返答に悩みすぎて夜になった話

返答に悩みすぎて夜になった話

気軽な一言が、意外と重たい

「ちょっと聞きたいんですけど」——その一言が届いたのは、昼前のことだった。依頼者からのLINE。内容は開かずとも、大体の空気感で「軽くはない」とわかる。こっちは午前中から登記のチェックで手一杯。しかも、最近事務員のミスをフォローしたばかりで、精神的な余裕がない。そんなときに来る相談って、なぜかズシンと響く。昔は即レスできていた。でも最近は、返事の一文にさえ躊躇する。気軽な言葉ほど、返す側にとっては重かったりするのだ。

「ちょっと聞きたいんですけど」に心がざわつく

本当に“ちょっと”で終わったことなんてない。経験上、それは長引くし、面倒になる可能性の高いフレーズだ。登記の内容確認、相続関係の細かい話、はたまた他の司法書士の対応についての愚痴相談。すべて、「ちょっと聞きたいんですけど」から始まる。こっちは今にも締切に追われているし、胃も痛い。でも、それを言い訳に既読スルーもできない小心者。内心ざわつきながらスマホを置き、ただ時間だけが過ぎていく。

すぐ返せばいいものを、なぜか止まる指

内容が重いとか、面倒とか、そういう判断が頭の中で勝手に働いてしまう。開いたLINEの文章を何度も読み返し、返答文の文頭を打っては消し、打っては消し。まるで推敲してる小説家気取りだ。そんなことをしているうちに30分経っている。これじゃ業務が進まないとわかっていながらも、返すことに対する気力が出てこない。脳内では「そんなに悩むことか?」というツッコミと、「またミスるんじゃないか…」という恐れがせめぎ合っている。

「間違ったらどうしよう」が先に出てくる

自信がないのだ。経験も年数もそれなりに積んでいるのに、依頼者からの問いに対して「これが正解です」と言い切る勇気が、なぜか年々減っている。間違った情報を送ってしまったら…その一言で信頼を失ってしまうのではないか。そう思うと、どうしても慎重になってしまう。これは性格の問題もある。責任感が強すぎて、ひとつの返事に命をかけるような感覚になってしまうのだ。返せないことが、どんどん罪悪感に変わっていく。

軽い相談でも背負いがちなのが悪いクセ

他の司法書士仲間に話すと「そんなの、パッと返せばいいのに」と笑われる。でも、それができないから苦しい。性格的に、誰かから何かを聞かれると、それに“完璧”な答えを返そうとしてしまう。だから、ちょっとした質問でも、自分なりに調べて考えて、根拠も一緒に添えたくなる。その結果、LINEひとつ返すのに3時間もかかってしまうことがある。普通に考えておかしい。でも、今さらこの癖は直せない気がしている。

真面目すぎる性格が裏目に出る瞬間

真面目は美徳。そう教えられてきた。でも、仕事をしていくうちに、真面目さが自分を苦しめる場面も多いと気づいた。人に気を遣いすぎ、失敗を恐れすぎ、そして自分に厳しすぎる。そんな性格が、たった一通のLINEにすら悩み、そして時間を溶かす原因になる。たまに「もう少し適当にやれたら楽なのに」と思う。でも、それができるなら今ごろ独身じゃないし、こんな愚痴だらけの日常を送っていない気がする。

昼間に来たLINEがずっと心に居座る

昼の11時に届いたLINE。その通知を見てから、午後いっぱいずっとそのことばかり考えていた。仕事に集中したいのに、頭の片隅にずっと「返さなきゃ…」「でもどう返せば…」が居座り続けている。たとえるなら、リビングのテレビに「砂嵐」が流れ続けている感じ。消したいのに消せない。結局、仕事の効率もガタ落ちになり、夕方には「今日は何やってたんだっけ?」という状態になる。

返事を考えてたら日が暮れてた

たった一通の返信を考えていたら、あっという間に夕方。そして気づけば、もう日が沈んでいた。空はオレンジ色で、事務所の蛍光灯の下だけが浮いている。外の世界はどんどん移り変わっていくのに、自分だけ取り残されたような感覚になる。まさか一つのLINEでこんなに時間が過ぎるとは思ってなかったが、心の負担が大きすぎて、返信できないまま時間だけが流れていく。なんとも言えない虚しさが胸に残る。

