司法書士のしごと、現場のリアル

司法書士のしごと、現場のリアル

なぜ司法書士になったのか?今さら振り返る原点

司法書士という仕事にたどり着いた理由なんて、今となっては思い出すのも少し気恥ずかしい。正直に言えば、「独立できるから」とか「人の役に立つ仕事だから」なんて理由を口にしていたけれど、実際は「食っていけそう」という打算がかなり大きかった。大学を出て就職した会社での生活はあまりにも合わなくて、逃げるように資格の世界に入った。ただ、合格した時は嬉しかった。これで自分の人生が少しマシになるかもしれない、そんな希望が見えた気がした。

資格取得までの道のりと「思ってたのと違う」現実

資格を取るまでは、淡々と机に向かう日々だった。働きながらの受験だったから、通勤電車の中でもテキストを広げ、昼休みにも過去問を解いていた。あの頃の自分は、ただひたすら前だけを見ていた。でもいざ合格して開業したら、勉強とは全然違う世界が待っていた。知識じゃなく、交渉力、対応力、営業力が求められる。ある意味、試験勉強は「現場の役に立たない」ことばかりだったと痛感した。

勉強中の幻想と現場とのギャップ

受験生のときには、合格さえすれば人生が開けると信じていた。でも実際は、スタート地点に立っただけだった。研修も終わって、最初の登記の依頼を受けたとき、法務局に出した申請書類が補正になって戻ってきた。震える手で訂正印を押しながら「これが現実か」と思った。学んできたことが使えないわけじゃない。でも、それだけじゃ通用しない。

合格した日の喜びと、その後の不安

今でも覚えている。合格発表の日、番号を見つけたときは涙が出た。親に電話して泣きながら報告した。あの瞬間はたしかに人生で一番の達成感だった。でも、次の日から「どうやって食っていくか」という不安が押し寄せた。同期の中にはすぐに事務所に入る人もいたけど、僕は地元に戻って独立を選んだ。今思えば、あまりに無謀だったかもしれない。

独立開業したけど、バラ色なんかじゃない

「自分の城を持てる仕事」なんて言われるけど、その城の中には誰もいない。看板を出したら仕事が舞い込んでくると思っていた。甘かった。開業してから半年、電話は一本も鳴らず、冷蔵庫の中にはもやしと卵だけ。事務所に泊まることも多かった。最初の1件目の登記をもらったときは、泣きそうになった。開業はゴールじゃない、地獄の始まりだった。

「自由」と「孤独」はセットです

確かに時間の自由はある。昼に風呂に入れるし、平日に映画だって行ける。でもその自由の裏には、「誰も助けてくれない」という孤独がある。誰にも相談できない。間違えても自分で責任を取るしかない。誰かに文句を言いたくても、言える相手がいない。それが経営者であり、司法書士の現場なのだと思う。

誰も褒めてくれない日々

昔、会社勤めをしていた頃は、資料を出せば「ありがとう」と言われた。いまは、どれだけ頑張ってもそれが当たり前と思われている。登記が完了しても、感謝の言葉はない。逆に、ちょっとした記載ミスには厳しい声が飛んでくる。心がすり減る。でも、誰も見ていない中でちゃんとやること、それがこの仕事の本質なんだろう。

請求書を出すのも気を遣う

「思ったより高い」と言われるのが怖くて、請求書の金額を下げたことが何度あるか分からない。特に顔なじみの依頼人には、もう言い値に近い形で出してしまうこともある。本当はダメなんだろうけど、「次があるかもしれない」と思うと強く出られない。こういうところで、経営者としては失格かもしれない。

事務員さんひとり、経営と現場の二刀流

ありがたいことに、事務員さんがひとり手伝ってくれている。でも、それはそれでプレッシャーもある。ミスが起きたら責任は僕にくるし、体調を崩されたら事務所が止まる。小さな事務所は本当に脆い。そして、感謝もしているけど、心のどこかで「辞めないでくれよ…」と毎日祈っている。

