間がある。その一言が、何日も、何週間も心の支えになる。たとえ誰にも「最近どう?」と聞かれなくても、自分なりにこの街のどこかで、誰かの助けになっていると信じていたい。
小さな感謝に心が救われる
先日、相続登記を終えた高齢の女性が、わざわざ手作りの漬物を持ってきてくれた。「本当に助かりました」と言ってくれた笑顔に、涙が出そうになった。派手な報酬があったわけではない。でも、この仕事にはこういう瞬間がある。それがあるから、また明日もなんとかやっていける気がする。何もないようで、ちゃんと意味のある「最近」だと思える日も、たまにはあるのだ。