朝のメールチェックが怖いと思ってしまうのはなぜか
司法書士という仕事をしていると、朝の始まりが「メールチェック」から始まることが多い。ところが最近、このメールチェックがどうにも怖い。まるで開けたら爆発するかのような、そんな恐怖感。通知の数字が1件だけでもついていようものなら、もう心臓がキュッと縮こまる。どうせロクな内容じゃない…そんなネガティブな予感が先にくるのが常だ。これはもう「職業病」なのかもしれない。
「緊急」の文字に心拍数が跳ね上がる
タイトルに「緊急」や「至急」が含まれていると、動悸が止まらない。パソコンの電源を入れる前に「今日は来てませんように…」と心の中で祈るが、そんな願いが叶った試しはない。昔、登記でミスがあり、相手方から怒りのメールが飛んできたことがある。それ以来、「緊急」という言葉には条件反射的にビクッとするようになった。別にこちらが悪くなくても、「何か起こった」と考える癖がついてしまったのだ。
何かあった?と先に悪い想像が来る性質
性格の問題もあるのだろう。「何かあった?」と聞かれたときに「良いことかな?」とは絶対に思わない。必ず「悪いことだ」と思ってしまう。それがメールでも同じ。たとえ取引先からの連絡でも、まず頭に浮かぶのはクレームや訂正、もしくは依頼内容の変更だ。たまに普通の確認メールだったときには拍子抜けするが、その数秒間に自分の中で何通りもの最悪のシナリオを描いてしまっている。
過去のトラブルがトラウマになっている
一番の原因は、やはり過去のトラブルだ。たとえば、以前に区分所有建物の登記で表題部に誤りがあり、関係者を巻き込んで大騒ぎになったことがあった。原因は役所側のデータミスだったが、メールで指摘されたときには全身の血の気が引いた。こうした経験は、「メール=怒られる前兆」という刷り込みになっている。きっと同じような経験をした司法書士さんも多いのではないだろうか。
仕事を始める前からすでに疲れている朝
朝のスタートがすでに怖いメールチェックから始まると、その日一日がずっと重苦しい。せっかく少し早起きして散歩して、気分を整えたとしても、メール一通で全てが台無しになる。まるで、心のバランスがたった一枚の紙で崩れるような感じだ。朝のメール確認をせずに出勤できるなら、どれだけラクだろうといつも思う。でもそれができないのがこの仕事のつらいところだ。
受信トレイ=戦場の入口
一見何も書かれていないように見える受信トレイも、蓋を開ければ「本日中の対応をお願いします」「至急ご確認ください」など、地雷だらけの爆弾倉庫だ。まさに戦場の入口。気合いを入れて「いざ出陣」と思って開くと、その瞬間に足元が崩れ落ちる。そんな日々が積み重なれば、朝が怖くなるのも無理はない。私はもう、毎朝がまるで闘いの始まりのように感じている。
連絡ツールではなく、ストレス発生装置
メールというのは本来、情報伝達の手段だ。それなのに、こちらにとってはストレスの塊だ。件名だけで緊張し、本文を読んでさらに落ち込み、返信内容を考えているうちに時間だけが過ぎていく。事務員には「メール見といて」と言えない性質のものばかりで、結局は全部ひとりで抱えるしかない。メールが届くという行為自体が、もうひとつの「業務」になってしまっているのが問題だ。
事務所を一人で回すという現実
うちの事務所には事務員さんが一人いるが、当然ながらすべての判断や責任は私にある。法律文書の最終確認も、登記の間違いチェックも、そしてクレーム対応も全部。つまり、どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、「読まない」という選択肢はない。司法書士という仕事の特性上、「知らなかった」では済まされないので、メールの中に何か見逃しがあるかもしれないと思うと、どうしても手が止められない。
事務員さんがいるとはいえ、責任は全部自分
事務員さんはありがたい存在だが、やはり責任の所在は私にある。たとえば申請ミスや期日の見落としがあった場合、「事務員が…」では通用しない。だから、メールも自分で確認せざるを得ない。ほんの一言「確認お願いします」が、実は重大な変更や期限の話だったりする。そんなときに限って、他の案件でバタバタしていて、頭が回っていないということもある。メールの山に責任という荷物がさらに乗るのだ。
メールの一文で、今日のスケジュールが崩壊する
予定していた書類作成や相談の対応などが、「たった一通のメール」で全部崩れることがある。例えば「明日が期限だったことに今気づきました!」というような内容が飛び込んでくる。急いで手配、作成、提出…すべてをねじ込む羽目になる。予定を立てても無駄になる感覚に、時折虚しさを感じる。正直、スケジュールアプリを見るたびに「どうせ全部変わるしな」と思ってしまうことがある。
それでも、今日もメールを開ける理由
愚痴ばかり書いてしまったが、それでも今日もメールを開ける。なぜかといえば、この仕事が誰かの困りごとを解決するためのものだからだ。怒りや指摘のメールばかりではない。時には「助かりました」「早く対応してくださって本当に感謝です」という一言に救われる。そんなメールが、全てのストレスを少しだけ軽くしてくれる。だから明日も、またパソコンを開けるんだろう。
誰かの困りごとに応えるのが仕事だから
司法書士は「人の人生の大事な手続きを預かる」仕事だと思っている。登記も相続も、そこには依頼人の背景や気持ちがある。だからこそ、どんなに疲れていても、メールを読む手を止めるわけにはいかないのだ。返信の文章ひとつで、相手の安心につながることもある。だから今日も「怖いな」と思いながらも、目を細めてメールを開けている自分がいる。
一通の感謝メールが心を救ってくれることもある
忘れられないのは、ある相続手続きが完了した後に届いた一通のメール。「父のことで気持ちが沈んでいたけれど、先生の対応で安心しました」と書かれていた。その時、思わずパソコンの前で涙ぐんだことを覚えている。こういうメールがあるから、救われる。そして、また頑張ろうと思える。メールは怖い。でも、救いもまたメールの中にあるのだ。