忙しい朝に限って届く謎のFAX
司法書士として働いていると、どうしても朝の時間帯は貴重だ。登記の段取りや問い合わせ対応、メールの返信など、こなすべきタスクが山積みのなか、なぜか「このタイミング?」という瞬間にFAXが届く。しかも書き出しは決まって「急ぎじゃないですけど…」で始まる。いや、それなら今送らなくてよくないか?と心の中で突っ込む。タイムカードのように毎朝届くその紙に、もはや儀式のようなものを感じている。朝一番、まだコーヒーを一口しか飲んでいないタイミングで「とりあえず送っときました」の無言の圧が襲ってくる。まるで、誰かがこちらの余裕の無さを見透かしているかのようだ。
まず目に入るのは「急ぎじゃないですけど」
この一文、もう見飽きた。そして正直、信じていない。依頼者に悪気はないのかもしれないが、「急ぎじゃないけど念のためFAXしますね」という言葉に、なぜかこちらは「今すぐやってね」という意味を受け取ってしまう。忙しいときに限って目に飛び込んでくるその文字列に、朝からイラッとすることもしばしば。心の中で「急ぎじゃないって書いてあるし後でやろう」と思っても、なぜか落ち着かない。あの言葉には、なぜあんなにも不思議な圧力がこもっているのだろう。
本当に急ぎじゃないなら今送るなよと思う
「急ぎじゃない」なら、別に今じゃなくてもいいじゃないか。メールでも郵送でも、いや正直来週でもいいような内容だったりする。なのに何故わざわざFAX?そしてこのタイミング?まるで「とにかく今、司法書士の目に触れさせたい」という念がこもっているようで、結局読んでしまうこちらがバカを見る。昔の野球部時代なら、「別に走らなくていいからな!」と言われたあとに全力ダッシュさせられるあの空気に似ている。
なぜか早朝に届いているのも謎
一番ゾッとするのは、事務所に来た瞬間にFAXが届いているパターンだ。つまり相手は営業時間外に送ってきている。もちろん自動送信かもしれない。でも、それがまた「朝一で対応してね」と言わんばかりで、朝から軽く落胆する。湯気の立つ味噌汁を前に「そういえばFAX…」と急に思い出して食欲が失せたこともある。朝の平和な時間に、白黒の無機質な紙が心をざわつかせるのだ。
一人事務所にFAX対応の余裕はない
そもそもFAXというものが、「すぐ読まれること」を前提にされすぎている気がする。こちらは事務員さんが一人いるとはいえ、電話応対や来客、書類整理に追われ、FAXを都度チェックする余裕は正直ない。手が空いて確認すると「至急お願いします」の文字。いや、だから急ぎじゃないって…となる。FAXに振り回されるのは、まるで昭和から抜け出せない呪いのようにも感じてしまう。
電話と違って断れないところが地味につらい
電話なら「すみません、今立て込んでまして…」と多少の言い訳はできる。でもFAXは一方通行だ。紙が出てきた瞬間、「届いた=読んだ」という既成事実が成立してしまう。しかも、FAXにはタイムスタンプがばっちり。見てないと言い訳しても、「届いてましたよね?」と言われればそれまで。こういうプレッシャー、地味だけどじわじわと効いてくる。
紙が切れてる時の絶望感は異常
紙が切れてるときに限って、FAXが届く。しかも5枚以上。トレーに手を突っ込んで「ウソだろ…」と呟くのはもはや儀式。コンビニに駆け込むわけにもいかず、結局その日は確認できずに終わる。依頼者からの「どうなりました?」の電話に、冷や汗をかきながら「すみません、まだ確認できてなくて…」と返す情けなさ。こんなことで自己嫌悪に陥るのは、自分だけじゃないと信じたい。
「急ぎじゃない」の裏に隠された圧力
「急ぎじゃない」と言いつつ、その実「早くやってね」という気配が漂うのはなぜだろう。もはや依頼者との心理戦のようになってきている。文面は丁寧、言葉も柔らかい、でもFAXで送ってくる時点で“やれや”感があるのだ。そう感じてしまう自分がひねくれているのか、それとも職業病なのか、未だにわからない。
言い方が丁寧なだけの急かし
「すみません、急ぎではないのでご都合のよいときで構いません」……そう言われると、一見ありがたい。でも、その直後に「念のためFAXしました」と書かれていたり、「お電話差し上げるかと思いましたが…」と続くと、どうしても“本当は急いでるんじゃ?”という疑念が湧いてくる。司法書士という職業柄、相手の意図をくみ取ろうとするクセが裏目に出る瞬間でもある。
相手の意図を察してしまうのがまた疲れる
