夜のコンビニ、その明るさに逆らえず足が止まる
夜の8時過ぎ、事務所を閉めて帰路についたものの、まっすぐ家に帰る気になれなかった。いつもの道を外れて、コンビニにふらっと寄ってみる。明るい店内の光が、外の暗さと自分の心の中の暗さを余計に際立たせる。買いたいものがあるわけじゃない。ただ誰かがいる空間にいたかっただけなのかもしれない。スーツ姿のまま立ち尽くし、何度も同じ棚の前を行き来する。そのうち、ふと「何してるんだろう」と自分に呟いてしまった。
仕事が終わったのに、終わらないもの
仕事は確かに終わっている。机の上の書類も片付いたし、メールの返信も済ませた。でも、心が終わってくれない。明日の予定が頭をよぎり、あの電話の言い回しが適切だったか悩み始める。そうこうしているうちに、自分の生活がどこにあるのかわからなくなってくる。司法書士という仕事は、業務が終わっても「気持ち」が帰宅を許してくれない。ずっと誰かの不安やトラブルの後始末を背負っているような感覚が抜けないのだ。
誰とも話さなかった一日がこたえる
誰とも話さない日もある。電話やメールのやりとりはあっても、面と向かっての会話がないと、胸のあたりがスカスカになる。事務員が休みの日など、声を発したのが自動音声と自分だけということもある。そんな日が続くと、ふとコンビニのレジの「温めますか?」という一言が、妙に染みる。人と話すって、こんなに救われるものなんだと改めて気づく。そして、自分がどれほど孤独の中で働いていたのかを実感する。
温められない心と冷えたおにぎり
結局、棚から取り出したのはツナマヨのおにぎり一個。レジで「温めますか?」と聞かれ、「いえ、結構です」と答えた。でも本当は、温めてほしかったのは、おにぎりじゃなくて、冷えきったこの心だったのかもしれない。あのとき、ただ誰かに「お疲れ様」と言ってほしかっただけなのだ。無言で商品を受け取り、ビニール袋を手に店を出る。その袋の軽さと、肩にのしかかる重さのギャップが、胸に刺さった。
今日も「すみません」で始まり「」で終わる
朝の一通目のメールから「すみません」が始まる。そして日が暮れる頃には「」で締めくくられる。気づけば、謝ることが習慣になっていた。自分に非がなくても、相手の気持ちをなだめるために謝る。司法書士の仕事は、法律を扱いながらも人間関係にがっつりと踏み込む。言葉の一つ一つがナイフにも薬にもなる世界で、いつも気を張り詰めている。
相手の感情を引き受ける日々
登記や遺言、相続など、依頼人の背景には必ず「感情」がある。怒り、不安、疑念、悲しみ。それらを真正面から受け止め、整理し、処理するのが司法書士の役目だ。でも、人の感情を毎日毎日引き受けていたら、自分の感情をどこかに置き去りにしてしまう。気づけば、泣きたくても泣けないような自分になっていた。
言葉ひとつで責任が降りかかる仕事
「これは大丈夫です」と言ってしまえば、それは信頼を生むと同時に、責任になる。たった一言が、トラブルになれば「なぜあのときそう言ったのか」と追及される。そんなプレッシャーがあるから、言葉を選ぶ。何度も言い直す。書類を読むより、人と話す方が何倍も神経を使うのがこの仕事だ。
「先生」と呼ばれるたびに遠のく本音
「先生」と呼ばれるたびに、なんとも言えない距離感が生まれる。敬意なのか、建前なのか、それとも責任なのか。気軽に話せる相手ではなくなったことを突きつけられるようで、本音を見せることが怖くなる。自分は「先生」である前に一人の人間なのに、どんどんそう見られなくなっていく。
たまに聞く「先生はいいですよね」という言葉
「先生は資格あるし、いいですよね」「一人でやれて自由で羨ましい」──そんな言葉をかけられることがある。でも、そうじゃない。自由と孤独は紙一重で、責任はすべて自分に跳ね返ってくる。失敗すれば誰のせいにもできないし、体調を崩しても代わりはいない。いいことばかりのように見えて、実際には日々ギリギリで立っているだけだ。
見られてるのは肩書きだけ
「司法書士」という肩書きが、まるで自分そのもののように扱われる。でも本当は、そんな大した人間じゃない。普通に迷うし、怒るし、疲れる。肩書きの中に隠れてしまった自分自身が、いつのまにかどこかへ消えてしまったような気がする。誰かに認めてほしいのは、資格じゃなくて自分の「人間」としての部分なんだ。
「司法書士だから幸せ」とは限らない
資格があっても、食えていても、幸せとは限らない。生活は安定していても、心が不安定なら何の意味もない。毎日仕事に追われ、趣味も恋愛も後回し。気づけば、「何のために働いているのか」と自問自答している。司法書士という肩書きが、幸せを保証してくれるわけじゃないのだ。
その一言で、またひとつ孤独になる
「羨ましい」という言葉は、無意識のうちに人を孤立させることがある。周囲が勝手に満たされていると思い込むことで、「この人には悩みなんてないだろう」と距離を置かれてしまう。そんなふうにして、今日もまた一人で悩み、一人で立ち尽くす夜を迎えるのだ。