資格を取ったら幸せになれると思ってた

資格を取ったら幸せになれると思ってた

資格を取ったあの日のことを思い出す

あの日、合格通知がポストに届いた瞬間の高揚感は、今でも鮮明に覚えています。何度も見直した受験票と照らし合わせ、間違いじゃないかと手が震えました。正直、人生の中で数少ない「自分を褒めてやってもいい瞬間」だったと思います。それまでの努力が実を結んだ実感に、涙が滲みました。ただ、それは長く続く感情ではなかったのです。ふと「これでやっとスタートラインに立てたんだ」と思い直し、不安が押し寄せてきました。今考えると、あの瞬間こそがピークだったのかもしれません。

合格通知が届いた瞬間に涙が出た

試験の数ヶ月前、誰にも会いたくなくて、居間に布団を持ち込んで勉強していました。夜中に寝落ちして朝まで参考書を抱えていたことも何度もあります。母親がそっとおにぎりを置いてくれたのが唯一の救いでした。だからこそ、通知を手にしたとき、思わず母に「ありがとう」と電話したんです。彼女も泣いてました。僕の人生の中で、一番ドラマチックな場面だったかもしれません。でもその数週間後、「で、どうやって仕事するの?」と聞かれた時、現実が一気に押し寄せてきました。

でもあの時の感動は今や遠い記憶

感動は時間とともに薄れていきます。日々の業務に追われ、あの合格通知を入れた封筒がどこにあるのかも、今では思い出せません。あんなに大事に保管してたはずなのに。事務所の引き出しの奥か、あるいは処分してしまったのか。それすらわからなくなるほど、現実に飲み込まれました。今の僕にとって資格は「誇り」ではなく「責任」の象徴のような気がしています。

喜びより先に「これからどうしよう」が来た

通知を受け取ったその夜、布団に入っても全然眠れませんでした。うれしさというより、「ここから何をすればいいのか」という不安が先に来たんです。どの事務所で働こうか、独立はいつにしようか、生活は成り立つのか——頭の中はそんなことでいっぱいでした。資格を取ったら幸せになれると思っていたけど、正確には「資格を取ってからが本当の闘い」だったと、今なら言えます。

開業すれば自由になれると思っていた

開業前は、雇われる側の苦しさを散々感じていました。「自分のやり方でやりたい」と思っていたし、「自由な時間が増える」と信じていました。でも現実は、その自由を支える責任の重さに潰されそうになる毎日。朝も夜も関係なく、書類と電話と役所対応に追われ続けています。自由とは「自己責任でなんとかすること」だと、身をもって知りました。

毎日が自分との戦いになった

誰にも怒られない。誰にも助けを求められない。全ては自分の判断と行動にかかっている。それが開業してからの日常です。間違ったら自分の責任、サボれば明日の収入がなくなる。だからこそ、朝ベッドから出るのが本当にしんどい日もあります。なのに、「自分で選んだ道でしょ?」と言われると、反論できない。たまに「じゃあ全部やめてやろうか」って投げやりになる自分がいます。

自分で選んだ道なのに後悔がちらつく

司法書士になったこと自体は後悔していません。でも「こんな生活になるなら、もっと違うやり方もあったのかも」と思うことはあります。特に、同級生が家族と旅行に行っているSNS投稿なんかを見てしまうと、自分の生活と比べてしまいます。僕は仕事を断ると生活が不安定になる。だから休めない。こんな生活がずっと続くのかと思うと、ため息しか出ません。

お金よりも孤独の方がきつかった

田舎で一人事務所をやっていると、とにかく孤独です。仕事の話をする相手も、雑談する相手も、日によってはいません。事務員さんは気を遣ってくれていますが、気軽に愚痴を言える関係でもないし、そもそも彼女にまで不安な姿は見せたくないんです。誰かと分かち合いたい感情が、いつも心の中でくすぶっています。

相談相手がいない日々

ミスをした時、変なクレームが来た時、法務局で意味のわからない対応をされた時……そんな時に、「わかるよ」と言ってくれる相手がいないのがつらい。SNSでそれっぽいことをつぶやいても、誰も具体的な共感はくれません。飲みに行く友達も減りましたし、電話して話す相手も正直いません。愚痴を吐ける場所がないって、本当にしんどいです。

夜中のコンビニが話し相手だった

眠れない夜、ふと外に出てコンビニへ行く。買うのはコーヒー1本。でも、レジの店員さんと交わすたった一言二言が、なんだか救いになっていたりします。もちろん相手はそんなつもりじゃないでしょうけど、「温めますか?」って言われるだけで、「ああ、今自分はここにいていいんだな」って思えたんです。情けないけど、そんな日々でした。

仕事はあるけど心はすり減っていく

ありがたいことに、仕事はあります。リピーターもいて、紹介も少しずつ増えて。でも、感謝の気持ちと同時に、「このまま続けていって、本当に自分は幸せなのか?」という疑問が常につきまとっています。日々の業務は単純な繰り返しになり、気づけば季節が変わっていた——そんな感覚が続いています。

目の前の案件がただの「数字」に見える時

忙しすぎて、依頼者の顔よりも書類の数字ばかりが目に入るようになることがあります。あの人はA案件、あの人は抵当権抹消……そんなふうに記号化していく日々。人と関わる仕事なのに、人間性がすり減っていくようで怖くなることもあります。これは自分の理想としていた仕事の形なのか?そんな疑問が、ふとした瞬間に襲ってきます。

やりがいってどこに落ちてるんだろう

新人の頃は、「誰かの役に立っている」というやりがいが確かにありました。でも今では、それが見えづらくなっています。数字と時間に追われて、目の前の「ありがとう」すら聞き逃すようになってきた。どこかで立ち止まって、もう一度自分の仕事の意味を考えたい。そう思っても、明日の締切がそれを許してくれません。

それでも資格を取ってよかったと思える瞬間

文句もたくさんあるし、愚痴も山ほどあります。でも、それでも「この仕事をしていてよかったな」と思える瞬間が、年に数回あります。それはたいてい、誰かの不安を解消できた時、誰かが泣きそうな顔で「本当に助かりました」と言ってくれた時です。その一言があるから、また次の日も机に向かえるのかもしれません。

依頼者の「ありがとう」に救われる

先日、遺言の手続きをした70代の女性から、「あなたがいてくれて本当によかった」と言われました。その瞬間、自分の存在が誰かの人生にとって意味を持っていると感じました。大げさかもしれませんが、そういう感情に触れるとき、すり減った心が少しずつ回復していく気がします。

誰かの役に立てている実感だけが希望

収入も安定しない。将来も見えない。結婚もしてない。正直、満たされてるとは言い難い人生。でも、「ありがとう」と言ってもらえた記憶だけは、ずっと胸に残っています。それが、自分にとっての「資格を取った意味」なんだろうと思います。完璧じゃないし、幸せかと聞かれたら黙るしかないけど——それでも、少しの誇りと少しの希望を胸に、明日もまた、机に向かいます。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。