兄の不在証明

兄の不在証明

朝の来客

朝一番で事務所のドアが開いた。湿気のある風とともに、中年の男性が現れる。寝不足の顔に、何か言いたげな影が浮かんでいた。

「兄の土地の件で相談がありまして」と彼は言った。珍しく、サトウさんが興味を示したようで、キーボードを打つ手を止めた。

地元の地権トラブルは珍しくないが、今朝はなぜかひときわ重たく感じられた。

謄本の名前に違和感

渡された登記簿を見た瞬間、違和感が走った。所有者は兄で、依頼人は弟だという。しかし、その割に登記が更新されていない。

「時効取得を進めたいんです」と彼は静かに言った。だが、それを裏付ける資料がやけに整っているのが逆に不自然だった。

こういうときほど、サトウさんの目が鋭く光る。鋭利なメスで切るように、事実を剥がしていくのだ。

サトウさんの冷静なツッコミ

「じゃあ、兄は本当に10年以上、音信不通なんですね?」とサトウさんが確認すると、依頼人は首を縦に振った。

「郵便物も連絡もなしですか?」という問いに、「はい、何も…」と小さく答える。

サトウさんは無表情のまま、PCの横に置かれたスケジュール帳をそっと閉じた。それが意味するのは「嘘の匂い」だ。

兄弟の土地の話

話を聞けば、兄は東京に出て行ったきりで、弟が10年以上その土地を管理してきたという。雑草刈りも、税金の支払いもすべて弟が。

だから、時効取得の主張も筋が通っているように見える。だが、それにしては奇妙に話が整いすぎていた。

「兄とは連絡を取っていない?」と改めて聞くと、彼は目を逸らした。

依頼人が語る時効取得の主張

「私は10年間、占有してました。近所の人も知ってます」と強く主張する依頼人。

だが、どこかのセリフのように聞こえる。「証人も用意できます」なんて、まるで某名探偵漫画の容疑者のようだった。

本当にそうなら、なぜ今ごろになって登記の相談なのか。その理由を彼は語らなかった。

兄はもう10年帰ってきていない

「兄は、もう戻ってきませんよ」と彼はポツリと漏らした。まるで生死すら不明なような口ぶりだった。

それでも、どこかに隠しているような「意図」を感じた。まるで土地そのものに、何かが埋まっているかのように。

やれやれ、、、また厄介な案件の予感がする。昼メシ抜きは確定だ。

雨の日の現地調査

午後、雨の中でその土地へ足を運ぶ。古びた物置、少し傾いた境界杭。風が鳴る音が、やけに耳に残る。

「なんか、アニメのラストっぽいですね」とサトウさんがポツリとつぶやいた。こういう時だけ、妙に文学的になる。

私は長靴に水が染みてくる感触と格闘しながら、隣家の敷地に目を向けた。

境界杭が語るもう一つの事実

杭の位置が微妙に変わっていた。地積測量図と照らしてみると、数センチ単位でのズレがある。

「この杭、いつ打ち直されたか聞いてみましょう」とサトウさん。彼女の目が、いつもながら正確だ。

私は次第に、兄が本当に「いなかった」のか疑い始めていた。

近所の証言

近所の住民に話を聞いてみると、意外な言葉が飛び出した。「あの人ね、夜にたまに戻ってきてたよ」。

え? と思っていると、「でも、誰とも会わなかったねえ」と老婆はつぶやいた。

姿を見せず、でも土地を離れていなかった? それは、まさしく「不在証明」の崩壊だった。

鍵の掛かった物置小屋

その土地の一角にある物置。鍵が掛かっているが、錆び具合が妙だった。10年どころか、数ヶ月の古さしかない。

「中、見ます?」とサトウさんが聞いた。私はうなずいた。ちょっと泥棒気分だ。

中から出てきたのは、布団と、カップラーメンの残骸と、兄の名前が書かれた新聞の束だった。

隣家の老婆の証言

「あそこに灯りがついてたの、冬のことだったよ」と老婆は言った。「兄の顔も見た気がするんだけどなぁ」。

その瞬間、すべてがつながった。弟の主張は、作り物だった。兄は不在ではなかった。隠れていただけだ。

そしてその「不在の演出」が崩れた今、弟の時効取得は成立しない。

登記簿にない証拠

私は市役所に戻って、光熱費や郵便物の記録を照会した。すると、数年前まで料金の支払いが兄の名義で続いていた。

つまり、兄は管理されていたのではなく、自ら使っていた。それを裏付ける、見落とされがちな「紙の証拠」だ。

サトウさんが言う。「証拠って、書類より生活感のほうが強いんですよね」。名言である。

日付の合わない光熱費の記録

電気料金が冬だけ高い。冷蔵庫の使用ではない。誰かが「住んでいた」痕跡だ。

この小さな矛盾が、大きな嘘を暴く鍵となった。

時効取得に必要な「排他的占有」も「他人の意思に基づかない」も、成立しない。

古い郵便物が示す不在証明

古い郵便物の宛名には、兄の名前がくっきりとあった。弟が言っていた「連絡がつかない」という話は完全に崩れた。

人は、いなくなった人のことを都合よく語る。だが記録は嘘をつかない。

この証拠で、弟の主張は完全に破綻した。

嘘を重ねる弟

報告を伝えたとき、弟は何も言わなかった。ただ、静かに目を伏せた。

「そうですか…兄は、まだ、そこに…」という声が、妙に寂しげだった。

彼にとって、兄は亡霊のような存在だったのかもしれない。だが、それでも嘘は許されない。

サトウさんの推理が切り込む

「最初から、土地目当てだったんですかね」サトウさんが冷静に言う。その目には、容赦も情けもない。

「むしろ兄を隠してたのは…弟の方だったんじゃないですか?」

まるでキャッツアイのように、真実だけを持ち帰る女だった。

法務局での最終確認

最終的に、兄の存在が確認され、弟の登記申請は却下となった。

少しだけ寂しそうに、彼は書類を破った。

「兄さんには会えないでしょうね…もう」と言い残し、帰っていった。

登記の裏にある兄の意志

兄は故意に姿を隠していたのかもしれない。相続でもめるのを嫌ったのだろう。

だが、隠れることで余計に争いの火種を作った。登記簿は語らないが、沈黙の奥にある意志を感じた。

それを読み取るのが、司法書士の役目だと、あらためて思った。

解決と報告

報告書をまとめ終えたころ、サトウさんが「昼、まだですよね」と無言で弁当を差し出してくれた。

…こういうときだけ、少し優しいんだよな。

私はため息をつきながら、ほかほかの弁当に箸を伸ばした。

真実がもたらす皮肉な終わり

土地は兄のものとして維持され、弟は二度とその話を持ち出さなかった。

正義が勝ったわけではない。ただ、嘘が敗れただけだ。

それが今の世の中のリアルな決着かもしれない。

やれやれ、、、司法書士の休日はどこへやら

今週もまた、休みは遠ざかっていく。気づけば、机の隅にたまった未処理の書類たち。

「やれやれ、、、」と私はつぶやいた。まるで次の事件がもう来るとでも言わんばかりに。

コーヒーをすする口元に、少しだけ笑みが浮かんだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