司法書士という肩書きと、空っぽの冷蔵庫
「司法書士」という肩書きは世間的には“しっかり者”の象徴らしい。でも、家に帰って冷蔵庫を開けた瞬間、俺の生活感のなさがあらわになる。ペットボトルの水、乾きかけた野菜、期限切れの納豆。料理をしようにも、調味料すらない。自分の仕事では他人の財産を預かる立場なのに、自分の食事はこのざまかと情けなくなる。だけど、仕事が終わって帰る頃には、もう何もやる気が残っていない。ただただ「早く温かいものを口に入れたい」それだけ。
仕事では頼られても、生活感はゼロ
依頼者には「先生」と呼ばれる。手続きに関して頼られる。そんな自分が、帰宅後コンビニで買った冷凍チャーハンを電子レンジで温めながら、「この生活、いつまで続くんだろう」と呟いているのだから、なんとも皮肉だ。平日の夜は疲れ切っていて、料理をしようと思えない。土日は書類整理か、役所対応か、あるいは休日出勤。気づけば、まな板と包丁の存在すら忘れかけている。
書類の山は片づけられても、自炊は片づかない
登記簿や契約書の整理は、仕事としてのルーティン。頭の中で優先順位をつけ、効率的に処理できる。だけど、自炊は違う。買い出しして、下ごしらえして、調理して、片づけて。やることが多すぎて心が折れる。しかもそれを一人で食べるだけ。コスパも悪い。つい「コンビニでいいか」と思ってしまうのは、自炊を頑張る理由がないからだろう。誰かと一緒に食べる予定でもあれば、もう少し違ったかもしれないけれど。
誰かと囲む食卓、という発想がもはや懐かしい
昔は、誰かと食卓を囲むのが当たり前だった。家族だったり、恋人だったり。笑いながら、今日の出来事を話しながら食べるごはんは、それだけでおいしかった。でも今は、テレビをつけて無言で食べる。咀嚼の音だけが部屋に響く。孤独だとは思いたくないけれど、ふと箸を止めた瞬間、静けさが心に沁みる夜がある。
18時の選択肢は、セブンかローソンか
仕事が終わるころには、すでに空は暗い。夕飯どうしよう…と考える間もなく、足は自然と近所のコンビニに向かっている。セブンかローソンか、もしくはファミマか。選択肢はあるようでいて、実はほとんど決まっている。手軽さと味の安定感、そして片づけの不要さ。すべてが、疲れた身体にやさしい。そんな生活を続けているうちに、気づけばコンビニの新商品に妙に詳しくなっていた。
司法書士の夜は、レジの前で始まる
仕事が終わると、コンビニの明かりが妙にホッとする。レジに並びながら、今日も何とか終わったな…と小さな安堵。会計を済ませたあと、手提げ袋をぶら下げて帰るときのあの孤独感。なぜか、肩の荷が一気に重くなる。「あたためますか?」という一言が、今日一日で一番あたたかい言葉だった、なんて日もある。
あたためますか?の声に癒やされて
レジの女性の「温めますか?」という声が、妙に優しく聞こえる。人と会話することが少ない平日は、こういう一言が心に残る。不思議なことに、レジのやりとりだけでちょっと気持ちが落ち着くことがある。こちらはスーツのままで髪もボサボサ。仕事帰りの疲れた顔。そんな自分にも、当たり前のように対応してくれるだけでありがたい。
食べたいものより、片づけないものを選ぶ
本当はちゃんとした定食を食べたい。でも、洗い物を想像するだけで面倒になる。だから、選ぶのは自然とパッケージごと捨てられるもの。弁当、パスタ、サラダ。どれもレンジでチンするだけのものばかり。味や栄養より、いかに“楽”できるかが基準になっている。そんな自分を責める気力も、もはやない。
「ちゃんとした食事してますか?」と聞かれたら
何気ない会話の中で、「ちゃんと食べてますか?」と聞かれることがある。心配してくれているのは分かっている。でも、正直に「コンビニばかりです」と答えるのは、ちょっと恥ずかしい。年齢も年齢だし、健康に気をつけるべき時期。でも、そんな余裕はどこにもないのが現実だ。栄養バランスより、心のバランスのほうが崩れそうな日々を生きている。
栄養バランスより、時間と気力のバランス
食事は生きる基本だと頭では分かっている。でも、仕事が忙しいと、つい後回しにしてしまう。ごはんを作る元気があれば、休みたい。栄養バランスより、睡眠や休息のほうが今の自分には必要だと思っている。だが実際には、そのどちらも足りていないのが現状だ。気力も体力も、ギリギリでやりくりしている。
忙しいは言い訳。でも本当に忙しい
「忙しい」を口癖にしている自分が嫌になる。でも、それが本音でもある。書類の山、依頼者からの連絡、法務局とのやり取り。どれも大事な仕事。手を抜けないから、日々の生活が削られていく。気づけば“ちゃんと生きる”ことを置き去りにしてしまっている。これが司法書士のリアルな日常だ。
ついに栄養ドリンクが主食になった夜
夜、コンビニで「とりあえず何か」と手に取ったのが栄養ドリンクだったことがある。食欲もない、でも何か口に入れなきゃ。そう思って選んだのがそれだった。あのときはさすがに自分でも驚いた。でも、そんな日が時々あるのも事実だ。食事が「作業」になってしまうと、心まで乾いてくる気がする。
それでも、明日も仕事はやってくる
どんなに疲れていても、どんなに自分がくたびれていても、朝はやってくる。そして、誰かの相続や登記のために、自分の仕事はまた始まる。誰かの人生の節目に関わる仕事。だからこそ、手は抜けない。自分の夕飯がコンビニだろうが、依頼者にとっては関係ない。仕事だけは、きっちりやらなきゃいけない。それが、この仕事の厳しさであり、誇りでもある。
誰かの相続のために、こっちは今日もおにぎり2個
遺産分割協議書を仕上げて、家に帰って食べるのはおにぎり2個。明太子と昆布。味気ないけど、手軽でうまい。そんな夜にふと、「誰かの人生に向き合っている自分が、こんなに適当でいいのか」と思う。でも、それもまた現実。自分の人生は自分で支えるしかない。だから今日も、コンビニ飯で乗り切る。
愚痴ってもやるしかない、この仕事
正直、愚痴は多い。事務員にもついこぼしてしまう。「疲れたなあ」「また急ぎの案件か…」それでも、やらなきゃ誰もやってくれない。独立してしまった以上、自分で責任を取るしかない。つらいけど、それが自由ってやつなんだろう。だから、文句を言いながらも、今日もまたPCの電源を入れる。
少しでも楽になったら、それを伝えたい
もしこの記事を読んでいる誰かが、「ああ、自分だけじゃないんだ」と思ってくれたら、それだけで書いた意味がある。司法書士って、孤独になりやすい職業だと思う。だからこそ、言葉でつながることが救いになる。少しでも誰かが楽になるように、そんな想いを込めて、今夜もまたひとり、コンビニの明かりに歩いていく。