ある日届いた一通の相続関係説明図
その封筒は、いつものように雑多な郵便物の山に紛れていた。依頼人は、都市部に住む女性。亡くなった父親の相続について、手続きの代行を頼みたいという内容だった。特に変わったことはない――そう、最初はそう思っていた。
だが、説明図を開いた瞬間、何かが引っかかった。記載された家族構成は妙にすっきりしており、逆に不自然に感じられたのだ。
見慣れない戸籍の抜け
戸籍の束を見ていて、ふと気づく。「この人、兄弟姉妹がいないってことになってるんですよね?」サトウさんが言う。たしかに、その通りだ。だが、依頼人の話では、幼い頃に一緒に遊んだ「兄」がいたと聞いている。
「本当に最初から“いなかった”ことになってるんですかね?」サトウさんの口調は冷静だが、その目は鋭かった。
サトウさんの違和感
「司法書士さん、これ――ちょっと変です。生まれて数年でいなくなる兄なんて、そんなに珍しい話ですか?」 机に肘をついて画面を見つめる彼女の横顔には、いつもの皮肉混じりの集中力がみなぎっていた。
彼女の言うとおりだ。妙な空白。消された痕跡。そこにあるはずの名前が、きれいさっぱりない。
手書きの申述書に漂う胡散臭さ
添付された申述書は、母親の代筆らしい。だが、その筆跡はどこか不安定で、内容も曖昧だった。「ほかに相続人はおりません」「一人娘でございます」と繰り返されているが、どこか言い訳がましい。
まるで誰かに言わされているような、そんな文章。まさか、とは思いつつ、頭の中に一つの名前が浮かび上がってきた。
もう一人の長男の謎
念のため依頼人に確認すると、「そういえば昔、母が“あの子のことはもう忘れなさい”って言ったことがあった気がする」との返答。記憶の奥に引っかかっていたものが、一気に現実味を帯びてくる。
記載のない相続人。法定相続情報に“ない”名前。だが、その存在は、確かにこの家族の中にいた。
法定相続情報にない名前の正体
私は静かに立ち上がり、書庫の奥にある法務局控えのデータベースを引っ張り出した。封印されたような古い除籍謄本の中に、その名前を見つけた。昭和62年に出生、昭和67年に死亡と記録されていた。
「うわ、これ……名前だけ、抹消されてませんか?」とサトウさん。たしかに、そこだけ赤線が引かれ、訂正印が滲んでいる。
本籍地の役場を再訪する理由
気が重かったが、電話を入れた。地方の本籍地役場。予想通り、お年を召した職員が電話口に出た。やたらと手続きに慎重で、ああ、こりゃ一筋縄じゃいかんぞ、と悟った。
「やれやれ、、、夏場の出張は勘弁してほしいんですけどねぇ」とつぶやきながら、私はカバンにスーツとタオルを押し込んだ。
古い除籍簿の中の秘密
本籍地の古びた役場の中、応接室で古い除籍簿を見せてもらう。そこには、確かに“もう一人の長男”が存在していた。だが、不自然に抹消された経緯の記録がない。
担当者は「これは当時の誤記訂正の扱いですが……詳細は不明です」と言うだけだった。誤記? いや、これは意図的だ。
誰かが名前を消した形跡
その時点で、私は確信した。これはただの相続漏れではない。何者かが意図的に、その名前を戸籍から消そうとした。そして、それが成功してしまっていた。
だが、名前を消すことはできても、完全に存在を消すことはできない。法の裏を突いたその行為の背後には、利害が絡んでいる。
背後に見えた司法書士の影
記録を追っていくと、死亡届の証人欄に、ある司法書士の名前があった。私がかつて一度だけセミナーで顔を合わせた人物だ。あまり話さなかったが、なんとも言えない違和感を覚えた記憶がある。
もしや、彼が…。相続登記をシンプルにするために、存在を消した?いや、それだけじゃない。そこには報酬と口止め料が発生していた可能性がある。
サトウさんの推理と証拠の糸口
「これ、兄が亡くなったって証拠、本当に揃ってるんですか?」サトウさんがファイルを見つめながら言った。確かに、死亡診断書がない。あるのは“埋葬許可証”のみ。
その許可証も、筆跡が妙に一致していた。彼女が照合したところ、母親のものと完全一致。つまり、兄は……もしかしたら、死んでいなかった?
シンドウのうっかりが生んだ突破口
手続き用に住民票を再度取得しようとして、間違って“除票”を請求してしまった。それが転機となった。除票には転出先として、遠方の住所が記されていた。兄、生きていた――。
うっかりにも、時には意味がある。元野球部の直感というか、偶然というか、奇跡というか。
解き明かされた消された相続人
数日後、その転出先を訪ねた。そこには、静かに暮らす初老の男性がいた。「……俺のこと、探してくれたのか?」かすれた声でそう言ったその人は、まさに依頼人の兄だった。
家族に捨てられ、名前を消された男。しかし、彼はまだ生きていた。そして、正当な相続人でもあった。
やれやれ、、、本当の依頼者は誰だったのか
事務所に戻ってから、私は一人考え込んでいた。依頼人が知らなかったのか、それとも知っていて依頼してきたのか。真相は、闇の中だ。だが、彼女の母が兄の存在を消そうとしたのは事実。
「やれやれ、、、戸籍ってやつは、人の心まで書き込めるわけじゃないんですねぇ」と、独り言のようにつぶやく。
結末の静けさと、戸籍に刻まれた名前
訂正された戸籍に、彼の名前が戻された。時間はかかったが、ようやく彼は法の上でも“存在”を取り戻したのだった。報酬は少なかったが、なぜか胸は妙に軽かった。
サトウさんは「次の依頼、来てますよ」と無表情に書類を差し出してきた。
そして次の依頼がまた舞い込む
時計は午後3時。コーヒーはすっかり冷めている。だが、やるしかない。人生も戸籍も、そう簡単に整うもんじゃないんだから。
私は冷めたカップを手に、次の謎に向き合うことにした。