誰も口を開かない40分──公正証書作成の現場で起きた静寂

誰も口を開かない40分──公正証書作成の現場で起きた静寂

40分間、誰も喋らない──あの日の空気を忘れられない

「じゃあ、始めましょうか」。公証人のその一言を最後に、場の空気が完全に止まった。依頼者もその相続人も、公証人も、そして私も、誰一人として一言も発しないまま、ただ書類を目で追い、時折頷くだけ。40分もの間、まるでそこにいた全員が同じタイミングで声を失ったかのようだった。正直、地獄のような時間だった。

まるで時間が止まったかのような静寂

時間の感覚が狂っていく。10分経った頃から、私は時計を何度も確認していた。全員が静かに座っているのに、なぜこんなにも緊張感が漂うのか。誰かがため息のひとつでもついてくれれば、少しは楽になっただろう。だが、全員が言葉を選びすぎて何も言えない状況になっていた。

依頼者も相続人も公証人も…全員が黙っていた理由

依頼者と相続人の間には、明らかに何かしらのわだかまりがあった。しかしそれを口に出せば、場が壊れる。その微妙なバランスを、みんな無意識に保っていたのだろう。公証人もその空気を察してか、淡々と業務を進めるだけ。私も、話を振っていいのか迷い続けたままだった。

沈黙の中で進む筆記と視線のやりとり

紙のめくれる音、ペンの走る音、それだけが空間を支配していた。顔を上げると誰かと目が合う。その度に軽く会釈し合うのだが、それ以上の言葉はない。視線だけで感情を読み合うような、妙に神経を使う時間が続いた。公正証書の作成って、こんなにも精神的に疲れるものなのかと痛感した。

私はひたすら目を泳がせていた

私にとっては「喋らない=役に立っていない」という感覚がある。でも、この場では何も言わないことが正解かもしれない。そう思えば思うほど、何もできない自分に腹が立ち、情けなくなった。結局、私はただ空気を読むフリをしながら、天井や書類や人の顔を目まぐるしく見ていただけだった。

地方の司法書士、話し相手は基本いない

こういう出来事の後に、感情のやり場がないのがつらい。都市部の大きな事務所なら、同僚と「今日さー」なんて愚痴を言えるのかもしれない。でも、うちは田舎の個人事務所。話し相手といえば、事務員さん一人。しかもその人も忙しそうで、私のくだらない話に付き合わせるのも気が引ける。

事務員さんも忙しくて愚痴る相手がいない日々

帰ってきて「いや〜今日さ、誰も喋らないの。地獄だったわ」と話しかけても、「あ、そうなんですかー(キーボードカタカタ)」と軽く流される。それが悪いわけじゃない。でも、たまには誰かと無駄話がしたい。ちょっとした会話で、自分の気持ちを整理したり、笑ったりしたい。

相談は多いのに、心の中は逆に孤独になる

相談は毎日のように来る。でも、それは「司法書士として」の私への相談であって、「私個人」への関心ではない。誰かの困りごとを聞いて、助けて、解決して、それで終わり。私の話を聞いてくれる人はいないし、自分の悩みを語る場もない。そんな日々が、静かに心をすり減らしていく。

「先生」って呼ばれても実際はぜんぜん偉くない

「先生」と呼ばれると、なんとなく応えなきゃいけない気がしてしまう。頼りにされるのは嬉しい。でも実際のところ、全部が全部完璧にこなせるわけじゃないし、内心は不安でいっぱいだったりもする。それを表に出さないだけで、偉そうに見えるのなら、それも少しつらい。

公正証書の立会は「精神戦」だと思っている

形式上はただの確認と読み合わせ。でも、そこには人間関係、感情の火種、立場の違いがぎっしり詰まっている。ちょっとした表情の変化で場の空気が変わる。立ち会う司法書士には、空気を読む力と、絶妙な距離感が求められる。まさに「しゃべらない力」が試される瞬間だ。

ひと言の選び方が全てを左右する

「何かご質問はありますか?」という一言が、時に場を救い、時に余計な火種になる。言葉一つで関係性が変わるから、気が抜けない。沈黙に耐えかねて何かを口にしても、それが裏目に出れば後悔しか残らない。だからこそ、私はどこまで踏み込むべきか、毎回悩み続けている。

場を和ませるのか、黙って通すのか

昔は無理にでも場を和ませようとしていた。でも今は違う。空気がピリついていても、それが必要な沈黙なら、壊さないようにしている。ただ、その見極めがとても難しい。相続人同士が目を合わせないような案件では、下手に場を明るくすると逆に失礼になることもある。

結局、答えなんか出ないから毎回悩む

毎回「今回はこれで良かったのか」と反省してばかり。でも、経験を積んだからといって明確な正解があるわけでもない。場の空気も人も毎回違うし、同じような案件でも雰囲気は全然違う。だからこそ、この仕事はやりがいもあるし、しんどさも尽きない。

それでもやっぱり、この仕事が嫌いになれない

たとえ沈黙が苦しくても、孤独を感じても、それでもやっぱり司法書士の仕事が好きだ。誰かの人生の節目に立ち会える。たとえ感謝されなくても、「ちゃんと済ませられてよかった」と思ってもらえることがある。それが、地味だけど確かなやりがいになっている。

ひとつひとつの案件が人の人生に直結してる

不動産の登記も、遺言書の作成も、どれも人の人生と深く関わっている。それを忘れそうになる瞬間もあるけれど、時折ふと「ああ、今ちゃんと支えてるんだな」と思えることがある。そういう瞬間が、しんどさを帳消しにしてくれる。だから、もう少しだけ続けてみようと思える。

感情を表に出さないのが、信頼につながる場面もある

感情を表に出さず、黙って仕事をする。それが正しいとされる場面が、司法書士には多い。自分の中ではいろいろ思っていても、それを表に出さないことで安心感を与えられることがある。自分を抑えることが信頼になるというのは、なかなかしんどいが、やっぱり大事なことだ。

そして時々、静寂の中で得られる共感もある

無言のまま書類を読み終えた依頼者が、帰り際に一言「今日はありがとうございました」と言ってくれたことがある。その一言だけで、「あの沈黙は間違いじゃなかった」と思えた。沈黙の40分は決して無駄ではなく、意味のある時間だった。そんな日があるから、また次も頑張れる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。