届かぬ離婚と封じられた信託

届かぬ離婚と封じられた信託

朝一番の離婚相談

朝のコーヒーがまだ喉を通りきらないうちに、事務所のドアが開いた。静かな足取りの女性が、書類を抱えて入ってくる。いかにも「離婚しに来ました」みたいな顔をしていたが、こちらはすでに書類の山で心が折れかけていた。

「離婚届を公正証書にできますか?」という質問は、もはや常連のようなもので驚かない。でも彼女の手にあったもう一つの紙――それは、信託契約書だった。まさかの二枚同時提出である。

妙に落ち着いた相談者

相談者の名はミカワ。妙に落ち着いた声で、まるで銀行窓口で振込依頼でもするように淡々と説明してきた。夫とはもう顔を合わせていないらしい。それでも財産の管理はきちんと「信託」という形で進めていたという。

「お互いのためにベストな方法を選びたかったんです」そう言いながら彼女は、離婚届の日付欄を空白にしたまま、机に置いた。どうにも演技が過ぎる。これはサザエさんで言うところの、ノリスケさんの営業トークだ。

信託契約書の謎

その信託契約書には不自然な点があった。受託者と受益者が一致していないことはよくあるが、委託者の署名が筆跡的に怪しい。しかも契約日が、彼女いわく「離婚協議が始まった直後」らしい。

離婚を前提に組まれた信託契約? 目的は何か。私は契約書の端にある朱印の滲みを見つめながら、思わずため息を漏らした。「やれやれ、、、また厄介な話が来たもんだ」

財産の受託者が語らないこと

夫は口を閉ざしていた。電話で連絡を取ったが、「書類通りです」としか答えない。受託者である義弟に至っては、こちらの名前を聞いた瞬間に電話を切った。

これは怪盗キッドばりの煙玉だ。すべての証拠を隠したうえで、必要なものだけをこちらに見せているような気がした。私の勘が当たっていれば、これはただの財産整理では済まない。

押入れから見つかった一通の封筒

翌日、ミカワが再び来所し、あるものを差し出した。古びた茶封筒の中には、日付の記入されていない離婚届の控え。さらには、もう一通の信託契約書のコピー。

「夫が昔、これも作っていたんです。でも、この契約書は出していないはずです」彼女は不安げに眉をひそめた。その言葉に、私は思わず椅子の背に寄りかかった。まさか、隠れ信託が存在するとは。

日付のない離婚届

日付が空白のままの離婚届というのは、ある意味で時限爆弾のような存在だ。信託契約とセットで保管されていたこと自体、何かしらの意図があるとしか思えない。

仮に夫がその届を出さずにいた理由が「信託を成立させたかったから」だとしたら、それは離婚と財産の連動性を利用した計画ということになる。

サトウさんの鋭い指摘

「シンドウさん、この契約書、当時の法律では成立しませんよ」サトウさんが画面越しにPDFを見ながら言った。日付を見ると、当時はその形態の信託は無効だった。

彼女は続けた。「ということは、この信託契約は後から偽装された可能性が高いです。日付を遡らせて作ってる」その冷静な口調に、私はいつも通り感心しながら、コーヒーをこぼした。

信託と離婚の接点

信託と離婚。ふたつの制度を巧みに利用して、財産の保全と配分を操る。だが、どこかに矛盾がある。だれかが利益を得て、だれかが捨て石にされている。

受益者の欄には「第二次受益者:義弟」とあった。彼がこのゲームの勝者だろう。ならば、敗者は誰だ? そう思ったとき、再びミカワの顔が浮かんだ。

依頼者の矛盾した証言

私は彼女に尋ねた。「あなた、本当にその信託契約を知らなかったんですか?」彼女はわずかに間を置いて、「はい」と答えた。

その一拍の沈黙がすべてを語っていた。私は疑いを確信に変え、彼女の話の隙間をノートに書き留めていった。事実は一つしかない。名探偵風に言えば、”There is always only one truth” である。

二年前の火災と保険金

義弟の名義になっていたアパートが二年前に火災に遭っていたことが登記簿で分かった。その火災保険金が、信託口座に流れている。つまり、信託は利益を運ぶパイプとして機能していた。

しかも、契約書の記述では、委託者の死亡時に全資産が義弟に移る仕組みになっていた。まるで推理漫画の悪役が使いそうな手法だ。

隠された第二の信託契約

火災の一ヶ月後、第二の信託契約が公正証書として作られていた。その中で、委託者は既に死亡していたことになっていた。つまり、それは完全な偽造文書だった。

私は証拠をそろえ、静かに警察に通報した。どうせなら「ルパンを追う銭形警部」くらいの勢いで乗り込んでほしいところだが、現実はもっと地味だ。

裏切りの受益者

義弟は事情聴取の末、すべてを認めた。兄の死を利用し、火災と偽造契約を結びつけて信託財産を奪おうとしたという。ミカワは……最後まで黙っていた。

彼女が加担していた証拠はなかったが、彼女の目に浮かんでいたのは涙ではなかった。まるで、計画が失敗した悔しさのようだった。

やれやれ司法書士の出番か

この手の案件、警察と弁護士に任せるのが筋なのに、なぜか私のところに転がり込んでくる。「やれやれ、、、人生の球筋ってやつは、思い通りにいかないもんだな」

私は報告書をまとめながら、野球部時代のキャッチャーミットの感触を思い出していた。構えたミットに、真実は飛び込んできたか?

調査と登記簿の照合

最後の照合作業で、すべての点が線に変わった。登記簿、契約書、封筒、火災記録、保険証書。それぞれが嘘と真実を交差させながら、真犯人を浮かび上がらせた。

正直、私の本業はこんなことではない。もっと地味で、もっと退屈で、もっと孤独な作業が本業だ。それでも、真実を繋げる作業には不思議な達成感がある。

結末と信託の本質

事件が終わったあと、ミカワは一言だけ呟いた。「最初からこうなるとわかっていたら、全部捨ててたかも」それは本音だったのか、演技だったのか。

信託とは信じて託すこと。だが、人を信じられなくなったとき、そこに残るのは紙切れと押印だけだ。私は破棄された離婚届をそっと封筒に戻し、引き出しを閉めた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