コンビニ店員に顔を覚えられる日常がつらいと感じるとき

コンビニ店員に顔を覚えられる日常がつらいと感じるとき

顔を覚えられるという小さな出来事が心に刺さるとき

日々忙しく事務所と家を往復する生活の中で、唯一の寄り道がコンビニだったりする。特に地方では選択肢も少なく、決まった時間に決まった店に行くことが習慣になっている。そのうち、レジの店員さんがこちらを見て「いつもありがとうございます」と声をかけてくるようになる。普通なら嬉しいと思うだろう。でも不思議と、あの一言が、妙に胸に刺さったりする。そんなとき、ふと「自分の生活、全部見透かされてるみたいだな」と思ってしまうのだ。

レジ前での「こんにちは」が妙に響いた朝

ある朝、眠気まなこでいつものコンビニに寄ったとき、若い女性の店員さんに「おはようございます、今日は寒いですね」と話しかけられた。声に悪気はまったくなく、ただの接客の一環だということもわかっている。でもその瞬間、なぜか頭がぼーっとしてしまった。「俺の朝、こんなふうに始まるのか」と。彼女は笑顔だったけれど、こっちは少しだけうつむいた。これが毎日の積み重ねだと思うと、ちょっとした自己嫌悪に近いものを感じるようになった。

ただの挨拶がプレッシャーになる不思議

顔を覚えられること自体は、たぶん悪いことではない。むしろ、コンビニのような流れ作業の現場でひとりの客を覚えてくれるなんて、すごいことだと思う。でも、自分の存在が“識別されている”とわかったときから、気軽さがどんどん薄れていった。今日は何を買おうか、いつもの缶コーヒーをやめようか、余計なことを考えてしまう。無意識に、見られていることへの意識が強くなり、それが知らず知らずのうちにプレッシャーになっていく。

“常連さん”という無言のラベル

「また来たな」と思われている気がして、ある日別のコンビニに行ってみた。でも、そこの空気はどこかよそよそしく、逆に落ち着かなかった。結局、翌日にはまた元のコンビニに戻っていた。レジの人は何も言わずに、でも微笑んでくれた。ああ、たぶん“常連”ってこういうことなんだと思った。好意でも悪意でもない、ただの“日常の一部”。それでもこちらは勝手に意味を感じて、心をザワつかせてしまうのだから面倒な性格だと思う。

司法書士という職業とコンビニの関係なんてあるのか

司法書士というと堅苦しいイメージを持たれがちだが、実際の業務は泥臭い。相談対応、書類作成、登記申請、急な来客やトラブルも日常茶飯事。そんな生活の中で、手軽に食事を済ませたり、コピーを取ったりする場所としてコンビニは欠かせない存在になっている。特に独立してやっていると、仕事とプライベートの境界が曖昧になり、気づけばコンビニに助けられている日々になっている。

不規則な業務とルーティンの支え

登記の締め切りが迫っている日や、依頼人との約束が詰まっているときほど、食事を取る余裕もなくなる。そんなとき、いつものコンビニに寄って、慣れたルートでおにぎりや栄養ドリンクを取るというルーティンが、妙に安心感を与えてくれる。あの自動ドアの音が、切り替えスイッチみたいなものだ。けれど、それが“見られている日常”となった途端、途端に息苦しさも覚えてしまう。

夜のコンビニ飯と孤独感

仕事が終わるのが夜9時を過ぎることも珍しくない。外で飲みに行くような元気もなく、家で一人でご飯を作る気力もない。結局、コンビニで買った弁当と缶ビールを片手に、ひとりでテレビの前に座る。誰にも気を使わず、誰ともしゃべらず、ただ時間が過ぎていく。でも、ふと手を止めたときに「俺、何してんだろうな」と思う瞬間がある。きっと、これが積み重なると心の中にひびが入ってくるのだろう。

レジ袋越しの人間関係

レジでやり取りをする数十秒の間、相手の表情や声のトーンを気にしてしまう。こっちは疲れているのに、元気な店員さんに愛想笑いを返すのも面倒だ。でも、無愛想になりすぎると「感じ悪い人」と思われるのも嫌で、結局中途半端な笑顔を浮かべてしまう。まるで仮面を被っているような気分になる。あの透明なレジ袋越しに、ちょっとした社会が見えてくる瞬間がある。

人に見られているという感覚の重さ

顔を覚えられることは、記憶に残るということだ。でもそれは同時に、こちらの「どうでもいい日常」が他人の記憶の中に保存されてしまうということでもある。その感覚がとても重く感じるときがある。特に、なんでもない日の自分が、誰かにとって“知っている人”になると、もう無防備ではいられなくなる。

「また来てる」視線に勝手に傷つく日

一日に2回、同じコンビニに行くこともある。昼におにぎりとお茶、夜にビールとおつまみ。別に悪いことじゃないのに、2回目にレジに立つとき、なんとなく「またこいつか」と思われているような気がして、恥ずかしくなる。相手は何も言っていないのに、自分の中で勝手にストーリーができあがってしまう。そんな自意識過剰を自覚しながらも、やっぱり気にしてしまうのが面倒くさい性分なのだ。

他人の目が気になる性格は損かもしれない

「気にしすぎだよ」と何度言われたかわからない。でも、気にしすぎるのをやめる方法なんて、誰も教えてくれない。結局、自分の中で折り合いをつけるしかないのだけれど、それができる日は少ない。他人の目を気にして、服を選び、態度を選び、言葉を選ぶ。そんな日常が続くと、どこかで爆発してしまいそうになる。だからこそ、心のどこかに逃げ場が必要なんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。