すべてを放り出したくなった朝

すべてを放り出したくなった朝

ひとつひとつの積み重ねが限界を超える瞬間

司法書士としての日々は、表向きは地道で安定した仕事に見えるかもしれません。しかし実際は、依頼者の人生に関わる重圧や、期限のプレッシャー、そして事務所をひとりで切り盛りする責任がのしかかってきます。そんな中で、毎日少しずつ溜まっていったストレスがある朝、突然「もう無理だ」と心の中で叫ぶような瞬間を迎えるのです。まるで何かがポキッと音を立てて折れたような、そんな朝が、誰にでも一度は訪れるのではないでしょうか。

どこで崩れたのかはわからない

前日の仕事がうまくいかなかったわけでもなく、特別なトラブルがあったわけでもありません。でも、朝目が覚めた瞬間から「もう今日は行きたくない」と思ってしまった。そんな日は、じわじわと積もった疲労や不安、孤独感が一気に噴き出した証拠かもしれません。自分では気づかないうちに、無理して頑張りすぎていたんでしょう。あれもこれも自分がやらなきゃ、と責任感ばかりが先行して、自分の気持ちを置き去りにしていたことに、ようやく気づいた朝でした。

机の上の書類にすら腹が立った朝

その日、事務所に入るなり、机の上に無造作に置かれた書類の山を見てイラっとしました。「なんで俺ばっかり…」という言葉が頭に浮かび、情けないことに、書類を見た瞬間に涙が出そうになったのを覚えています。たかが紙、されど紙。そこに積まれているのは、誰かの人生や財産、家族のことだったりして、それをミスなく処理する責任をすべて私が背負っていると思うと、余計に苦しくなるのです。

目覚ましが鳴った瞬間にため息が出た

この日の朝は、目覚ましが鳴った瞬間から違いました。普段なら寝ぼけながらも体を起こすのに、この日は布団の中で目をつぶったまま「今日はダメだな」と思ってしまった。何がダメなのか、自分でもうまく言えません。ただ、体よりも心がまったく動かない。布団の中で天井を見上げながら、「全部放り出したらどうなるんだろう」と想像していました。そんな妄想が妙に現実味を帯びていて、正直怖かったです。

「やらなきゃ」と「やりたくない」の狭間で

司法書士という仕事は、ある意味「やらなきゃいけないこと」が毎日決まっています。登記の期日、裁判所への書類提出、依頼者への説明責任。そういった義務に追われる日々の中で、「やりたくない」と思う感情はまるで罪悪のように思えて、無理やり封じ込めてしまう。でも人間ですから、どこかでその感情が溢れてきます。「今日は休んだらまずい」と頭ではわかっていても、気持ちがまったく動かない。そのギャップに苦しむ自分を、責めてしまうんです。

疲れが取れないのは体だけじゃなかった

40代を越えてから、疲れが次の日まで残るようになったと感じます。でも本当にきついのは、体じゃなくて心の方かもしれません。ストレスやプレッシャーが抜け切らないまま蓄積されていき、ある朝、心のバッテリーが0%になっているのを感じる。コーヒーを飲んでも、ストレッチしても、心の芯が冷えているような感覚が消えないのです。

心が悲鳴を上げていたことに気づかなかった

周りからは「しっかりしてそう」「頼りになる」と言われることもあります。でも、それは表面だけで、本当は自分も誰かに「大丈夫?」って声をかけてほしい気持ちを抱えていた。朝起きたときに、意味もなく涙が出てきたことがありました。自分でも驚きましたが、それはたぶん心が限界を迎えていた証拠。気づいたときには、もう回復に時間がかかるところまで来ていたんだと思います。

「また今日もひとりか」とつぶやいた朝

私は独身で、朝起きてから家で話す相手もいません。仕事でも「先生」と呼ばれ、相談されるばかりで、誰かに悩みを打ち明けることはほとんどありません。ある朝、支度をしていたときに、ふと「また今日もひとりか」と声に出して言ってしまったことがあります。その言葉の重さが、自分自身に突き刺さりました。強がってるだけで、やっぱり孤独なんだと思います。

事務員さんの明るさが今日はつらい

うちの事務員さんはとても気が利いて、明るく接してくれます。普段ならありがたい存在なんですが、自分が沈んでいるときは、なぜかその明るさが重く感じてしまうことがあるんです。元気な声が逆に刺さるというか、「俺だけ疲れてるのか」と思ってしまって、余計につらくなる。もちろん八つ当たりなんてしませんが、心の中では「今日はちょっと放っておいてほしいな」と願ってしまいます。

司法書士という仕事の重みと孤独

人の権利やお金、家族の未来に関わる仕事をしているという意味で、司法書士はものすごく重たい責任を負っています。でもその割に、相談できる相手がいないという矛盾が常にあるんです。ミスが許されない仕事で、ひとつ間違えれば損害賠償や信頼喪失に直結する。それをずっと一人で背負っていると、自分自身がどんどん削れていくのを感じます。

責任を背負うのが当たり前になっていた

いつからか、トラブルが起きたらまず自分が謝る、という姿勢が染みついていました。依頼者の顔色を伺いながら、ミスがなくても自分が矢面に立つ。そんなことを繰り返していると、感情を押し殺すのが癖になって、だんだんと自分が何を感じているのかも分からなくなる。そういう生活に慣れてしまうと、ある日突然、何もかもがどうでもよくなってしまうんです。

信頼の裏側にある恐怖

「先生に頼めば大丈夫」と言われるのは光栄です。でもそれは同時に、「絶対に失敗できないプレッシャー」でもあります。信頼されることが、こんなにも恐怖と背中合わせだとは思ってもいませんでした。心の中では「たまには誰かに頼りたい」と思っても、結局は「自分がやらなきゃ」と思ってしまう。このループから抜け出せずに、疲れ果てていくのです。

「ミスできない」は本当につらい

司法書士の仕事は、ケアレスミスが命取りになります。日付の打ち間違い、印鑑の不備、記載の順序…どれも「ちょっとしたこと」かもしれませんが、依頼者にとっては重大な損失につながることもある。そんな中で働いていると、「完璧であれ」という無言のプレッシャーが常につきまとう。眠れない夜が続いて、目の下にクマができても、それでも笑っている自分が、たまに怖くなります。

それでも誰にも弱音を吐けない

弱音を吐いたところで、状況が変わるわけじゃない。それなら黙ってやるしかない。そう思ってきたけれど、やっぱり誰かに「つらいね」って言ってほしかったのかもしれません。カウンセリングに行くほどでもない、でもしんどい。そんな微妙なラインを生きている私たちには、心の休憩所が必要なんだと思います。ほんの一言、「今日もがんばったね」と誰かが言ってくれるだけで、救われる気がするのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。