「そこまで聞かないといけない?」と感じる瞬間
司法書士という仕事は、ただ書類を処理するだけの業務ではありません。お客様の背景や状況を把握しなければ正確な手続きができないのは事実です。しかし、時にはその「把握」が人生相談のようになってしまうこともあります。最近では、登記の依頼を受けるはずが、最終的には「うちの息子が引きこもりで…」と話が広がってしまい、こちらとしてもどこまで踏み込んでいいのか悩んでしまいます。必要な情報を引き出すために耳を傾ける姿勢が、いつの間にか「何でも聞いてくれる人」になっているのかもしれません。
相談という名の人生相談に変わる境界線
書類の話をしていたはずなのに、「実は私、昔から家族とうまくいってなくて」と話が逸れていくと、どこで話を戻せばいいのか戸惑います。「司法書士=心の相談相手」という構図が、なぜか自然と出来上がっているような気さえします。相手は「話せてよかった」と笑顔を見せて帰っていきますが、こちらの頭の中は手続きの段取りが崩れ、スケジュールのやりくりでいっぱいです。
登記の話がいつのまにか家族問題にすり替わる
例えば、あるご高齢の方が遺言書作成の相談に来られた時、最初は「この家を長男に」といった話だったのに、気づけば「でもあの子は昔から私に冷たくて」と泣き出してしまいました。私は司法書士であって、カウンセラーではありません。でも、そこで黙っていられない自分がいて、つい「つらかったですね」と言葉を返してしまう。それが相手にとっての癒しになるのはわかるけれど、こちらは一件ごとに心がすり減っていくのを感じます。
親子関係の話をされても返答に困る
親子の確執や相続トラブルを聞かされても、法的な解釈はできても、感情的な解決には手が出せません。「長男に渡すのは悔しいけど、それが筋だから…」なんて、胸の内を吐露されても、私はそれを受け止めるしかない。そしてまた夜、家に帰ってから「今日はあの件、あれでよかったのかな」と自問自答が始まるのです。
「誰に聞けばいいのか分からなくて」の重さ
「どこに相談していいかわからなくて」と言われると、もう断れません。役所では門前払い、弁護士だと敷居が高く、気軽に話せる相手が司法書士だった、ということなのだと思います。そんな役割を果たせるのは誇らしい半面、「なぜ自分ばかりがこんなにも背負っているのか」と、時に胃がギリギリと痛むのです。
地域の相談窓口のような存在になっていく違和感
ある意味、田舎の司法書士は“相談窓口”です。特にうちのような小さな町では、「とりあえず先生に聞いてみよう」が常套句。でもそれって、本当に司法書士の仕事なんでしょうか?法律相談ではなく、愚痴や世間話まで請け負う日々に、ふと我に返ると「これでいいのか?」という思いがこみ上げてきます。
感情移入しすぎると業務が回らなくなる
「感情を切り離せ」とはよく言われます。でも、相手が涙を流しながら話すのを聞いて、無表情で書類だけ作るなんて、私にはできません。かといって、感情を引きずったまま次のお客様に対応すると、今度はミスにつながる危険がある。その狭間で、胃が痛むのです。
優しさと業務効率のバランスが難しい
お客様の気持ちに寄り添いたい。でも、そればかりを優先していたら、業務は終わらない。時間も体力も削られていく。気づけば夜10時を過ぎ、家に帰ればコンビニ弁当。誰かに「やさしすぎるんじゃないの?」と言われたこともあります。でも、冷たくすることができない自分もいるのです。
「先生はわかってくれるから…」の罠
「先生はちゃんと聞いてくれるから安心です」と言われると、なんだか裏切れない気持ちになります。その期待に応えたくてつい話を聞きすぎる。すると、時間がどんどん押して、次のアポに遅れる。そしてまた「今日は少し時間が押してまして…」と謝る。悪循環です。
自分の気持ちを切り離す訓練はできているか
最近、自分の気持ちをあえて客観視する訓練を始めました。「これは仕事、これは感情」とラベルを貼るイメージです。でも、実際のところうまくいっていません。やっぱり、相手が苦しんでいれば、自分も苦しくなる。そんな人間味のある司法書士でいたいと、どこかで思っているからかもしれません。
事務員さんのフォローに助けられて
こんな自分を支えてくれるのが、うちの事務員さんです。口数は多くないですが、タイミングを見てお茶を出してくれたり、さりげなく次のアポの準備をしてくれたり。彼女の存在に、何度も救われています。
無言で差し出される胃薬と温かいお茶
ある日、お客様が帰った後、机の上に胃薬と温かいお茶が置いてありました。何も言っていないのに、私の顔を見て察したのでしょう。「先生、また胃痛ですか?」とひとこと。そんな気遣いに、思わず涙が出そうになりました。支えられているのは、きっと私の方です。
「先生、また胃痛ですか」のやさしい一言
その言葉に含まれるのは、ただの確認ではありません。「無理しすぎないでくださいね」という、見えないやさしさ。日々、業務に追われる中で、そうした一言が本当に染みます。彼女がいるから、なんとか踏ん張れているのです。
本当は線を引きたい。でも引けない。
毎日、心のどこかで「もう少し線を引けたら楽なのに」と思っています。でも、それができない自分がいます。冷たくなるのが怖いのです。誰かの「助けて」に応えられなくなるのが、怖いのです。
「冷たい」と思われることへの恐怖
あるお客様に、「以前相談した司法書士さんは冷たくて…」と言われたことがあります。その言葉が頭から離れませんでした。「自分はそうならないように」と思ってきた結果、どんどん深くまで話を聞くようになっていったのかもしれません。気づけば、自分の心の余裕がどんどん削れていました。
頼ってくれるのはありがたい、けれど
頼られるのは、正直嬉しい。必要とされている実感がある。でも、それに応えすぎて、自分を壊しては意味がないと最近ようやく思えるようになってきました。「できる範囲で」――その言葉を、自分にも許していきたいと思います。
自分のキャパを守ることも専門職の責任
専門職として長くやっていくには、自分の心と体を守ることも大切です。相手のためにも、自分のためにも、「全部受け止める」から「受け止め方を工夫する」へと、少しずつシフトしていきたいと思っています。
「全部受け止める」は長続きしない
全部を引き受けていたら、いつか潰れます。実際、過去には過労で倒れたこともあります。そのとき初めて「自分が壊れたら、結局お客様も困るんだ」と気づきました。だからこそ、今は自分の限界をちゃんと知ることを大切にしています。
聴き方を変えることで心の負担は減る
最近は、話を“聴く”のではなく“受け止めすぎないように聴く”ことを意識しています。適度な距離感を持って話を聴き、必要な部分にだけ応える。それだけで、少しだけ心が軽くなる気がします。司法書士として、お客様の支えになるためにも、自分自身を整えることが何より大切だと感じています。