30分で終わるはずが、3時間。──面談という名の無限ループ
30分と聞いていた、信じていた。
「30分ほどご相談したいのですが…」という電話の声に、私は一瞬ほっとしていた。短い面談なら、今日の予定も崩れない。メールの返信も片付けられるかもしれない。そう思って迎えたお客様との面談。しかし蓋を開けてみれば、話がどんどん横に広がり、気づけば3時間が経過していた。こういうことは、年に1〜2度ならまだ笑えるのだが、月に何度もあると本当に精神的に疲れてくる。何が悪かったのか、どこで軌道修正できたのか。毎回そう考えるのだが、結論はいつも、「まあ仕方ないよな」で終わる。
時計を見てはいけないときがある
途中で時計を見た瞬間、ふと冷や汗が流れることがある。「あ、もう1時間半過ぎてる…」と気づいた瞬間、軽くめまいがする。だが、目の前の依頼者は話し続けている。話すことで整理しているのか、ただ聞いてほしいのか。その境目が曖昧なまま、私はうなずき続ける。「そんなに聞き上手じゃないのに」と内心では思っていても、話をさえぎるタイミングも勇気もない。結局、どれだけ予定が押していても、私はそのまま話を聞き続ける羽目になる。
「少しだけお話を…」から始まる長い旅
「ちょっとだけご相談を…」というフレーズは、実際には「けっこう込み入った話があります」の裏返しだったりする。特に相続や家族の問題が絡むと、話は芋づる式に出てくる。しかも、「これは司法書士に聞いていいのか?」という話も多く、気づけば私が半分カウンセラーのような立場になっている。全てが無駄だとは思わないし、信頼関係を築く意味では必要な時間かもしれない。でも、本音を言えば、せめて最初に「長くなるかもしれません」と一言ほしい。
相手は悪くない。けれど自分も限界
長引く面談に疲れても、お客様を責める気持ちはまったくない。それどころか、信頼して話してくれること自体、ありがたいことだとは思っている。ただ、私の体力や集中力にも限界はある。途中で脳がぼんやりしてくる。次の予定が頭の中で点滅し、事務員さんの視線がチクチクと刺さる。誰も悪くない。だけど、この“誰も悪くない状況”に押しつぶされそうになるのが、司法書士という仕事のやるせなさなのかもしれない。
予定表は飾り──現実は予定通りにいかない
Googleカレンダーには予定がびっしりと詰まっている。色分けもしてある。見た目はまるで効率的に働く人間のようだ。しかし、現実は違う。30分の面談が3時間になっただけで、その後の予定はすべて崩壊する。予定をずらすために電話をかけ、メールを打ち直し、そしてまた謝罪の嵐。「どうしてこうなるんだろう」と毎回嘆くのに、同じことが繰り返される。予定は、予定として存在しているだけで、現実の私の行動とは関係がないのだとさえ思えてくる。
次の予定が消えるあの絶望感
3時間面談の終盤、ようやく「じゃあこの辺で…」となった瞬間。私は机の端に置いたスマホを確認し、絶望する。次の予定まで、もう時間がない。急げばギリギリ間に合うかもしれないが、気持ちは完全に削がれている。切り替えがうまくできず、次の面談でも集中力が続かないことも多い。結局、後の予定にも悪影響が及び、1日のリズムが崩れていく。そんな日が続くと、「もう全部、無かったことにしたい」とさえ思ってしまう。
「あと少しだけ」の積み重ねで夜になる
「あと少しだけいいですか?」という一言は、たいてい“あと30分コース”だ。たった一言で夜の予定が潰れる。自分の夕飯の準備や、少しだけ取ろうと思っていた休憩時間も吹き飛ぶ。私の一日は、他人の「少しだけ」によってどんどん塗り替えられていく。仕事だから仕方ない。でも、積もり積もると、ふとした瞬間に「俺の人生って誰のためにあるんだっけ」と思ってしまうこともある。
言葉を遮れない優しさが裏目に出る
私は口下手な方で、相手の話をさえぎるのがとても苦手だ。どうしても「まあ、最後まで聞いてあげよう」と思ってしまう。でもそれが結果として、自分を苦しめていることもある。自分の感情や体力、他の仕事を犠牲にしてでも、相手の話に耳を傾ける。その姿勢を評価してもらえることもあるが、実際には自分の中でかなりのストレスがたまっている。優しさが必ずしも報われるとは限らない。
「話を聞いてくれる先生ですね」と言われる矛盾
何人かのお客様には、「こんなに話を聞いてくれる先生は初めてです」と言われたことがある。もちろん悪い気はしない。でも、その裏で私は他の仕事を後回しにしているし、何なら事務員さんにも気まずい顔をしている。評価されることと、自分の働きやすさの間にある矛盾。このねじれをどう解決していくべきか、いまだにわからないままだ。
優しさは、時間を削って成立する
結局のところ、優しさは“自分の時間を削ること”によって成り立っている。どこかでそれを割り切れればいいのかもしれないが、「削るばかりの毎日」で自分が空っぽになっていくような感覚もある。「先生、相談に乗ってくれてありがとう」と言われるたびに、心の中で「いえ、今日も予定は全滅でした」とつぶやく。そんな繰り返しが日常になっている。
事務員さんの目線が刺さる
私の事務所には事務員さんが一人いる。とても気が利くし、支えてもらっている。でも、長引く面談中、ふとドアの隙間から事務員さんの気配がすると、心臓がギュッと締め付けられる。「また予定がずれ込んでるな」という無言のメッセージを受け取った気がして、いたたまれなくなるのだ。事務員さんに気を使いながら、依頼者にも気を使う。気疲れの三重苦で、どっと疲れてしまう日がある。
「まだ終わらないんですか」の無言の圧
事務員さんは何も言わない。でも、視線や雰囲気で「そろそろ終わってほしい」という空気が伝わってくる。次の段取りもあるし、書類の準備も進めたいだろう。私もその気持ちは痛いほどわかる。でも、その場を切り上げるのは私の役割であり、苦手なことでもある。誰も悪くない。でも、みんなが少しずつ不機嫌になる。それが一番つらい。
外にはお客様、中には事務員
ドアの向こうには依頼者。こちら側には事務員さん。その間に私が立っている。どちらにも失礼がないように振る舞い、どちらの期待も裏切らないように対応する。それが司法書士の務めだとわかってはいるけれど、正直しんどい。とくに、自分の気持ちを後回しにすることが習慣化すると、自己肯定感がどんどん削られていく。
板挟みという名の司法書士ライフ
結局、司法書士という仕事は「板挟み」に耐える職業なんだと最近感じる。依頼者の事情、事務所の事情、自分の事情──そのすべてが常に衝突しそうなギリギリのラインで並行している。スムーズに終わる面談があった日は、それだけで奇跡のように感じる。そしてそんな日は、ひとり静かにコンビニでおにぎりを食べながら、「今日もなんとか生き延びた」とつぶやいてしまうのだ。