セミナー講師の依頼が舞い込んできた日
いつものように地味な書類整理をしていた午後、一本の電話が鳴った。「司法書士の○○さん、ぜひセミナーで話していただけませんか?」。最初は冗談かと思った。なんせこちら、地方の小さな事務所で、話すことといえば登記の進捗か、年季の入ったプリンタの調子くらい。だが、相手は本気だった。断る理由も特に思いつかず、「あ、はい……」と返事してしまった。それが、地獄の始まりだった。
地方の小さな事務所にも突然やってくる「晴れ舞台」
「なんで俺なんだろう?」というのが正直な感想だった。大手の司法書士法人でもなければ、SNSで人気というわけでもない。ただの45歳、独身、愚痴の多い司法書士に、誰が話を期待しているのか。とにかく、数少ない“目立てる場”ではあったので、どこかで少し浮かれていたのも事実だ。でもその浮かれは、準備に入った瞬間、見事に砕け散る。
断り切れない雰囲気に押されて「はい」と言ってしまった
電話口の担当者がとても丁寧で、熱心だった。「実務のリアルな声を届けたいんです」と言われれば、こちらもつい“世のため人のため”的な気分になってしまう。まるで恋愛の告白を断れず付き合い始めてしまうような、そんな流れ。あとになって、「いや、俺、人前で話すのとか向いてないんだけど」と後悔するのは、恋愛と同じ。つまり自業自得。
誰かに認められたような気がして、少しだけうれしかった
それでも、一瞬だけ誇らしい気持ちはあった。「地方の無名司法書士でも頼られることがあるんだな」と思った。でもその感情も、資料作成に取りかかってすぐに打ちのめされる。「話すこと、何もない……」。それに気づいたとき、誇りなんて一瞬で消えた。ただの焦りと不安に包まれることになる。
資料を前にして固まる頭と空っぽの心
パソコンの前に座り、PowerPointを開いたはいいが、1ページ目すら埋まらない。業務内容? いやいや、相続登記の流れなんて、誰が聞きたいのか。エピソード? いや、感動する話なんて一つもない。事務所で起こるのは「プリンタの紙が詰まった」とか「印鑑の押し間違い」とか、そんな話ばかり。こんなんで1時間持たせられる気がしない。
話すことが…ない!?という現実に直面
目の前にあるのは真っ白なスライド。心の中も真っ白。「自分って、こんなに空っぽだったんだ」と思い知らされる時間だった。業務に追われる日々の中で、自分が何を考えて、何を感じて働いていたのか、まったく整理できていなかった。まるで日々をこなすだけのロボットだったような気分。思い出せるのは疲れた顔の自分ばかりだった。
過去の仕事を振り返っても「語れるようなエピソード」がない
確かに、司法書士という仕事は地味だ。淡々と、確実に、間違いなく進めることが求められる。だからこそ、人に話して盛り上がるようなネタは少ない。感動的なドラマより、地道な確認作業のほうが多い。だから振り返っても、せいぜい「期限ギリギリでなんとか登記完了した」とか、「お客さんにお礼を言われてちょっと嬉しかった」くらいの話しかない。
やってる仕事の9割が地味すぎるんですよ、ホントに
ぶっちゃけて言えば、感動的な話なんて、年に1回あればいい方だ。しかもそれを“語れるように”するには、かなりの脚色が必要になる。そんな器用なことはできない。嘘はつきたくないし、変に持ち上げるのも性に合わない。正直に話せば話すほど、地味で、地味で、地味すぎて、聴いてる人は眠くなるんじゃないかと心配になる。
開き直って原稿を書き始めた夜
そんなこんなで数日が過ぎ、ついに開き直ることにした。「もう正直に、愚痴っぽく話してしまおう」と。どうせ偉そうなことも言えないし、格好つけたってバレる。だったら自分らしく、失敗やしんどさをそのまま話そう。そう決めたとき、不思議と少しだけ気持ちが軽くなった。「俺でも話せることがあるかもしれない」と思えたのは久しぶりだった。
できることは“正直に話す”ことだけだった
うまく話すことよりも、正直に話すこと。開業当初の不安、初めての相続登記で冷や汗をかいた話、事務員さんに助けられた話…。派手ではないけれど、“誰かの失敗の予防”にはなるかもしれない。話を聞く側だって、完璧な成功例よりも、リアルなつまずきのほうが自分ごととして感じられる。そう思って、静かにキーボードを叩いた。
「いい話」じゃなくて「しんどかった話」なら山ほどある
「おいしい話」はできないけど、「苦かった話」なら腐るほどある。たとえば、印鑑証明をもらい損ねて登記が遅れたこと。お客さんの前で噛みまくって赤っ恥をかいたこと。報酬をもらうのが申し訳なくなって値引きして後悔したこと。どれも恥ずかしいけど、それこそが現場のリアルだ。そんな話をあえて“話してみる”ことにした。
成功よりも失敗に人は共感する…と信じたい
自分がダメだった話、うまくできなかった話を語ることで、誰かが「自分だけじゃない」と思ってくれるなら、それで十分だ。逆に、すべてが順風満帆の話なんて、聴いてる側も疲れる。だからこそ、「青ざめた日の話」こそ、人の心に残るんじゃないかと信じてみた。そんなささやかな信念を胸に、当日の朝を迎えることになる。
本番当日、汗だくで壇上へ
セミナー当日、緊張で胃が痛くなりながら会場に向かった。スーツの背中はすでに汗でびっしょり。壇上に立ち、最初のスライドを開く。開口一番、噛んだ。その瞬間、目の前が真っ白になった。でも、意外なことに、参加者たちはやさしい顔でうなずいてくれていた。完璧じゃなくても、ちゃんと聞いてくれる人はいるのだ。
セミナーを引き受けて見えた“自分の棚卸し”
終わってみれば、なんとか形にはなった。終わったあとで参加者に「リアルでよかった」と言われたときは、本当に救われた気がした。話すことがないと思っていたのは、自分の仕事を整理していなかっただけなのかもしれない。改めて、自分が積み重ねてきたことを見つめ直すきっかけになった。そう思えば、この経験も無駄ではなかった。
他の司法書士さんに伝えたいこと
この業界、目立たず、評価されにくい。でも、日々の一件一件に価値があると思う。派手さがなくても、悩んだこと、迷ったこと、そして乗り越えたことには意味がある。もしセミナーに呼ばれることがあったら、無理に“いい話”をしようとしなくていい。正直に話すだけで、十分伝わることがあると、僕は思う。
まとめ:青ざめた日が、少しだけ背筋を伸ばしてくれた
人前で話すことに慣れていない司法書士が、青ざめながらもセミナーを終えたという、ただそれだけの話かもしれない。でも、この経験は自分にとって、小さな自信になった。今もモテないし、地味な日々だけど、「少しは誰かの役に立てたかも」という気持ちは、仕事の重さをほんの少しだけ軽くしてくれた。