冬になると、ふと誰かの気配が恋しくなる
毎年、12月の冷え込みが強くなると、どうにも人のぬくもりが恋しくなります。事務所に差し込む冬の光は美しいのに、その中でパソコンの音だけが響く空間は、どこか寂しさを際立たせます。仕事に追われているはずなのに、心のどこかが空っぽで、ふと誰かの気配を探してしまう自分がいるのです。人と関わる仕事をしているのに、心は案外、無人島みたいなものです。
暖房の効いた部屋でも、どこか寒い司法書士の心
エアコンはちゃんと効いてる。電気ストーブだって足元を温めてくれている。それでも寒いのは何故なんでしょうね。書類の山を片付けながら、ひとりで飲むインスタントコーヒーの味は、どこか薄っぺらい。たまに訪れる依頼者の笑顔や「ありがとうございました」の言葉で一瞬救われるけど、それが終わればまた静寂。人の声が恋しい、そんな冬の日が続きます。
数字じゃないぬくもりが足りない
売上や登記件数が増えても、心が満たされるわけじゃない。お金は大事。でも、それ以上に「今日は誰かと笑ったな」と思える瞬間がほしい。数字ばかりを追いかけているうちに、自分自身の温度を見失いそうになります。ぬくもりって、触れ合いとか共感とか、目に見えないものに宿るんですね。
無口な事務所、パソコンの音だけが響く
事務員さんは真面目な方で、余計な会話はしないタイプ。仕事としてはありがたい。でも人としては、たまには雑談でもしたくなるのが本音です。カタカタというキーボードの音だけが響く時間、ふと「俺、何してるんだろ」と自問してしまう。そんな日が増える冬です。
仕事は山ほどあるのに、孤独だけは減らない
登記、裁判所提出書類、成年後見…やることは山積みで、毎日があっという間に過ぎていきます。でもその忙しさが、心のすき間を埋めてくれるわけではない。むしろ、忙しさに埋もれて孤独と向き合う時間が減るだけ。夜になって一息ついたとき、どっと押し寄せてくる虚しさが何よりつらい。
「忙しい=満たされている」とは限らない
仕事があることはありがたい。独立したときは、それだけで十分だと思っていました。でも今では、それが“満たされている”ことと同義ではないと痛感しています。人と会話すること、誰かと一緒に笑うこと、そういう当たり前の時間がいかに貴重だったか、冬になると特に思い知らされます。
依頼者の人生を背負う責任と、誰にも頼れない現実
司法書士という仕事は、依頼者の人生の一部を預かる責任ある職業。でも、自分の人生を預けられる相手がいないというのが皮肉です。大事な案件ほど孤独で、誰かに相談したくても、信頼されている以上、弱音を吐くわけにもいかない。結局、全部抱えてしまう。この冬もまた、そうやって乗り切るんだと思います。
メールと書類の山に埋もれて、感情の起伏がフラットに
感情を揺さぶられるような出来事が、日常から減っている気がします。驚きも感動も、恋愛も怒りも、どこか遠い話になってしまっている。寒さがそれを加速させているのかもしれません。感情が動かないと、人の温度も感じづらくなる。そんなことに最近気づきました。
それでも、この冬も淡々と乗り越える
誰にも言えない想いを抱えながら、それでも仕事は続けていかないといけません。依頼者は待ってくれませんし、登記の締切も裁判所の期限も容赦なく迫ってきます。泣いても笑っても、自分の足でこの冬を越えるしかない。そんな現実を、毎年かみしめながら過ごしています。
誰にも言えない弱さを抱えながら
強がるつもりはないけれど、誰かに心配されたくもない。そんな矛盾の中で生きている気がします。「大丈夫ですか?」って聞かれると、つい「大丈夫ですよ」って返してしまう。でも本音は、「誰かに大丈夫って言ってほしい」なんですよね。大人になるって、こういうことなのかもしれません。
仕事があることに救われてる自分もいる
皮肉なもので、仕事が忙しいからこそ自分を保てている部分もあると思います。やることがある、それだけで立ち止まらずにいられる。だからこそ、また明日も事務所を開けるんだと思います。誰かのために働くことが、結果的に自分を守ってくれているのかもしれません。
同じように頑張っているあなたへ
もしこの記事を読んでくれている人がいるなら、きっとあなたも同じように、冬の寒さと戦っている人だと思います。司法書士であっても、そうでなくても、人のぬくもりが恋しくなる瞬間は誰にでもある。そんな自分を責めないでください。ぬくもりを求める心は、弱さじゃなくて、人間らしさの証です。
人の温度が恋しくなるのは、弱さじゃない
誰かに触れたい、誰かと話したい。そう思える心を、私はこれからも大事にしていきたい。寒い冬を越えて、また春が来ると信じて。今日もまた、ひとり事務所で湯気の立つコーヒーを飲みながら、そんなことを思っています。