世の中が祝日でも、こっちは休めない

世の中が祝日でも、こっちは休めない

祝日?それってなんでしたっけ

カレンダーを眺めて「今日は祝日か」と気づいたのが、午前10時すぎ。すでに3件の電話に出て、書類作成に追われていると、街の静けさにようやく違和感を覚える。「ああ、今日は世間はお休みか」。そんな風に祝日を知る日が何度あっただろう。特に地方の個人事務所では、業務を止めることが死活問題に直結する。仕事の依頼は待ってくれないし、締切は容赦なくやってくる。気づけば毎月のように、赤いカレンダーの日を無視して働いている自分がいるのだ。

カレンダーが真っ赤でも、事務所の灯りはついている

お盆もゴールデンウィークも、年末年始も、うちの事務所には電気が灯っている。理由は簡単で、「やらないと終わらないから」。特に祝日の前後は、駆け込みでの登記依頼が増える傾向にあり、むしろ普段以上に忙しい。そんな中で一人事務所を回していると、「祝日は世の中の話」で、自分には無縁の行事に思えてくるのだ。

電話は減るけど、仕事は減らない

祝日は確かに電話の本数は減る。だが、それは「問い合わせが来ない」だけで、進めなければならない案件は机の上に山積みのままだ。特に相続案件など、書類の確認や提出先の調整などは、祝日をまたぐ形で急ぎになる。だから結局、静かなだけの事務所で、黙々と作業することになる。休みの日に一人でカチャカチャとキーボードを叩く音だけが響く、あの虚しさ。慣れたけれど、好きにはなれない。

むしろ「休みの日にお願いしたい」という依頼が増える

特に地方では「土日か祝日しか時間が取れない」という依頼者が多い。だからこそ、休みの日こそ商機、という矛盾を抱えながら対応してしまう。「この人に頼んで良かった」と思ってもらいたい気持ちがあるし、それが仕事のやりがいにもなる。でも同時に、「なんでみんなの休みに、俺だけ働いてるんだろう」と、自問自答する瞬間も少なくない。

家族サービス?そういう人生を選んでないので

祝日と言えば、世間では「家族で過ごす日」とされているようだ。でも自分にはその“家族”がいない。独身で、恋人もおらず、家で待っているのは猫1匹だけ。だからこそ、周囲からは「時間があるでしょ」と思われがちだが、むしろ逆。誰も代わってくれる人がいない分、仕事も責任もすべて背負いっぱなしになる。そんな生活がもう何年も続いている。

独身の司法書士は「暇でしょ」と思われがち

「先生、独身なら時間ありますよね」と、軽く言われたことがある。でも実際は、自分の時間なんてどこにもない。すべてが「依頼者の都合」で動いている。電話が来れば出るし、資料が届けばすぐ確認する。誰かの人生の転機に関わる仕事をしている以上、暇だなんて言えるはずがない。むしろ、ひとりだからこそ、逃げ場がないというのが本音だ。

でも実際は「誰にも代われない仕事」ばかり

司法書士の業務は、その多くが「代行できない」ものだ。登記申請書一つ取っても、署名や確認、提出のタイミングまで、細心の注意を払わないと即アウト。だから事務員さんに頼むこともできないし、誰かに投げることもできない。結果的に、自分の手を動かすしかないのだ。「この時間、他の人に任せられたら…」と思うことはあるが、結局それが叶わないまま、今日もひとりパソコンに向かっている。

なぜ司法書士には“繁忙期”と“閑散期”がないのか

「今、忙しいですか?」と聞かれることがある。けれど答えに詰まる。常に何かに追われているからだ。繁忙期という概念がない。強いて言えば、「常に繁忙期」。裁判所の締切、登記の期日、依頼者の事情。それらが絶え間なく押し寄せ、気づけばまた一日が終わっている。土日も、祝日も、季節も関係なく、ただただ処理し続ける毎日がある。

登記も裁判書類も、期日は向こう都合

裁判所が決めた期日は、こちらの都合など関係ない。急ぎの提出依頼も、思わぬ変更通知も、すべてが「一方的にやってくる」。しかも、その内容がかなりタイト。祝日明けに期日がある場合など、結局祝日中に作成しないと間に合わない。依頼者にとっては「頼んだだけ」でも、こちらには「時間との闘い」が待っている。

連休前後の「今すぐやって」案件地獄

特に多いのが連休前の金曜日。「連休中に整理したいんで、今日お願いできます?」という電話が、なぜか集中する。そもそも今日中に終わる内容ではないのに、断ると「冷たい」と思われかねない。優しい性格が仇となって、「なんとかします」と答えてしまう。それで結果的に、土日・祝日がまるっと潰れるのだ。

急ぎ案件は土日を狙ってやってくる

不思議なもので、本当に急ぎの案件は、決まって土日にやってくる。なぜか平日には相談されず、みんな一斉に「今、いいですか?」と連絡をしてくる。断ると悪者になり、受けると体がきつい。選択肢がない中で、ただ粛々と受け入れ、処理していく。それが、地方の個人事務所を支える現実なのだ。

「ちょっと見てほしいんですけど…」の破壊力

一見何気ない言葉。だけど、その一言の裏には、想像以上の作業量が潜んでいることがある。「ちょっと」と言われて、軽く考えて開封したPDFが30ページ超えていた時の絶望。祝日だからと少しゆっくりしていた気持ちが、一瞬で吹き飛ぶ。こうしてまた、休めるはずだった時間が、静かに奪われていくのだ。

休みの日にスマホが鳴るたびに胃が痛む

スマホが鳴る音に敏感になってしまった。特に休みの日は、着信があるたびに「何かトラブルか?」と身構える。出るべきか、無視するべきか、悩んでしまう。「休みの日くらい休めばいい」と思う反面、「放置したら信用を失うかも」という不安もつきまとう。精神的に、どこにも逃げ場がないのだ。

出ないと不安、出ると後悔

結局出てしまうことが多い。でも内容が大したことなかった時ほど、「出なきゃよかった」と思ってしまう。そんな自分に自己嫌悪することもある。でも、もし出なかったせいでトラブルが大きくなったら…と考えると、やっぱり出るしかなくなる。完全オフという概念が、どんどん遠ざかっていく。

でも「気軽に相談できる人」でいたい気持ちもある

それでも、自分を頼ってくれる人がいるというのはありがたいことだ。専門職として、「気軽に相談できる司法書士」であることは、ある意味では信頼の証だと思っている。だからこそ、完全には線を引けない。どこかで「誰かの役に立ってるなら」と自分を納得させてしまう。これもまた、独立開業という選択をした責任なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。