「急がなくていい」と言われたとしても、「それを鵜呑みにしていいのか?」と考えてしまう。過去に「急ぎじゃない」と言われた書類を後回しにしてトラブルになったこともある。だから結局、早めに対応するしかなくなる。こうしてまた、自分の首を絞めるサイクルに突入していく。まるでキャッチボールの相手が突然ナックルボールを投げてくるような理不尽さ。
本当に余裕あるならFAXじゃなくてメールにしてほしい
FAXという手段自体に、「早く見てくださいね」という無言のメッセージがあるように感じてしまう。メールなら、「忙しいだろうけど、都合のいいときに読んでね」というニュアンスが自然と伝わる。なのに、あえてFAX。紙の無駄だし、受信音が鳴るたびに心臓がきゅっとなる。「メールにしてくれれば」と何度思ったことか。
結局すぐ対応しないと二度手間になる
最初は「後でいいや」と思っていても、FAXが届いたことで意識に引っかかってしまう。そして夕方頃に「さっきの件、確認できましたか?」と電話が来る。だったら最初から電話してよ、と思うが、言えるはずもなく「はい、今ちょうど見たところで…」とウソをつく。罪悪感とストレスでさらに疲弊する。そんな日々の繰り返し。
無視できない小心者の性格が災い
無視できないのだ。そういう性格だから仕方ない。自分で選んだ仕事だし、自分の責任ではあるけど、どこかで「気にしすぎなんだよ」と言ってくれる人がいたら少しは救われるのかもしれない。でも、誰も言ってくれないから、結局今日も「急ぎじゃないですけどFAX」対応に追われる。独身の気楽さなんて、こんなときにはまったく役に立たない。
後回しにすると自分が困るジレンマ
本当に困るのは、後回しにしたせいで結局急ぎになるケース。あのときやっておけば…と後悔しても遅い。だからこそ、どんなに忙しくても、どんなに面倒でも、「急ぎじゃないFAX」には対応してしまう。そしてそのせいで、もっと重要な案件が後回しになっていく。完全に悪循環。でも誰にも頼れない、だから今日もまたFAXを見るのだ。
結局また今日も振り回される
「急ぎじゃないですけど」という一言に、なぜこれほど心が乱されるのか。たった一枚の紙に、自分のスケジュールも、気分も、心の余裕も持っていかれてしまう。一人事務所の限界と、自分の性格の問題と、社会の連絡手段の古さと、いろいろなものが絡み合って、今日も一人で「はあ…」とため息をつく。
「緊急じゃないからついででいいです」は信用できない
ついででいいって言ってくれたけど、その「ついで」が来るのはいつなんだ?自分でそのついでを捻り出さないと、結局やらないまま数日が過ぎてしまう。そして後悔する。そういう流れ、もう何度経験したか分からない。信じたいけど、信じられない。信じた自分をあとで責める。そうして今日もまた、自分の心が少し削れていく。
経験上こういう依頼ほど厄介なことが多い
「ついでで」「念のため」「急ぎじゃない」——こういう枕詞のついたFAXに限って、実は添付資料が抜けていたり、依頼者の意図が不明確だったりと、対応に時間がかかることが多い。簡単そうに見えて実は手間のかかる案件。それが最も厄介なのだ。今日もそんな書類に30分費やし、やるべき案件を後ろ倒しにした自分に苛立つ。
手が空いたときにはもう手遅れなパターン
「後でやろう」と思っても、その「後」は案外やってこない。やっと手が空いたと思った頃には、相手から催促の連絡が入り、結局こちらが悪いような雰囲気になる。そうなるくらいなら、最初からやっておけばよかった。そう思ってもまた、次の日も同じようなFAXが届くのだ。ループ。抜け出せない。
一人でやってることの限界を感じる瞬間
事務員さんが一人いてくれるだけでもありがたい。でもそれでも足りないと思う瞬間は多い。FAX、電話、書類作成、外出、そして人間関係の調整…。全部を一人で背負うと、どこかが必ず漏れる。理想と現実のギャップに、ただただ疲れるのだ。
事務員さんに任せられる範囲にも限界がある
事務員さんは優秀だ。でも、FAXに書かれた依頼内容の意味を読み取って処理するには、やはり専門的な判断が必要になることが多い。だから結局、「見といてもらう」程度しかできず、対応は自分に回ってくる。負担の軽減を夢見て雇ったはずが、やることが倍増した気さえしてしまう。
結局最後は全部自分に返ってくる現実
人に任せたつもりでも、トラブルが起きれば責任は自分に戻ってくる。だから任せきれない。FAXの一枚も、自分で読まなければ落ち着かない。この性格がいけないのか、それともこの仕事がそういうものなのか。答えはわからない。ただ、今日もまた「急ぎじゃない」FAXに振り回される自分が、哀しくもちょっと笑える。