朝からすでに帰りたいと思った
あの朝は、目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまった。嫌な予感というやつだ。雨が降っていて、気温も低くて、布団から出るのに5分以上かかった。着替えている最中も、「今日はきっと長い」と思わずにはいられなかった。こういう朝は決まってロクなことが起きない。出勤するだけで体力を削られる気がした。年を重ねるごとに、直感だけは冴えてくるのが困ったところだ。
出勤前から予感していた地味な疲労
寝たはずなのに、身体の重さがまったく抜けない。なんというか、精神的な疲労が物理的にのしかかってきているような感じ。昨日は夕方に不動産会社からの電話が立て続けに入り、登記の内容確認でバタバタだった。その疲れを引きずったまま、今日もまた「司法書士」という看板を背負って、事務所へと向かう。やりがいとか使命感とか、そんなのはこの重さには勝てない。
昨日の残業が頭にこびりついて離れない
昨日の夜、最後に処理した相続登記の件が、なぜか頭から離れない。間違いはなかったか、補正は必要ないかと何度も反芻してしまう。寝る直前まで確認作業をしていたせいか、夢の中でも書類をめくっていた気がする。まるで呪いのようだ。司法書士の仕事は「確認して終わり」ではなく、「確認しても気になる」が標準装備である。精神衛生上よくないが、それが現実だ。
駅の階段ですでに「今日は長い」と悟る
事務所に向かう駅の階段を上りながら、すでに息が切れていた。これが運動不足のせいなのか、気持ちの重さのせいなのか、正直わからない。でも「今日は帰りたい」という気持ちだけははっきりしていた。駅のホームで学生たちが元気に話しているのを横目で見ながら、「若さってすごいな」と、完全におじさんモード。朝からそんな思考に至ってしまう時点で、今日は負けている。
たった一通の提出書類が重すぎる
その日のメイン業務は、法務局への一件の登記申請書提出だけ。たったそれだけのはずなのに、どういうわけかその一通がやけに重い。書類自体は完璧に仕上がっているし、不備もない。けれど、その一歩が妙に億劫でならなかった。身体よりも心が「提出したら帰っていいんじゃない?」とささやいてくる。誰に許可をもらうわけでもないのに、そんな甘えが浮かんでしまう。
役所の窓口で魂が抜ける瞬間
法務局の窓口で順番を待つ間、何もしていないのにやたらと疲れる。受付の職員さんと簡単なやり取りをして、提出完了。それだけの行為なのに、帰りのエレベーターではもう放心状態。「やりきった感」はゼロ。むしろ「今日、もう何もしたくない」が本音だった。提出するという行為に、こんなにも感情を持っていかれる日があるとは。司法書士って、意外とメンタル仕事だ。
提出しただけなのに燃え尽きた
提出を終えたあと、カフェでひと息…という余裕もなかった。ただただ真っ直ぐ事務所に戻ろうとする自分を、「なんか頑張ってるな」と他人事のように感じていた。書類を出した、それだけで一日を終えたい。そんな気持ちになる日は、誰にでもあるんじゃないだろうか。むしろ、司法書士という職業を選んだ時点で、そういう日は覚悟すべきだったのかもしれない。
達成感ゼロでも達成したことにするしかない
他人から見れば、たった一通の提出。でも、自分の中では大きな仕事を終えたつもりでいる。達成感はない。むしろ空虚感すらある。けれど、それでも「今日一件終えた」と自分に言い聞かせるしかない。そうでもしないと、この先の業務に向かう気力が湧かない。小さな達成に意味を見いだすことで、なんとか持ちこたえている。そういう日が続いている。
「これだけ済ませたら帰ろうかな」の誘惑
書類を提出して事務所に戻ると、次に手をつけるべき案件が山積みだ。けれど、心のどこかで「もう今日はこれでいいんじゃないか」という気持ちが湧いてくる。「これだけやったんだから、少しは休んでもいいよな?」と。その声は日を追うごとに大きくなっていく。サボりたいというより、ただ少し休みたいのだ。
デスクに戻ったら地獄が待っている
事務所のドアを開けた瞬間、現実に引き戻される。机の上には未処理の書類、要返信のメール、そして留守電に残された3件のメッセージ。「帰りたい」の願いは一瞬で打ち砕かれる。「ああ、そうだった」と、ため息をつきながら椅子に腰を下ろす。この瞬間が一番キツい。戻る場所が「休息の場」ではなく「戦場」になっているのだから。
未処理の書類と睨み合う午後
昼を過ぎても、手が進まない。事務員さんが気を遣って淹れてくれたコーヒーも、味がしない。視界の端に映るファイルの束が、じっとこちらを見ているような気さえしてくる。どうして自分ばかり、こんなに仕事が残っているのか。効率が悪いのか、それとも仕事を抱えすぎているのか。答えはわかっているが、向き合いたくない。今日はもう帰っていいですか、心の中でそう呟く。