ある日届いた遺言書
それは、思いもよらぬ形で届いた。茶封筒に入った一通の遺言書、差出人は亡くなったばかりの資産家、佐伯誠司。確かにあの人の死後、相続の話は出ていたが、すでに公正証書遺言が確認されていたはずだった。
「どういうことだ……?」とつぶやきながら、俺は封筒の糊付けをゆっくり剥がす。封を切ると、そこには見慣れない筆致で綴られた遺言書が現れた。いや、どこかで見たような気もする。
封筒の中の違和感
中身を読んで、思わず眉をひそめた。文章の内容は、以前見た公正証書の内容とは明らかに異なっていた。しかも、日付が死の直前。まるで生前最後の意思のように見えるが、封筒にある消印は一週間前の日付。
「消印が日付より古いってことは……おかしいですね」と、後ろからサトウさんの声がする。いや、冷たい視線のほうが先に刺さったかもしれない。
依頼人は静かに笑った
依頼人は佐伯の次女、美智子。整った顔立ちに似合わぬ、どこか乾いた笑みを浮かべていた。「父の遺言は、最後に書いたものが本当です。そうですよね、司法書士さん」
「ええ、法的にはね。ただし、その“最後に書かれた”のが本当に本人のものなら、の話ですが」そう言いながら、俺はもう一度、封筒の縁を指でなぞった。どこか、引っかかる。
サトウさんの冷たい指摘
事務所に戻ると、サトウさんはすでに遺言書のコピーを並べて比較していた。俺の言葉を待たず、「筆跡、微妙に違います。画数の多い漢字で差が出てます」と冷静に言う。
その指差す先には、「誠司」の「誠」の文字。確かに、ハネが甘い。公証役場で記録されていたものと比べると、明らかに素人の手によるものだった。
筆跡の不自然さに気づく
「やれやれ、、、まーたこういう面倒なことになるのかよ」と俺は天を仰いだ。いつから俺は“遺言探偵”になったんだっけ?
「公証人に連絡して、記録された遺言のコピーをもらいましょう。念のため、印影も」とサトウさんが淡々と進行を促す。その顔には、もはや諦めの色すらなかった。
やれやれ、、、またかよ
サザエさんで言えば、また波平がカツオの宿題を見つけたようなもんだ。やったはず、出したはず、だけどやってなかった。今回の遺言も、きっと誰かが“やったつもり”だったのだ。
俺の仕事は、それを見つけて、暴くこと。それが面倒だろうが、誰も褒めてくれなかろうが、やるしかない。
謎の証人登場
数日後、事務所に見慣れない男が現れた。黒縁メガネに安いスーツ。だが口調だけはやけに堂々としていた。「私が、佐伯先生の遺言書に立ち会いました」と断言する。
聞けば、亡くなる二日前、佐伯氏に呼ばれ、部屋で遺言を書いたのだという。筆跡を疑われると、証人は自信満々に「本人直筆です」と答えた。
喫茶店で語られた記憶
証人はその場で帰らず、喫茶店で俺に話し続けた。「先生は、娘さんには何も残さないと言ってました。最後に心変わりしたんでしょう」
しかし、コーヒーを啜る手がやけに震えていた。俺はその震えが気になって、会話を続けながら携帯でこっそり録音を始めた。
嘘か真か分からぬ証言
「録音されてますよね? 気づいてますから」男が笑った。俺は咳払いしてごまかす。「まあ、用心深くてね。ついクセで」
証人は最後にこう言った。「本当のことなんて、もう誰にもわからないんですよ。先生が墓場まで持っていったんです」それは、意味深な一言だった。
過去に戻る公証の記録
公証人役場で記録を確認すると、驚くべき事実があった。実は三ヶ月前、佐伯誠司は全財産を美智子の姉に譲る内容の遺言を作成していた。
しかも、きちんと二人の公証人が立ち会っており、録音データも保管されていた。それは紛れもない本物だった。
公証人役場のファイル
「これが“本物”です」と渡されたファイルには、佐伯の老いた声がしっかりと記録されていた。「金を持ってると、ろくなことが起きない」と何度もつぶやいていた。
そのつぶやきのあと、美智子という名前が出たときだけ、ひどく語気が強くなっていた。何かあったのだろう。血のつながりでは拭えないものが。
二通目の遺言が示すもの
二通目の遺言は、すべて偽物だった。筆跡も、証人の証言も、日付も。すべて辻褄が合わない。
サトウさんは静かに言った。「これ、娘さん本人が書いたんじゃないですか。自分で“書かせた”というより、“書いた”可能性のほうが高いです」
うっかりミスと逆転の糸口
俺が気づいたのは、遺言書に貼られた収入印紙の消印だった。消印が、存在しない郵便局のものだったのだ。「そんな名前の局、うちの市にはありませんよ」
俺のうっかりしたミスが、結果として一手先を見抜く鍵になったらしい。野球部の頃もそうだった。送球ミスが結果オーライになるタイプ。
日付欄の秘密
遺言書の日付、「六月三十一日」。そんな日付、あるわけがない。なのに誰も気づかなかった。急いで書いた証拠だ。サトウさんの指摘でそれが決定打となった。
「焦ってたんでしょうね」と彼女は言う。「バレないとでも思ったんでしょうか。バカですね」塩対応にもほどがあるが、頼りになる。
サトウさんの一喝
俺がうっかり「もしかして本当に心変わりした可能性も…」と呟いた瞬間、サトウさんは書類で俺の頭を叩いた。「今さら何言ってるんですか。軟弱ですね」
……昔、野球部の監督にも似たようなこと言われた気がする。なんだか、あの頃に戻ったような気分だった。
明かされた改ざんの真相
最終的に、美智子は自筆偽造と私文書偽造で告発された。証人だった男は、実は借金のカタに頼まれて口裏を合わせていただけの無職男だった。
俺たちは報告書をまとめながら、コーヒーを飲んだ。「終わりましたね」と言うサトウさんに、俺はボソリと返した。「やれやれ、、、疲れた」
真犯人の目的とは
動機は単純だった。金、そして姉への対抗心。佐伯氏はそれを見抜いていたからこそ、遺言に美智子の名を入れなかったのだ。
人は死ぬ間際に、本音を出す。俺も、最後の瞬間くらいは正直になりたいもんだ。……まあ、その前に誰かに看取られないと意味がないが。
本当の遺志を残すということ
遺言とは、言葉ではなく、想いを残すものだと俺は思う。法律はその形を整えるだけだ。肝心なのは、想いの強さ。
「司法書士って、報われませんね」とサトウさんがまた冷たく言う。俺は思わず笑った。「ほんとだな、、、でも、面白いよ」