誰が彼女に抵当権を贈ったか
謎の依頼人とバラの香り
朝の事務所に、赤いバラの香水をまとった女性が現れた。見るからに場違いな華やかさで、こちらの埃っぽい空間と妙に対照的だった。彼女は机の前に腰を下ろすと、小さな声で言った。 「彼からもらった家の抵当権を、正式に登記したいんです。」
亡き婚約者の名義で
提出された書類に目を通すと、登記義務者――つまり債務者の名前には、既に亡くなった男性の名前が記載されていた。その日付は、彼の死亡届よりも後の日付だ。 「これは、、、生きていることになってますね」とつぶやくと、女性は微笑みながら「彼の愛ですから」と答えた。
サトウさんの無言の検索
後ろの席で黙って聞いていたサトウさんが、何も言わずキーボードを叩き始める。数分もせずに「この男性、死亡診断書の発行は昨年12月18日」と言い、次に「でもこの契約書は12月25日の日付です」と静かに続けた。 彼女の淡々とした語り口には、もはや感情すら不要なのかもしれない。
やれやれ、、、とりあえず登記は受ける
「書類に形式的な問題はないですね……登記自体は通ります。やれやれ、、、本当に問題があるのは法律じゃなくて人間のほうか」と愚痴をこぼしながら私は受付印を押す。 それが、この奇妙な事件の始まりだった。
抵当権設定契約書に潜む小さな違和感
契約書の末尾には、手書きで付け加えられた一文があった。「全ては彼女への贈り物として、無償で提供することをここに誓う。」 契約書に誓いを書く必要はない。これは誰かへのメッセージだ。死者が生者に贈ったはずの、言葉という形式の。
登記簿の中にもう一人いる
サトウさんがぽつりとつぶやく。「この家、以前別の男性が所有してた記録がある。でもその後の売買登記が見当たらない。」 つまり、途中の所有者が“いない”。登記簿の中に、登録されなかったもう一人が存在していたのだ。
法務局で消えた書類の正体
私は法務局に出向き、旧登記記録を請求した。すると不自然な空白のページが一つ。破棄されるはずのない契約証書の写しが見当たらない。 職員は「電子保存前の書面が紛失した可能性もあります」と言った。そんなことがあるだろうか。まるでルパン三世が盗んだあとみたいな綺麗さだった。
元恋人かそれとも債権者か
依頼人の女性が言うには、婚約者の死後、元交際相手を名乗る男が急に現れて「彼女のための贈与だった」と証言したという。だが、それを裏付ける証拠は何もない。 一方でその男の口座には、婚約者が死亡した直後から妙な振込が続いていた。金額も一定。まるで何かの「対価」のように。
バックアップに残されたデータの罠
サトウさんが復元した旧PCのデータには、抵当権設定契約書の別バージョンが保存されていた。そこには「贈与」ではなく「債権回収」の文字があった。 そしてファイルの更新者は、依頼人の女性本人だった。
登記申請は愛のカモフラージュ
贈与という美しい仮面の下には、金銭トラブルの影が濃く潜んでいた。彼女は“彼”の死後に書類を改ざんし、抵当権を贈与のように見せかけた。 誰が彼女に贈ったのか? 本当は誰もいない。彼女が自分自身に贈ったのだ。
贈与か詐欺か
法的には証拠が不十分だった。抵当権の設定は有効。しかし民事訴訟を起こせば、契約書の信憑性は問われるだろう。 私は彼女に静かに言った。「登記は通りますが、心までは通せませんよ。」
告白のメールと未送信フォルダ
サトウさんが、故人の未送信フォルダから一通のメールを見つけた。 「彼女には借金がある。それでも俺は彼女を信じたい。」 その文章が真実なら、贈与は意志としては存在したのかもしれない。ただし、法律は意志では動かない。
シンドウの一球が事件を決めた
「でもこれ、死亡後の契約書は無効だと主張できる可能性がある」と私はボールを投げるように言った。 それはまるで、9回裏ツーアウト満塁で、ギリギリのインコースを投げるような感覚だった。
真実は紙の向こうにあった
抵当権の紙の向こうにあったのは、愛ではなく執着だったのかもしれない。 または愛という名前の、非常に狡猾な自己防衛。
事務所に戻った午後三時
「今日はカレーでも食べたいですね」と言うと、サトウさんは眉一つ動かさずに「作ってくれる人がいるならね」と返した。 やれやれ、、、登記よりも、人間関係のほうがずっと複雑だ。
サトウさんの小さなため息
書類をまとめながら、彼女がほんの一瞬だけ、ため息をついた気がした。 音は小さく、それでも確かに、何かを伝えていた。