補助席からの視線

補助席からの視線

補助席からの視線

その日も、事務所には山のような書類と、無言のプレッシャーをまとったサトウさんの背中があった。僕はというと、申請ミスに気づかず書類を一度役所に送り返されたばかりで、気まずい空気を醸していた。

「あー、こんなときに限ってコーヒー切れてるし……」とぼやいたところで、サトウさんがこちらをちらりと見る。その一瞥が妙に刺さるのは、僕の自意識が過剰なのか、それとも。

そのとき、玄関のドアが小さく鳴って、依頼人が現れた。

書類の山と静かな火種

依頼人は若い女性で、左手に婚姻届、右手に分厚いファイルを抱えていた。口調ははきはきしていたが、瞳の奥にどこか迷いのような影を感じる。

「婚姻の関係で登記の変更をお願いしたくて……」と彼女が話し始めた瞬間、僕はペンを取り、サトウさんはすでに補助席から必要書類を抽出していた。

流れるような連携。それでも何かが、引っかかっていた。

依頼人の足音

打ち合わせを終えて、彼女が帰ったあとも、耳には彼女のパンプスの音が残っていた。コンコンと響くその音は、どこか自信に満ちていたようでいて、不安定なリズムだった。

「あの方、何か隠してましたね」サトウさんがぽつりと言った。僕は思わずペンを落とした。

やれやれ、、、直感型の名探偵みたいなことを言う。

婚姻届の不自然な空欄

書類を精査していると、サトウさんが婚姻届を指差した。「ここ、配偶者の続柄欄が空白です。普通は自分で書くのに」

僕は目を凝らす。確かに、その欄だけが不自然に空いていた。なにかの見落とし? あるいは意図的なもの?

「この手の“空白”は、サザエさんでいうと波平さんの“お小遣い帳”みたいなもんですね」僕の軽口に、サトウさんは「は?」と冷たかった。

サトウさんのひと言

「補助者が全て補助だと思ったら大間違いです」とサトウさんは言った。僕は「はい……」と答えるしかない。だって彼女の言う通りだから。

僕が見逃した違和感を、彼女は鋭く見抜く。たったひとつの空欄にすら、意味があると断じる観察眼は、もはや名探偵の域だ。

「彼女、再婚じゃありませんか?」サトウさんのそのひと言が、全ての始まりだった。

「この印鑑証明、本当に必要ですか」

次に提出された書類には、印鑑証明が添付されていたが、それがどうも新しすぎた。発行日が数日前なのだ。結婚予定日よりも後というのは奇妙だ。

「婚姻が成立していない状態で不動産の共有者を変更するというのは、どうもね……」と僕がつぶやくと、サトウさんが呟く。

「この証明書、本当に本人の意思ですかね?」と。僕の背筋がぞっとした。

突然の失踪と一通のメール

数日後、彼女の夫になるはずだった男性が失踪したという連絡が入った。しかも、最後に残されたのは「登記のことは全て彼女に任せた」という簡単なメール。

しかも、それはGmailで届いたらしい。しかも送信IPは事務所近くのフリーWi-Fiスポットから。

「いや、まさか……」と僕は声に出していた。

補助席の机に置かれていた封筒

その朝、事務所の補助席、つまりサトウさんの席に、白い封筒が無造作に置かれていた。中身は、例の失踪男性の戸籍謄本と、委任状。

「どうしてこれが……」サトウさんは無言でそれを受け取ったが、目の奥が鋭く光っていた。推理がもう確信になっていたのだろう。

僕は頭の中で名探偵コナンのBGMを流していた。緊張感が尋常じゃなかった。

うっかりから生まれた真実

僕はファイルの並び順を間違えて、封筒の中身を他の書類と一緒に役所に提出しそうになった。その時、サトウさんが声を上げた。

「それ、まだ提出しちゃダメです」

そこで彼女が見つけたのは、提出予定の書類に含まれていた偽造された印鑑証明のコピーだった。

やれやれ、、、またか

「つまり彼女は、婚姻を偽装し、不動産の持分を変更しようとしていた。失踪男性になりすまして委任状を作ったんです」

「でも、動機は?」と僕が問うと、サトウさんが呟いた。

「本命は不動産。彼女にとって男は、補助者だっただけです」

犯人は誰なのか

結局、警察が動き、依頼人は偽造と詐欺未遂の容疑で逮捕された。失踪した男性は無事だったが、すべてを話したがらなかった。

登記に記された「共有者」の名は、静かに削除された。

補助席からの視線は、真実を見逃さなかった。

補助者が握っていた鍵

事務所の補助者席、そこに座る彼女がいたからこそ、今回の事件は未然に防がれた。僕ひとりだったら、完全にやられていた。

サトウさんは小さくため息をついて、メモ帳を閉じた。「鍵は、見ようとする意志です」

なるほど、僕にはまだまだその鍵は重たい。

「本命」の意味を問う

「ところで、本命ってなんでしょうね」と僕がつぶやいた。サトウさんは少しだけ笑って、「それ、あなたが言うと軽く聞こえます」と返した。

やっぱり、塩対応だ。

だけど、この事務所で“本命”といえるのは、たぶん僕じゃなくて彼女なんだろうなと思った。

司法書士としての結論

偽造、虚偽申請、なりすまし——登記の現場にはいろんな事件がある。けれど、一枚の証明書や一言の違和感が、真実へと導く鍵になる。

司法書士ってのは、時に探偵よりも地味で、けど地味にすごい職業だ。

僕が活躍するには、サトウさんの補助が不可欠。それだけは確かだ。

静かに閉じる事務所のドア

夕方、事務所を出るサトウさんの後ろ姿に小さく手を振る。返事はなかった。塩だ。

でも、また明日もこのドアは開く。補助席からの視線に、僕はいつも助けられてる。

やれやれ、、、今日もなんとか乗り切った。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