朝のデスクに置き去りのファイルが語ること

朝のデスクに置き去りのファイルが語ること

朝のデスクに置き去りのファイルが語ること

朝、事務所に入ってデスクに腰を下ろすと、昨日の終わりに置き去りにしたファイルが目に入る。分厚くはないが、中身は重たい。登記の補正依頼が来ていたのを、夕方の疲労で「明日でいいか」と放置していた案件だ。こういう小さな「後回し」は、時間が経つほどに心の中で膨れ上がる。誰にも責められていないのに、自分で自分を責めてしまう。そんな感情の正体は、未処理の「何か」が、心の中にも存在しているからなのだろう。

気づけば見過ごしていた「あの案件」

記憶をたどれば、確かに一度は手に取った書類だった。急ぎの相続登記の準備に追われていたあの週、ちょっと面倒な法人の変更登記の依頼書類を後回しにしてしまったのだ。その後も、つい他の「急ぎ」に気を取られて、気づけば1週間以上手をつけていなかった。まるで冷蔵庫の奥にしまったままの食材のように、「まだ大丈夫だろう」と思っていたら、いつの間にか手遅れになりかけていた。

急ぎの案件に紛れて埋もれたもの

緊急の登記、急な来客、想定外の電話対応——そんな日々の積み重ねの中で、重要なのに「今すぐじゃなくてもいいもの」は後回しにされがちだ。だが実際には、そういう案件こそ信頼を築く上での試金石だったりする。忙しさを理由にしても、言い訳は依頼人には届かない。紙の上では「処理待ち」でも、依頼人にとっては「進んでいない」ことなのだから。

優先順位のつけ方、それで本当に良かったのか?

業務が山積みのとき、自然と「緊急性」の高いものを上に置いていく。でも、それって本当に「大事な順番」なのだろうか。感情が絡む依頼や、関係性が問われるような案件こそ、丁寧さとスピードが求められる。あとで思い出して反省するたび、「あの時もう少し早く処理できていたら」と悔しさがこみ上げる。優先順位は、単に業務の段取りじゃなくて、「人との関係の順番」でもあるのだ。

誰にも責められないけど、ずっと気になっていた

一番つらいのは、誰にも指摘されないことだ。依頼人からの催促もなければ、ミスにもなっていない。でも、自分の中では「あれ、まだやってなかったな」という小さなチクチクが、ふとした瞬間に刺さる。その痛みが、寝る前や週末の静けさの中で、何倍にもなって戻ってくる。見落としや抜けは「事実」ではなく、「感情」に残るのだと知る。

「忘れてたわけじゃない」が通じない仕事

心の中では「ちゃんと覚えてる」と思っていたとしても、形になっていなければ、それは「やっていない」のと同じ扱いになる。司法書士の仕事は、結局「結果」で評価される。誰にも責められないからこそ、言い訳をしてしまいそうになる。でも、「ちゃんと処理しとけばよかった」という後悔は、自分でしか処理できない。自分にしか届かない反省が、一番つらい。

言い訳が心の中に残る理由

「あの時は忙しかった」「他に緊急の案件が…」そんな言葉が何度も頭をよぎるけど、それを口に出したところで気休めにもならない。むしろ、言い訳すればするほど、自分の信頼を自分で削っているような気がしてくる。結局のところ、自分の中にある「理想の自分」と、現実の自分との差が広がっていくことが、何よりもストレスなのだ。

なぜ「小さな抜け漏れ」が心を重くするのか

不思議なことに、派手なミスよりも、小さな「やり残し」のほうが心を重たくすることがある。処理は簡単なのに、なぜか進める気が起きない。そんな案件ほど、時間が経つほどに「重く」なっていく感覚がある。小さな忘れ物のように、それが存在し続ける限り、心の奥底でざわざわし続けるのだ。