人件費が痛い、でも一人じゃ無理

月末になると、通帳残高とにらめっこだ。正直、自分の給料を削ってでも人件費を払っている月もある。でも、自分一人ではもう回らない。電話も、登記準備も、郵送も、すべて一人でやっていた時期は過労で倒れかけた。雇うことはリスクでもあるが、孤独で潰れるよりはマシだった。

「辞められたら終わり」のプレッシャー

小規模事務所にとって、スタッフが辞めるというのは「業務停止」に近いインパクトがある。だからつい、気を遣いすぎる。風邪でも引いたら「無理しないで」と言いながら内心ヒヤヒヤしている。スタッフの誕生日にはケーキも用意する。形式的に見えても、気持ちは本気だ。

労務管理の素人が雇用主をやる矛盾

司法書士の試験には、労務の知識なんて出てこない。でも、雇った瞬間に「雇用主」になる。給料計算、年末調整、有休の管理。知らないとまずいことばかり。税理士さんに聞きながら、毎月なんとかやっているけど、ほんとうはもっとちゃんとしなきゃと思っている。でも、時間がない。余裕もない。

クライアント対応は疲れる、でも避けられない

電話が鳴るたびに身構える。「簡単な相談なんですけど…」という言葉の後には、だいたい面倒な依頼がぶら下がっている。でも、断れない。田舎の司法書士は顔が見える関係が多くて、ひとつの噂が次の仕事を呼んだりもするから、印象は大事にせざるを得ない。結果、胃が痛くなる。

優しい顔して無理なことを言ってくる

「簡単な名義変更でして」なんて笑顔で話す方の案件が、調べてみたら共有名義に未成年が絡んでいたり、登記簿の名義が抜けていたりすることがある。事情を説明しても「そんなの関係あるんですか?」と返される。怒りたいけど怒れない。優しさの仮面をかぶり続けるしかない。

「ちょっと聞きたいんだけど」が一番怖い

コンビニの帰り道、近所の人に呼び止められて「ちょっと聞きたいんだけどさぁ」と始まる相談が、1時間を超えることもある。報酬はゼロ。しかも、その話が結局案件にならないことも多い。でも、無下にできないのが地方のつらさ。断るのも気を遣うし、対応するのも体力が削られる。

土日もスマホが鳴るという地獄

「土日もやってますか?」と聞かれて、つい「対応できますよ」と答えてしまう。その結果、土曜日の朝9時に電話が鳴る。布団から飛び起きて対応しながら、「なんでこんな生活してるんだろう」と思う。でも、いつか誰かが見てくれると信じてやっている。それだけ。

それでも続けている理由

毎日疲れる。報われないと感じることも多い。それでも、この仕事を辞めようと思ったことはあまりない。やっぱり、誰かの「助かったよ」という言葉に救われているのだと思う。自分が頑張ることで、誰かの人生の一部を支えられている。そう思える瞬間がある限り、まだやっていける。

誰かの役に立ってる気がする瞬間

亡くなったご家族の相続手続きを任されたとき、依頼者の方が最後に「これで気持ちの整理がつきました」と言ってくれた。あの一言が、3ヶ月間のやり取りのすべてを肯定してくれた気がした。この仕事は派手じゃない。でも、人生の節目に関われる重みがある。自分が必要とされる場所が、ここにはある。

ありがとうと言われた日は救われる

「助かりました」「本当にありがとう」と言われた日は、どんなに疲れていても少しだけ笑顔になれる。人の言葉には力がある。愚痴ばかりこぼしている自分だけど、そんな一言があると「まだ頑張ってみよう」と思える。だから、今日も机に向かう。

後輩や受験生へのメッセージ

これから司法書士を目指す人たちに伝えたい。仕事は想像以上にしんどいし、想像以下に儲からない。でも、それでもやりがいはある。真面目に、丁寧に、心を込めて仕事をしていれば、必ず誰かに届く。自分も、今でもまだ道半ばだけど、一緒に頑張っていけたらと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。