「登記が間に合わない」と泣かれて、心の中も締め切られた日。

「登記が間に合わない」と泣かれて、心の中も締め切られた日。

突然の電話、「泣かれても…」と思いながら受けた一本

その日は、朝から依頼の確認と補正の連絡に追われていた。昼過ぎ、スマホが鳴り、何の気なしに出た一本の電話が、妙に湿った声だった。「登記、どうしても明日までに…間に合わないと売買できないんです…」そう言って、相手は電話口で泣き出した。正直、気持ちはわかる。でも、泣かれても、どうにもならないこともある。こっちだって、魔法使いじゃない。とはいえ、その一言がずしりと重く心にのしかかった。

売買契約は明日、登記はまだ準備段階

聞けば、売主と買主の間で明日契約予定で、買主は住宅ローンの承認が降りたばかり。しかし必要書類がまだ揃っておらず、権利関係の整理も不完全。そもそも登記原因証明情報も未着。そんな状況で「なんとかなりませんか」と泣かれても、こちらとしては「どうしようもない」というのが正直な感想だ。でも、それをそのまま伝えられないのがつらいところだ。

「間に合わないとダメなんです!」と詰め寄られる夜

夕方になり、また同じ方から電話が来た。「明日じゃないと契約が流れるんです、お願いします!」と懇願される声。焦りと不安がそのまま声になっていて、こちらもその圧をまともに受けてしまう。できることは限られているのに、こちらの対応がすべての責任を背負わされているような感覚になる。そして、電話を切った後、ぐったりと椅子に沈み込んだ。

“司法書士ならなんとかしてくれる”という期待の重さ

「先生にお願いすれば何とかなると思って…」そう言われるたびに、背筋が凍る。期待されること自体はありがたい。でも、その期待が、こちらの体力や精神力を削っていく。現実には限界があるし、どうにもならないことだってある。でも、それを「専門家だから」と一言で片付けられるのがつらい。期待と信頼の境目で、何度も自分を責めてしまう。

誰かの人生がこっちの肩に乗っかってくる感じ

売買登記の場面は、単なる事務処理ではない。多くの場合、買主にとっては人生最大の買い物、売主にとっては大きな決断の結果だ。その重みが、時にこちらに一気に押し寄せてくる。たとえ契約書に「登記は間に合う範囲で」と書いてあっても、現実には「なんとかしてよ」という空気が漂う。責任の所在が曖昧なまま、プレッシャーだけが濃くなる。

土日祝日関係なく、胃がきゅうっとなる瞬間

不動産登記の納期は、なぜか金曜日や連休前が多い。書類が揃わず、連絡もつかず、でも期限は迫ってくる。そんなときに胃がきゅうっとなる瞬間がある。休日でも「先生、どうなってますか?」というLINEが届く。誰かの安心のために動いているのはわかっている。でも、それに応えられる保証もない中で動くのは、本当にしんどい。

表には出ないけど、裏で命削ってるような感覚

相談者や関係者には、なるべく穏やかに話すよう心がけている。でも実際は、申請の段取りや確認、法務局とのやりとり、細かい補正…その全部が神経をすり減らす作業。見た目はただの事務作業でも、心の中では常に“締切”との戦いが続いている。誰にも見えないところで、必死に動いていることを、誰か一人でも理解してくれたら救われるのだけれど。

時間との戦い、でも時計は味方してくれない

書類が届くのを待ちながら、法務局の受付時間を何度も確認する。間に合うか間に合わないかのギリギリを攻めるのは、慣れているとはいえ神経がすり減る。しかも、予定どおりにいくことは稀だ。そんな中で「お願いします」とだけ言われて、誰にも愚痴もこぼせず、黙って進めるのが司法書士という仕事なのかもしれない。

「プロでしょ?」と追い詰められる現場の実情

「プロなんだから、なんとかしてくださいよ」――そう言われるとき、こちらの胸にざらっとした感情が広がる。そう、プロだ。だからこそ無理なことは無理だとわかってしまう。そしてその「わかっている」という事実が、自分自身を一層苦しめる。

プロだからこそ、無理なものは無理とわかっている

申請期限、書類の整合性、相続人の戸籍不備…。ひとつひとつが論理的に判断できるからこそ、「無理だ」と割り切れる。でも依頼人にそれを言えば、「やる気がない」「冷たい」と思われることもある。こっちは感情を押し殺して説明しているのに、伝わらないことの方が多い。わかっていても、やっぱりこたえる。

でも、依頼人にそれを言う勇気が持てない日もある

「間に合いません」と伝える瞬間、何度も言葉を選ぶ。「何とかしてくれ」と言われた過去の経験が、喉の奥で引っかかってくる。断ったら信頼を失うんじゃないか、悪評が広まるんじゃないか。そんなことを考えながら、今日もまた“できる範囲でやります”という曖昧な言葉を選んでしまう。

事務員には心配かけたくなくて、さらに孤独が深まる

事務所に戻っても、愚痴をこぼせる相手はいない。事務員にまで心配かけたくないし、彼女だって気を遣ってくれているのがわかる。だから「大丈夫です」と笑ってみせる。でも、その笑顔の下に溜まっていくものが、自分でも怖くなる。

「大丈夫です」と嘘をつく自分に疲れる

実は全然大丈夫じゃない日がほとんどだ。それでも、誰にも見せられないから「大丈夫です」と口に出す。それが習慣になってしまっている。気づけば、本音を出すこと自体が怖くなってきていて、それもまたしんどい。

一人きりでこぼす愚痴すら、飲み込んで終わる

帰り道、車の中で「ふざけんなよ」とつぶやいてみる。でもそれを誰かに聞いてもらうわけでもない。ただ、口に出すだけで少しだけ気持ちが落ち着く。誰にも言えない愚痴が、静かに積もっていくのを感じながら、それでもまた翌朝、普通の顔で事務所のドアを開ける。

それでも、今日も登記に向き合う理由

そんな日々の中でも、「助かりました」の一言に救われることがある。ほんの一瞬でも、「やっていてよかった」と思える瞬間がある。それだけで、また明日もこの机に向かう理由になる。

「助かりました」の一言が、ほんの少し救ってくれる

あの日、泣いていた依頼人から数日後、「間に合わせていただいて本当にありがとうございました」と言われた。その瞬間、背中に貼りついていた重圧が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。報われないと思っていた日々が、ほんの一言で救われることもある。それが、この仕事を続ける支えになっている。

同じように誰かのために踏ん張ってるあなたへ

この仕事は、孤独で、理不尽で、報われないことも多い。でも、あなたが頑張っているのは、きっと誰かの人生の節目を支えているから。もしあなたも「泣かれても困るよ」と思いながらも動いているなら、それはもう十分立派だ。あなたのその一歩が、きっと誰かの未来を支えている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。