休憩が取れないのが普通になってる

休憩が取れないのが普通になってる

いつから「休憩なし」が当たり前になったのか

司法書士として事務所を構えてもう何年になるだろうか。最初は「ちゃんと昼ごはんは食べよう」と決めていたのに、今では気づけば午後3時、机の上には開きかけの弁当と冷めたコーヒー。最初は一時的な忙しさだと思っていた。でも、それがずっと続くようになった。「ちょっとこれお願い」とか「今のうちにこれだけは」と言われれば、つい体を動かしてしまう。結果、休憩は後回し。いや、もはや「取らない前提」で一日を組み立てている自分がいる。

気づけば昼食を取るのも忘れている

特にひどかったのは、相続の件で朝から晩までお客様が入れ替わり立ち替わり来ていた日。気づけば時計は夕方の5時を回っていた。お腹は空いているはずなのに、空腹を感じない。アドレナリンでごまかしてるんだろう。お客様を前にすると、どうしても集中してしまうし、途中で「昼なので中断します」とは言いづらい。結果、自分の身体への気配りがどんどん後回しになる。そんな日々が「普通」になってしまった。

事務員の手が空く時間は自分にはない

一人だけ事務員さんを雇っているけれど、彼女にも当然業務がある。登記の書類準備や来客対応、電話応対。僕が少しでも「休憩を」と思う頃には、彼女も忙しくなっていて、僕がその穴を埋めなきゃいけなくなる。結局、誰かの手が空く瞬間はあっても、自分の番は来ない。昼休みという名の幻想に縛られながら、僕はその時間もひたすら書類に印を押し続ける。

「今ちょっといいですか?」が休憩を奪っていく

昼食を食べようとするときに限って、電話が鳴る。「今ちょっといいですか?」という一言が、全てを持っていく。その「ちょっと」が、長くて一時間になることもある。断るという選択肢があるのはわかっている。でも、「今じゃなくてもいいですか?」と言えるだけの気力がもう残ってない。休憩が必要なほど疲れていることすら、自覚しなくなってきている。

「忙しさ」は誇るものではないのに

なぜか僕たちは「忙しい=頑張っている」と勘違いしてしまう。とくに独立したてのころは、「休憩なんかしてる余裕はない」と自分に言い聞かせていた。それが数年も続くと、もはや休まないことが美徳のように感じてしまう。変な話だが、「休憩を取った日」に罪悪感を抱いてしまうことすらある。本当は逆なのに。

誰にも頼れない環境の作り方が下手だった

「誰かにお願いするくらいなら自分でやった方が早い」と思って、つい全部背負いこんでしまう。それがクセになっているせいか、ちょっとしたことでも事務員に頼まず、自分で動いてしまう。頼れないんじゃない、頼らないようにしてる自分がいる。そしてその結果、自分が回らなくなる。結局、休憩なんて遠い話になる。

1人で抱え込むスタイルが身についてしまった

「全部自分でやらなきゃ」が染みついてしまっていて、人を信頼して任せることが怖くなっている。何かを任せてトラブルになったことが頭から離れず、「だったら最初から自分でやった方がいい」となってしまう。でもそのやり方では、どこかで限界がくるし、何より心がすり減っていくばかりだ。

「休めない自分」に価値を感じてしまっていた過去

少し前まで、「俺、今日は一度も座ってないんだよ」とか、「昼メシ食べてないから痩せたかも」なんて笑っていた。でもそれ、全然かっこよくない。むしろ無計画で、健康に無責任なだけだったと今は思う。でも、そのときは“やってる感”に酔っていた。今思えば、ただの慢性的な疲労と焦りの証だった。

同業者との会話に見える現実

久しぶりに集まった司法書士仲間との会話でも、やはり話題は「忙しさ」。皆「いやー、休憩なんてとれないよ」「昼飯?立ったまま食べたわ」と笑う。でもその笑いは、どこか虚ろだった。「皆そうなら仕方ないか」と思う反面、「このままでいいんだろうか」と疑問も浮かぶ。

「俺も休んでないよ」の共感が逆につらい

同業者が「わかるよ、それ」と共感してくれるのはありがたい。でも、それが「お互い頑張ってるね」で終わってしまうと、逆にしんどくなる。慰め合いはいい。でも、それで何も変わらないなら、ただの愚痴大会だ。もっと根本から改善できる方法を話し合いたいのに、そんな余裕すらない現実に、気持ちが沈む。

自営業だから仕方ない?いや、それだけじゃない

「自営業なんだから」「一人事務所なんだから」――よく聞く言い訳だ。でも、すべてをその言葉で済ませてしまっていいのだろうか。確かに時間は自分次第。でも、自分で自分を追い詰めてるだけという見方もある。少しでも改善する余地はあるはずなのに、忙しさを理由にその可能性を見ようともしない。

制度ではなく、空気に縛られている

実際のところ、法律や規則で「休むな」と決められているわけではない。でも、「こんなタイミングで休んでいいのか」という“空気”が、心の中を支配している。その空気は、自分自身が作り出したものでもある。周りの目より、自分の目が一番厳しいのかもしれない。

小さな休憩を取り戻すためにできること

劇的な解決策はない。でも、小さな一歩ならできるかもしれない。「休憩を取る」というより「休憩を許す」ことから始めたい。自分に対しても、事務員に対しても。

5分でいい、机から離れる習慣を

一時間まとまって休むのは難しくても、5分だけでも机を離れて空を見る。それだけで、気分は少し変わる。体もほぐれる。トイレに立つついでに、深呼吸してみるだけでも違う。休憩は「余裕のある人だけが取れるもの」じゃない。むしろ、余裕がない人ほど必要なんだと思う。

昼に仕事の電話を取らない勇気

試しに、12時〜13時の間は電話に出ないと決めてみた。最初は落ち着かず、そわそわしてしまった。でも意外と、それで困る人はいなかった。留守電を入れてくれるし、午後にかけ直せばちゃんと対応できる。こっちが無理をしても、相手にはあまり伝わらない。だったら、自分のために線を引くことも必要だ。

事務員に「休んでいいよ」と言う前に、自分が休もう

事務員に「ちゃんと休んでね」と言いながら、自分が休まずに働いていたら説得力がない。「先生が休まないなら私も…」となってしまう。まずは自分が見本を見せないといけない。自分が心を緩めて初めて、周囲も安心して休める。休憩は、自分一人の問題じゃない。事務所全体の空気を作る大切な行動なんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。