「聞くこと」が仕事?司法書士の相談業務のリアル
司法書士というと、登記や相続、法律書類の作成など「書類屋さん」と思われがちかもしれません。でも実際には、それだけでは済まないのが現実です。特に相続や家族の揉め事が絡む相談になると、依頼者の悩みや不安を“聞くこと”が仕事の大部分を占めるようになってきます。法律の説明よりも、まず感情の受け止め。そんな場面が日常茶飯事です。
法的知識以上に求められる「共感力」
たとえば、相続登記の相談に来られた高齢女性が「兄とは絶縁状態だった」と涙を流される。そのとき「必要書類はこれです」と淡々と話すことなんてできません。法律上の説明も必要ですが、その前に「よくお話しくださいました」と気持ちに寄り添うことが第一歩になります。そういった“共感力”が、この仕事では思っている以上に求められます。
依頼人の不安はときに底なし沼
問題なのは、依頼人の悩みに“終わり”がないことです。必要な情報は伝え終えても、「でも本当に大丈夫でしょうか?」「何か見落としはありませんか?」と同じような質問が繰り返される。こちらが丁寧に答えても、次の週にはまた同じ不安がぶり返される。まるで底なし沼にハマったかのような感覚で、こちらのメンタルもジワジワ削られていきます。
最初は親切心だった。でもそれが首を締める
自分でも、最初は「この人の力になりたい」という気持ちがありました。でも、気づけば何時間も話を聞き、夜も気が休まらない。ふと「これって親切心じゃなくて、自分の首を締めてるだけじゃないか」と感じることが増えてきました。いい人であろうとするほど、自分が壊れていく。そんな矛盾に気づくのが怖い時期もありました。
「つい聞いてしまう」癖が生む悪循環
「ちょっとだけ聞いてもらっていいですか?」そう言われると、つい席を立てずに話を聞いてしまう。その“ちょっと”が30分になり、1時間になり、気づけば1日が終わる。悪循環だとわかっていても、断ることに罪悪感を抱えてしまう性格にはツラいものがあります。聞けば聞くほど、相手の感情を背負ってしまうのです。
感情移入しすぎて自分が壊れる
「先生が頼りなんです」と言われると、うれしい反面、強いプレッシャーにもなります。特に重たい家庭問題を抱えた相談者の話を聞いた日は、帰ってからも気持ちが晴れません。自分がまるで当事者であるかのように考え込んでしまい、感情のスイッチが切れなくなるのです。
夜眠れない、夢にまで出てくる相談内容
ある日、相談者の話が夢に出てきました。親族間の確執の話が、そのまま自分の親族に置き換わったような夢でした。起きた瞬間、どっと疲れが出て「これはまずい」と思いました。司法書士の仕事は感情労働なんだと、身をもって痛感した瞬間です。
家族にも引きずる重たい空気
家に帰っても、相談内容が頭から離れず、無意識にため息をついたり、家族の会話にも集中できなかったりすることが増えました。妻にも「何かあったの?」と聞かれることが多くなり、「仕事のことだから」とはぐらかすのも限界があります。仕事のストレスが家庭にも影響を及ぼしているのを感じます。
事務員にも相談される。いや、俺が相談したい
うちの事務所は小さな個人事務所。事務員さんは一人きりで、僕の右腕のような存在です。でも、彼女からも「相談者が電話でかなり取り乱してて…」と話を振られたりします。内心「いや、俺が今相談したいんだけど」とツッコミたくなることもあります。
小さな事務所の孤独とプレッシャー
大きな事務所なら、同僚に愚痴をこぼしたり、相談したりできるのかもしれません。でも、うちは僕と事務員だけ。トップの自分が弱音を吐けば、それがそのまま事務所全体の空気になります。気軽に吐き出せる場所がないという孤独感が、プレッシャーをさらに大きくします。
「何でも屋」化する司法書士の日常
登記の相談に来たのに、最終的には家庭内の介護問題や、兄弟の不仲まで話題が広がることも珍しくありません。気づけば、法律の枠を超えて「なんでも相談窓口」状態。それを“断らない自分”が、より一層自分を苦しめている。司法書士というより、半分カウンセラーです。
他人の感情を抱え込むと、自分の感情がわからなくなる
誰かの不安や怒り、悲しみを日々受け止めていると、ふと「自分は今どう感じているんだろう?」という感覚がわからなくなります。嬉しいのか、悲しいのか、疲れているのか。それすらも曖昧になるほど、感情が混線してくるのです。
気づけば、嬉しい・悲しいの境界線が消えていた
相談者が涙を流していても、自分の中に何の感情も湧かないときがありました。驚きも、悲しみも、共感も。そうなると、「自分は冷たい人間なんだろうか」と責めたくなります。でも実際は、感情が“いっぱい”になりすぎて、あふれないように無意識に蓋をしているんだと思います。
慢性的な疲労感の正体は「共感疲労」だった
朝起きても体が重く、週明けがとにかく憂鬱。「年齢のせいか」と思っていたこの疲れ、実は“共感疲労”だったんだと最近知りました。他人の感情を毎日浴び続けて、自分の心がすり減っていたんですね。心が疲れていると、体も重くなるものです。
感情の麻痺は、サインかもしれない
「もう何も感じない」と思ったとき、それは心が壊れかけているサインかもしれません。無理に“良い人”を続けていると、自分を守れなくなってしまいます。感じないのではなく、感じすぎているだけ。だからこそ、心を休ませる時間が必要なんです。
じゃあ、どうやって乗り越えるのか?
誰かの話を聞く仕事だからこそ、自分を守るための工夫が必要だと痛感しています。優しさを保ちつつ、自分を壊さないためのバランス。それを取るには、意識的な「距離感」がカギになります。
「聞かない」ためのスキルを身につける
“聞く”のは簡単。でも“聞きすぎない”のは技術です。たとえば、「それは専門外ですが、こういった相談窓口がありますよ」と、適切に振るスキルを持つことで、自分が抱え込まないようにできます。相手の話を遮らず、でも自分の限界も守る。これは訓練が必要ですが、習得すべきスキルだと感じています。
信頼と距離感のバランスの取り方
「信頼される=何でも聞く」ではありません。むしろ、本当に信頼関係があるなら、必要なことだけに集中できる関係を築くこともできます。私は最近、相談時間の枠を最初に決めたり、必要な資料がそろってから話すようにするなど、線引きを意識しています。
心の中に「境界線」を引くイメージ
物理的にではなく、心の中に“ここまで”という境界線を引く。誰かの感情に共感しても、そこから先は立ち入らない。その線を守ることで、自分の感情も守られるようになってきました。自分を守ることは、結局、相談者のためにもなるのです。
一人で抱え込まない勇気
そして何よりも、一人で抱え込まないこと。同業者とのつながりや、信頼できる相談相手を持つことが、思っている以上に心の支えになります。「弱音を吐いてもいい場所」を、自分のために作る。それが、優しさを持ち続けるための“燃料補給”なのだと、今は思えます。