登記簿に刻まれた不在の証明
静まり返った朝の事務所に、カラン、と来客ベルが鳴った。ドアを開けて入ってきたのは、無表情な中年女性だった。名を名乗ることなく、封筒だけを机の上に置く。
「土地のことで相談があるんです」とだけ言い、あとは沈黙。嫌な予感がした。封筒の中には、謄本の写しと、相続関係説明図。それも、どこか見覚えのある筆跡だった。
午前九時の来訪者
彼女が差し出したのは、とある郊外の古い土地の登記簿謄本だった。名義人は「田島トシエ」。だが、その人は確か……いや、亡くなっていたはずだ。
「この名義を自分のものに変えたいんです」と彼女は静かに言った。あまりにも淡々とした口調に、逆にぞくりと背筋が冷えた。
笑わない依頼人
彼女の目は笑っていなかった。冷たいガラス玉のように、こちらを貫いてくる。生前の田島トシエを私は知っている。たしか彼女は独居で、身寄りはないと聞いていた。
だがこの依頼人は「姪」を名乗っていた。書類上は、そうなっている。戸籍も、たしかにそうだ。けれど、何かが引っかかる。
消えた隣人の謎
登記簿の住所を訪ねてみることにした。元の所有者、田島トシエの家はまだ残っていた。だが、空き家で、近隣住民の話では「数年前に火事があってから、誰も住んでいない」とのこと。
ただ、一人だけ違和感のある証言をする人がいた。「ちょっと前にね、若い女の人があの家から荷物を持ち出してたのよ。スーツ姿で、何か役所の人みたいだったわ」。
登記簿の奇妙な一行
再度登記簿を確認する。そこには、一見普通の内容に見える所有権移転登記があった。だがその横に、小さな備考欄に書かれた一行があった。「本人確認書類に不備あり」。
これは重大なことだ。通常なら登記は受理されないはず。何故か受け付けられていた。しかも、その登記を担当したのは、見覚えのある司法書士だった。
古い名義のままの土地
問題の土地は長らく放置されていた。相続人が現れず、手続きもされないまま、名義だけが残っていた。税金も滞納されていたが、市役所は所有者不明土地として扱っていたらしい。
「なら、何かのトリックか?」とサトウさんがぼそり。冷静な指摘にドキリとする。「名義を勝手に変えようとした人間がいるってことじゃ?」と。
その名義人は既に死亡
確かに、田島トシエは死亡していた。だが、その死亡届を出した人物が誰なのか。調べてみると、これがまた奇妙だった。届け出人の氏名が、封筒を持ってきた依頼人と一致していた。
つまり、彼女は死亡を届けた側でもあり、同時に相続人として登場していた。不自然すぎる。何かの事情で、彼女は二重の立場を使い分けていたのだ。
司法書士の地味な推理
地味だが、一歩ずつ進めるしかない。戸籍を辿り、住民票の動きを確認し、火事の記録までさかのぼる。昔の登記簿を引っ張り出し、押印の筆跡も見比べる。
この作業をしながら、私は思った。探偵マンガのような派手な推理ではない。だけど、事実の積み重ねが嘘をあぶり出すこともあるのだと。
相続登記の落とし穴
彼女は遺産を狙っていたのではない。正確に言えば「放置された名義」に目をつけたのだ。被相続人が独居高齢者であれば、手続きもされず、役所も気づかない。
だが、司法書士は見逃さない。サトウさんは言った。「こういうの、最近流行ってますよ。地味だけど、実は大きな問題です」。その通りだった。
サトウさんの冷静な指摘
「そもそも、姪っていう証拠どこにあるんですか? 戸籍が正しいかどうか、照合しました?」とサトウさん。私は慌てて確認した。確かに、改製原戸籍が抜けていた。
そして出てきた真実はこうだ。依頼人は、田島トシエの血縁ではなかった。死亡届も偽造だった。彼女は、戸籍を差し替え、書類を偽り、土地を奪おうとしていた。
過去の嘘と現在の矛盾
彼女はすでに複数の自治体で同様の手口を繰り返していた。警察に通報し、あとはお任せ、と思った瞬間、私は脱力した。
やれやれ、、、また変な案件を引き受けてしまった。推理モノというより、書類モノ。まるで「サザエさん」の波平さんが契約書を読み違える回みたいな顛末だ。
親族を名乗る人物の正体
最終的に彼女の身元が判明した。偽名、偽戸籍、偽死亡届。全部、数年前に盗まれた住民票コードを元に作られていた。市役所も気づかなかった。
しかし、司法書士の目はごまかせない。小さな違和感を拾い集めていけば、真実は姿を見せる。たとえそれが、地味で報われない仕事でも。
本当の依頼人は誰だったのか
実は、本来の依頼人は、火事の直前まで隣に住んでいた高齢男性だった。彼が残したメモに、「田島さんの土地、姪を名乗る女に狙われている」と書かれていた。
彼の証言が最後の決め手になった。あの女は彼からも身元証明書を騙し取っていた。最後の最後まで、嘘の上に成り立つ策略だったのだ。
登記簿が示した道筋
地味で、小さな不備の積み重ねが、すべての証明だった。登記簿は正直だ。嘘は書けない。だからこそ、それを読む者の目が問われる。
司法書士の仕事は、見えない矛盾を暴くことでもある。証言がなくても、証拠があれば十分なのだ。
嘘の相続と偽造された書類
提出された相続関係説明図は、綺麗すぎた。事務所で手書きするには、あまりに完璧だった。ソフトで作られたにしても、不自然な部分があった。
名前のフォントだけが微妙に違っていた。コピー&ペーストでは気づかないズレ。それが決定的な証拠になった。
旧住所に残る手がかり
最後に訪れた旧家の押し入れの中、田島トシエ本人が書いた相続メモが残っていた。「私に親族はいない。土地は市に寄附するつもりです」。それが本当の遺志だった。
彼女の策略は、あの古びた紙切れ一枚によって、すべて崩れ去った。
やれやれとつぶやきながらも
事件は終わった。けれど、疲労感だけが残る。サトウさんは平然と処理を続けている。私は椅子にもたれ、ただ一言だけ漏らす。
「やれやれ、、、」。だが、これがこの仕事だ。誰にも褒められず、スポットライトも当たらない。だが、それでも俺たちは今日も登記簿とにらめっこしている。
司法書士は真実に辿りつく
そしてまた、静かな朝が来る。誰かが、扉をノックする音がした。きっと、また厄介な事件だろう。だが、俺は立ち上がる。多少うっかりでも、やる時はやる。
司法書士の推理は、まだまだ続くのだ。