司法書士事務所に届いた一通のハガキ
午前九時ちょうど、いつもどおり郵便受けから新聞を引き抜いたとき、その中にひときわ目立つ古びたハガキが混じっていた。切手は剥がれかけ、角はすっかり丸くなっている。ざらついた紙の表面には、たった一言「ウラヲミロ」とだけ書かれていた。
背中に冷たいものが走るのを感じながら、私はおそるおそる裏返してみた。差出人も宛名も、何も書かれていない。消印だけが唯一の手がかりで、そこには隣町「三郷郵便局」の名がかすれていた。
消印は隣町から
「三郷か……」私は独りごちた。事務所から車で三十分。最近はあまり行っていない。だが、かすかに記憶に引っかかる何かがあった。
郵便物の到着がこのタイミングというのも妙だった。朝一番の配達にしては遅い。いや、それ以前にこれはいつ投函されたものなのか、疑念がふくらんでいく。
筆跡は震えていた
ペンで書かれた文字は、どこかぎこちなく、震えを帯びていた。高齢者の手か、あるいは極度の緊張状態にあった者のものか。
その「震え」は、まるで書いた本人が恐れているかのようだった。あるいは、秘密を抱えたまま沈んでいく罪悪感だったのか。
差出人不明の謎
差出人が不明なのは想定内だったが、驚くべきは宛名さえも記されていなかった点だ。にもかかわらず、なぜこのハガキは私の事務所に届いたのか。
配達員が誤って入れた?それとも、意図的に私に届くよう仕組まれていたのか。可能性が交差し、頭の中がざわつく。
住所も名前も書かれていない
通常、郵便は宛名がなければ届かない。だがこれは、明らかに私のために届けられたかのような確信に満ちていた。
机の上にハガキを置き、私はコーヒーを一口すすりながら、サザエさんの中でタラちゃんが迷子になる回のような「意図せぬ行き先」に思いを巡らせた。
ただ一言だけのメッセージ
「ウラヲミロ」。裏を見るよう促す一言は、単なる悪戯ではなさそうだ。文字の裏に隠された何か。書かれていない情報。
もしかすると、これ自体が何かの符号なのかもしれない。私は机の引き出しから虫眼鏡を取り出し、紙面をじっと観察し始めた。
依頼人の来訪
「あの……こちらに、手紙が届いていませんか?」その声に顔を上げると、小柄な老婦人が扉の前に立っていた。
驚いた。まるで舞台の演出のようなタイミングだった。私が黙って頷くと、彼女は椅子に腰かけて、ぽつぽつと語り出した。
老婦人の語る二十年前の話
「あれは、主人が亡くなった年でした。私たちの家には、もう一人息子がいたんです……」老婦人は震える声で語った。
だがその息子は、ある日突然姿を消したという。理由も分からぬまま、そして連絡も一切なかった。
なぜ今になって届いたのか
「このハガキ……私が二十年前に出したものかもしれません」老婦人の言葉に、私は思わず身を乗り出した。
古い記憶が投函されず、どこかに眠っていた。それが、今になって投函されたとすれば――何者かがそれを見つけ、投函したということだ。
サトウさんの冷静な分析
背後から声がした。「インクは油性、年代ものの筆記具。おそらくは昭和後期の製造品でしょう」振り返ると、サトウさんが冷静に断言していた。
いつの間にか背後に立っているのは相変わらずだが、こういうときの彼女は実に頼もしい。
文字の癖から浮かぶ一人の人物
「この筆跡……多分、女性ですね。老婦人ではない。もっと若い、十代後半くらい」サトウさんの推理に、老婦人はゆっくりとうなずいた。
「それは……もしかして、あの子……」老婦人の声が震えた。「息子に想いを寄せていた近所の女の子がいました」
郵便制度の盲点を突いた可能性
サトウさんは続けた。「つまり、その娘さんが投函せずに保管していたハガキを、最近になって何らかの理由で誰かが見つけ、投函したと」
私は唸った。まるで金田一少年の事件簿のように、過去と現在が交差している。やれやれ、、、司法書士の仕事じゃないなあと思いつつも、腰を上げた。
調査の過程で見えた事実
郵便局と古い登記簿を辿るうち、一軒の空き家にたどりついた。そこは老婦人の家の隣、例の「娘さん」が住んでいた家だった。
鍵は掛かっていたが、郵便受けにはまったく風化していない差出人不明の封筒がひとつだけ残っていた。
登記簿に記された過去の所有者
その家の名義は、四年前に相続登記されていた。相続人は「田崎美佳」。老婦人が言っていた娘さんの名前と一致していた。
彼女はすでに故人となっており、家は今も売却されずに残っているらしい。
相続放棄と未通知の権利
登記上の奇妙な点は、彼女が遺言を書いていたことだ。内容は極めて簡素なものだったが、「届けるべき相手に、最後の気持ちを託します」と書かれていた。
それは、あのハガキのことだったのだろうか。
決定的な証拠はあの封筒に
回収した封筒の中には、折りたたまれたままの未投函ハガキが入っていた。そこには、当時の彼女の想いが綴られていた。
切手が貼られたまま、宛名はなく、ただ「ウラヲミロ」の言葉。そして裏には、小さな字で「ありがとう、さようなら」とだけ書かれていた。
サトウさんの一手
「ハガキの裏をさらに透かしてごらん」サトウさんの言葉で、私はライトをかざした。すると、消えかけた文字が浮かび上がる。
それは、息子への告白と別れのメッセージだった。文字の隙間から、時の重さと儚さがにじみ出ていた。
やれやれ、、、最後にまたうっかりか
私はため息をつきながら、書類の山を机に積み直した。「やれやれ、、、こっちは登記完了報告もまだなのに」
それでも少しだけ心が軽くなった気がした。
真犯人とその動機
犯人――いや、届けた人物は、田崎美佳の弟だった。整理中に見つけた未投函ハガキを、「宛名はないけれど、届けなければならない気がした」と話していた。
彼は老婦人の住所を突き止めたが、結局宛名を書くことができず、近くのポストにそっと入れたのだった。
二十年分の後悔
美佳の手紙は、二十年の時を越えて、ようやく宛先にたどりついた。想いは届かずとも、その気持ちは無駄ではなかった。
老婦人は目を潤ませながら、そっとハガキを胸にしまった。
事件の終わりとポストの前で
帰り道、私は古びたポストの前で足を止めた。そこには、もう役目を終えたような赤い箱がぽつんと立っていた。
何かを伝えるには、遅すぎることもある。だが遅れてでも届く言葉が、誰かを救うこともある。
誰かのための届け先
私はスマホを取り出して、未送信のメールを開いた。ふと、「送信」ボタンに指が触れたが、結局画面を閉じた。
もう少し、気持ちが整ったらでいい。そう思いながら、私は再び歩き出した。
もう一度宛名を書く日まで
たとえ筆が震えても、気持ちが届くなら、それでいい。私は、いつか自分の言葉で誰かに何かを伝える日が来ることを、どこかで願っていた。
そのときは、きっと、宛名も忘れずに書こう。