一人事務所の限界と向き合う日々

事務員さんはいても、最終判断や責任はすべて自分。判断ミスが許されない場面では、無意識に自分にブレーキをかけてしまうこともある。「これで大丈夫だろう」と思っても、「いや、もしかしたら」と手が止まる。そうして後回しにされた案件が、あとで自分を苦しめる。自分の不安に自分が振り回されているような感覚に、嫌気がさすこともある。

「完璧なんて無理」って自分に言い聞かせてみる

そうは言っても、全部を完璧に処理するのは正直無理だ。メールも書類も相談も、どれも「それなりに」片づけるしかない現実がある。それでも「抜けなくやらなきゃ」と自分にプレッシャーをかけ続ける。自分に優しくすることができないと、仕事はどんどん苦しくなる。完璧を求めすぎる自分に、「ほどほどでいい」と声をかけられるようになるまで、随分時間がかかった。

でも、本当は認めたくない気持ち

「しょうがないよね」「一人でやってるんだから」そういう言葉に救われた気になっても、どこかで「でも、自分はもっとできるはずだった」と思ってしまう。努力不足ではなく、キャパオーバー。それは理屈ではわかってるのに、気持ちはそう簡単に納得してくれない。自分に期待しすぎていたことが、結局、自分を苦しめていたのかもしれない。

「あのとき気づいていれば」ループから抜け出すには

仕事を終えてふと振り返ると、「あの案件、もっと早く動いてれば」と思うことがある。でもそれは結果論にすぎないと、頭では理解している。それでも、「自分ならもっとやれたんじゃないか」という思いが、何度も繰り返し頭の中をよぎる。自己嫌悪のループから抜け出すには、視点を変えるしかない。

反省と自己否定の間で揺れる心

反省は必要だ。けれど、行き過ぎるとそれは自己否定になってしまう。「次は気をつけよう」と思えるところで止まればいいのに、「自分はダメだ」と結論づけてしまうと、どんどん身動きが取れなくなる。だから最近は、「反省と後悔は別物」と言い聞かせるようにしている。自分の心を少しでも軽くするための、小さな工夫だ。

それでも立ち止まれない日常

反省しても、落ち込んでも、翌日はまた新しい案件がやってくる。待ったなしで。だからこそ、立ち止まりたくても立ち止まれない。傷ついた気持ちをそのまま胸にしまい、笑顔で電話を取り、淡々と書類を処理する。仕事は感情を置き去りにして進んでいく。けれどその感情の行き場がないと、やっぱりいつか溢れてしまうのだ。

抜けていたのは、ただの情報じゃなかった

見落としていたのは、書類の項目や情報だけではなかった。その背後にある「人の想い」や「信頼」を軽んじていたのかもしれない。たったひとつの見落としが、相手の信頼を損なうことがある。司法書士という仕事は、書類を処理する仕事であると同時に、人の気持ちに寄り添う仕事でもあるのだ。

依頼人の表情がずっと気になっていた

以前、あるお客様からの書類をうっかり一週間放置してしまったことがある。電話でのやりとりでは「大丈夫ですよ」と笑ってくれていたけれど、来所されたときの表情には、どこか寂しさがあった。その顔がずっと心に残っている。人は「大丈夫」と言いながら、本当は「残念だった」と感じていることがある。それに気づいた時、胸がズキリと痛んだ。

信頼が揺らいだように感じた瞬間

信頼というのは、派手に壊れることは少ない。でも、小さな違和感が積み重なったとき、ふとした瞬間に崩れてしまう。たった一度の対応で、「この先生、大丈夫かな」と思われたら、取り戻すのは簡単じゃない。言葉では謝れても、感情までは元に戻せないのが人間関係の難しさだ。

信用は積み上げ、崩れるのは一瞬

何年も積み重ねてきた信頼が、たったひとつのミスで崩れることがある。まるで砂の城のように。日々の対応が誠実であるほど、期待も高まる。その分、ちょっとした対応のズレが「裏切り」に近い印象を与えてしまうのかもしれない。だからこそ、ミスをしないこと以上に、「誠実であろうとする姿勢」を持ち続けたい。そう思えるようになったのは、何度も小さな失敗を繰り返したからだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。