内容は大したことないのに思考が暴走

「登記識別情報の通知について教えてほしいんですけど」——たったこれだけの内容だった。でも、この一文が引き金となって、頭の中では「これが実はクレームの予兆では?」「過去の案件の問題?」と暴走が始まる。悪い方へ悪い方へと思考が転がっていくのは、ある種のクセだろう。実際には、単なる質問に丁寧に答えればいいだけなのに、なぜか自分の存在そのものを否定されてるような気分になるのが不思議だ。

「こんなこと聞く?」というイラ立ちも混ざる

「そんなのGoogleで調べてくれよ…」という気持ちが正直ある。でも、口には出せないし、出したら終わりだともわかってる。相手には悪気がないのもわかる。でも、今じゃなくていいのに。なんで今日?なんで今?というタイミングで聞かれることも多く、ついイラッとしてしまう。そうやって感情がごちゃごちゃになり、ますます返信ができなくなっていく。誰か代わりに返してくれたらいいのに、と思う。

放置もできず、かといって返信もできず

未読にしておくと落ち着かない。既読にしておくと、早く返さなきゃと焦る。つまり、どうしたって落ち着かない。返信を引き延ばすことで、自分の精神もどんどん圧迫されていく。わかってはいるけれど、どうしても返せない。まるで呪いのようだ。かつては、こうしたことを気にせず、ドライに処理できるタイプだと思っていた。でも、今は違う。小さなやり取りにも、疲労が蓄積していく年齢になったんだなと思う。

既読無視にする勇気もない小心者

既読無視って、ちょっと怖くないですか?相手がどう思うかを考えると、結局「とりあえずスタンプだけでも…」となる。でもそのスタンプすらも選べない日がある。下手なリアクションで誤解されたらどうしよう…と思ってしまうのだ。だから、無視もできず、返信もできず、結果「悩む」という選択肢だけが残る。これが精神衛生に良くないのは重々承知している。でも、そういう性格なんです。はい、損な性格です。

結局、夜に布団の中で返すことに

風呂にも入って、歯も磨いた後、スマホを手に取り、深夜0時前にようやく返信。短く簡潔に、でも失礼がないように気をつけながら、文面を考える。10分ほどかけて、ようやく送信。送った瞬間、軽くため息。ようやくこの悩みから解放される…そう思ったのも束の間、今度は「遅すぎたかな」「深夜に返して非常識だったかな」という新たな悩みが襲ってくる。

「こんな時間にすみません」で始まるメッセージ

LINEの冒頭には必ず「夜分にすみません」と入れるのがルールになっている。でも、相手が本当に気にするかどうかはわからない。むしろ、こんな気遣いが逆に重たく感じられないかと心配になる。返信自体はたった2行。でも、その2行の裏にあった数時間の葛藤は、誰にもわからない。いや、わかってもらおうとも思っていない。ただ、そういう日々があるということだけ、誰かに伝わったら嬉しい。

送信ボタンを押すと同時に自己嫌悪

「なんでもっと早く返さなかったんだろう」——これが毎度の反省。仕事であれば迅速さが命。でも、心が疲れていると、どうしても腰が重くなる。こんなことで落ち込むのは、自分が弱いから?甘えてるだけ?いろんな問いが頭をよぎる。でも、疲れたときは、返せない自分を許してやってもいいのではないか。そう思いながらも、やっぱり自己嫌悪の夜は続いていく。

そして「もっと早く返せばよかった」のループ

いつもこのループに陥る。「もっと早く返せば、相手も不安にならなかったはず」「こんなに悩まなくて済んだはず」——過去の自分にダメ出しをしながら、また明日も誰かからのメッセージに怯える日が来る。でも、そんな日々でも、一歩ずつ進んでいくしかないのがこの仕事。司法書士って、書類よりも人間関係に疲れる職業かもしれません。そんな風に思った夜でした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。