「印鑑を押すだけ」の毎日が心を削っていく
登記の完了書類に、淡々と印鑑を押していく日々。それが仕事だと言ってしまえばそれまでだが、どこか心にぽっかり穴があいたような感覚がある。朝から晩まで依頼者のために動いて、書類を整え、決められた印を押す。それなのに、なぜだか「自分がこの仕事に意味を見出せているのか」自信が持てなくなっている自分がいる。まるで、感情を機械的に殺して効率化された業務の一部になってしまったような、そんな感覚に苛まれる。
形式は満たしても、気持ちは置き去り
司法書士の仕事には、正確さとスピードが求められる。特に登記業務では、わずかなミスが大きな損害を生む。だからこそ、感情を排して「正しく、速く」を徹底してきた。でも、ある日、クライアントから「もっと親身に相談に乗ってくれる先生もいるんですね」と言われて、ガツンときた。自分では丁寧にやってきたつもりだった。でもそれは、相手の心には届いていなかった。形式を満たすだけでは、人の心までは支えられないことを痛感した瞬間だった。
手続きは完了しても、クライアントの顔が浮かばない
印鑑を押してファイルを閉じる。これでまた一件完了。でも、ふと気づくと、その依頼人の顔が思い出せないことがある。何を話したっけ？ どんな表情をしていた？ 心を交わした記憶が薄いのだ。業務は確実にこなしているはずなのに、人と人とのつながりがすっかり希薄になっている。それは事務的な日常がもたらす弊害であり、まさに「心を押し殺して」いる証拠なのかもしれない。
「これで良かったんだろうか」と心の声が聞こえる瞬間
ときどき夜遅く、誰もいない事務所で書類の山を見つめながら思う。「これで良かったんだろうか」と。もっと話を聞いてあげるべきだったんじゃないか。もっとゆっくり説明すればよかったんじゃないか。そんな後悔のような反省のような感情が、押印の残像とともに押し寄せてくる。結果だけが残る仕事の中で、置き去りにされた気持ちの声が、小さくしかし確かに響いてくる。
事務所の中で、誰にも話せない本音
一人事務員を雇っているとはいえ、経営者としての重圧や、精神的な悩みはなかなか口に出せない。事務員の前では「ちゃんとした代表」でいなければと思うから、本音をこぼす場面がない。ちょっとした悩みでも、結局は心の中に溜め込んでしまい、気づけばそれがストレスになっている。愚痴をこぼす相手もいないまま、また新しい依頼に向き合う。そんな日々が続いている。
事務員には言えない、代表としての孤独
たとえば「経営がちょっと不安だな」とか「依頼が少ない月が怖い」なんてことは、事務員にはとても言えない。彼女にも生活があるし、心配させたくない。でも、本音は「ちょっと愚痴を聞いてほしい」だけだったりする。司法書士という肩書きが重たく感じる夜、自分が本当はとても孤独な場所に立っていることを思い知る。責任感という仮面の裏で、ふと涙がこぼれそうになるときさえある。
電話を切った後の溜息が、積み重なっていく
依頼人との電話が終わるたびに、無意識に深いため息をついていることに最近気づいた。それは単なる疲労だけでなく、「本当はもっと人間らしいやり取りがしたかった」という無意識の欲求かもしれない。事務所という小さな箱の中で、声と書類だけが飛び交い、感情が削られていく感覚。そのひとつひとつが積み重なり、どんどん自分の内面が消耗しているのを感じる。
仕事が生活を支えても、心は支えきれない
収入があること、生活が成り立つこと、それ自体はありがたい。でもそれだけでは心が満たされないという現実にも、気づき始めている。何かを提供して、感謝されて、それでこちらも嬉しくなる——そんな理想は、いつの間にか事務処理と納期に追われてかき消されていた。生活のための仕事になったとき、仕事が心の支えにはならなくなった。
「依頼がある＝幸せ」ではない現実
以前は、依頼がたくさんあると嬉しかった。頼られていると感じたし、自分の存在意義にもなっていた。でも今では、依頼があること自体にプレッシャーを感じることがある。こなさなければいけない案件が増えるほど、気持ちは置き去りにされ、ただの「処理要員」になっていくような錯覚すら覚える。幸せの形が、年齢や経験とともに変わってきているのかもしれない。
繁忙期に感じる、理由のない空虚さ
年末や3月といった繁忙期、書類の山に追われるなかでふと感じる「なんでこんなにやってるんだっけ？」という感覚。以前なら達成感があったのに、今はむしろ「終わったあとに何が残るんだろう」と考えてしまう。やりがいとは何か、誰のためにやっているのか——そんな根本的な問いが、ふとした瞬間に頭をよぎるようになった。
時間に追われ、感情に蓋をする日々
締切、納期、期日——司法書士の仕事には時間との戦いがつきものだ。だからこそ、感情に蓋をして「今やるべきこと」だけに集中しようとする。でもそれが積み重なると、喜怒哀楽すら感じにくくなる。忙しさが麻酔になり、感情を鈍らせる。気づけば、感動もしなくなっている。仕事に飲み込まれて、自分が何者だったかも分からなくなりそうになる。
「早く終わらせなきゃ」が口癖になったころ
書類を目の前にして「早く終わらせなきゃ」とつぶやく自分に、ふと違和感を覚えたことがある。昔は「ちゃんとやろう」「丁寧に進めよう」と思っていたのに、いつの間にか効率だけを求めるようになっていた。仕事の質よりも速度ばかりを意識するようになった今、失ってしまった何かがあるような気がしてならない。
それでも手を止められない理由
心が疲れても、愚痴が増えても、それでもこの仕事をやめようとは思わない。どこかで「必要とされている」と感じていたいし、この町の中で役割を果たしていたいとも思う。そう思える限り、たとえ小さな違和感を抱えながらでも、印鑑を押し続けるしかないのかもしれない。
誰のために働いているのか、自分に問うとき
毎日忙しさに流されるなかで、ときどき自分に問いかける。「これは誰のための仕事なんだろう？」と。依頼者のため、事務員のため、生活のため、そして自分のため——そのすべてであって、そのどれでもないような気もする。正解のない問いかけを抱えたまま、今日もまた仕事机に向かっている。
「誰かの役に立っている」だけでは足りないと気づいた日
ある日、ふと「ありがとう」と言われた。でもその言葉が、なぜか響いてこなかった。「役に立てた」という事実があっても、それが自分の心に届くわけではないのだと気づかされた瞬間だった。人のために尽くすだけでは、自分の心までは満たされない。そのことに気づくのは、意外と遅かった。
それでも、今日も印を押す
どんなに迷っても、どんなに疲れていても、結局のところ今日もまた印鑑を手にしている。それがこの仕事の現実であり、自分の選んだ道だ。でもせめて、小さな違和感を見逃さずにいたい。心を押し殺すことに慣れてしまわないように——印鑑は押せても、心までは押せない。その言葉を胸に、明日もまた机に向かおうと思う。
