古びた家に届いた相談
午後三時、事務所のドアが軋む音を立てて開いた。薄暗い応接室に入ってきたのは、やけに痩せた中年の男性と、その後ろに立つ年の離れた女性。名乗った名前は「アサクラ」。兄妹だという。
話を聞くと、父親が亡くなり、古い家屋を巡って相続争いが起きているらしい。登記簿の名義は父のままだが、兄は「この家は俺のもんだ」と譲らないという。
どうにも怪しい。登記名義が変更されていない?それだけで済む話ではなさそうだ。何より、その家には妙な空気が漂っていた。
遺産相続で揉める兄妹
兄は終始苛立ちを隠さず、妹は兄を睨みつけていた。もはや争いは泥沼化しており、兄妹間の修復は不可能に見えた。二人とも「父の遺志」を盾に自分の正当性を主張していた。
「父さんは私にこの家を残すって言ってたの!」妹の声が応接室に響く。
僕は手元の相談票にメモを取りながら、ふと机の片隅に目をやった。そこにサトウさんがいつの間にか、いつものように氷のような表情で立っていた。
依頼人の目に映る違和感
依頼人の妹が持参した父親の遺書のコピーには、不自然な点が多々あった。まず日付。父の死の直前すぎる。筆跡も微妙に違う。そして何より、押印されている印鑑が法務局の登録印と異なっていた。
「この印鑑、ちょっと変ですね」サトウさんが呟くように言った。
やれやれ、、、また面倒な事件に巻き込まれたようだ。
登記簿に記された空白
登記簿の写しを見ると、たしかに現在の名義人は亡くなった父親で止まっている。ところが、その登記簿の地目欄に奇妙な空白があった。住所変更の登記も、所有権移転の記録も一部抜けている。
しかも、前回の登記がなされたのは20年以上前。その間、何があったのか。
「これは、、、うっかりじゃ済まされませんね」とサトウさんが眉ひとつ動かさずに言った。
権利証と現実の乖離
依頼人の兄が持参した権利証には、家屋番号が書かれていなかった。通常なら家屋番号が併記されているべきだが、それがごっそりと抜けていたのだ。
「記載漏れじゃない。意図的に抜かれてますね」とサトウさん。
やれやれ、、、彼女の言葉はいつも核心を突く。僕の立場がない。
筆界の不一致が語るもの
現地調査に行ってみると、ブロック塀の位置と登記図の筆界が微妙にずれていた。土地の一部が、どう見ても隣の家と食い違っている。
「もしかすると、昔の隣家と取り違えがあったのかもしれませんね」
ああ、これはただの家争いじゃない。地面の上に、嘘が重なっている。
サトウさんの冷静な指摘
事務所に戻ると、サトウさんが既に役所から取り寄せた資料を机に並べていた。公図、地積測量図、納税履歴、建物登記簿。
「この地番、実は隣の土地と地続きになってました」
彼女の指差す資料を見て、僕は背筋に冷たいものを感じた。
家屋番号のミスリード
家屋番号が、実際に建っている家とは別の場所になっていることが判明した。つまり、兄が「自分の家だ」と主張している建物は、登記上は別の場所の家とされていたのだ。
このミスがいつから続いていたのか、、、そして、誰が気づいていたのか。
「気づいてたんじゃなくて、気づかないフリをしてたんでしょうね」サトウさんが呟いた。
固定資産税の納付履歴から見えた真実
納税記録を追っていくと、十数年前から隣の家の名義人に税金が誤って請求されていた。それに対して、兄は一度も異議を申し立てていなかった。
つまり、彼は税金が来ないことを好都合と考えていたのだろう。
黙っていたのは無知からではない。意図があった。
証言が示す裏切りの構図
近隣住民に話を聞いて回ると、思わぬ証言が飛び出した。「昔、この家にもう一人住んでた男がいたよ」と。
父の知人らしき男が、数年住みついていた形跡があるという。
家族の誰も、その人物について語ろうとしなかった。
かつての同居人の存在
その男は、父親の仕事仲間で、金銭的なトラブルを抱えていたらしい。ある日を境に忽然と姿を消した。
「その人の荷物、ずっと押し入れにあったけど、数年前に処分されたみたいですよ」
住民の言葉に、兄妹の顔色が変わった。
近隣住民の不自然な証言
「あの兄さん、よく『あの土地は俺が手に入れた』って言ってましたよ」
どうやら兄は、かなり以前から土地を自分のものにするつもりだったらしい。登記の空白を利用し、境界線をごまかし、家屋番号を移していた。
「やれやれ、、、この事件、まるで昔の金田一みたいだな、、、」僕は思わずつぶやいた。
不動産取引の過去を洗い出す
20年前、土地の一部が第三者に売却された記録が出てきた。それを買い戻すために、父は名義変更をせず、書類を伏せた可能性がある。
しかし、それが結果として現在の混乱を招いた。
「登記を怠った罪は重いですね」サトウさんの一言が重く響いた。
名義変更に潜むトリック
名義変更の必要がなかったのではなく、できなかったのだ。売却先とのトラブルで、登記に必要な書類が揃わなかったのだろう。
しかし、兄はその穴を利用して家の支配を進めていた。
まるで、怪盗キッドが警備の隙を突くかのように。
亡き父が残した鍵
妹が後日、古い工具箱を持ってきた。その中には未開封の封筒があり、父の筆跡で「アヤには真実を伝えること」と書かれていた。
中には、本来の登記済証と、未提出の名義変更書類が揃っていた。
父は、いつかこの争いが起きることを予期していたのだ。
解決の鍵は古い公図
法務局の倉庫に保管されていた、手書き時代の公図を取り寄せた。そこには、今の地番とは異なる「本当の家の位置」が明記されていた。
境界線を誤認していたのではなく、意図的にずらされていたのだ。
サトウさんが無言で地図を指差した。兄の策略は、もはや言い逃れできない。
なぜ父は登記を放置したのか
父は、かつての同居人との契約問題を抱えており、名義変更によって不利になる可能性を恐れていた。そのため、長年にわたって名義をそのままにしていた。
しかしそれが、家族の分裂と争いの火種となった。
司法書士として痛感する。登記は、真実を守る剣にもなるが、隠された嘘の盾にもなる。
地積と実測の差に潜む罠
実際に測量した結果と、登記上の面積が大きく食い違っていた。兄はその差分を使って、自分の所有を拡張しようとしていた。
書類上の数字を鵜呑みにしてはいけない。現場と照らし合わせて、ようやく見える事実もある。
やれやれ、、、数字に騙されるのは、僕の計算ミスだけで十分だ。
サトウさんの冷酷な推理
サトウさんは一連の資料を壁に貼り、事務所でプレゼンのように説明を始めた。誰がいつ何を隠し、どう土地を自分のものにしようとしたのか、論理的に整理していた。
僕はただ、相槌を打つだけの置物と化していた。
「この案件、相続じゃなくて未登記不動産取引の再構築ですね」彼女の結論は完璧だった。
嘘の継承と偽りの家族
兄は、父の死を利用して家を乗っ取ろうとしていた。しかし、偽りの証言、嘘の遺言、そして境界のごまかし。すべてが積み上がって、嘘の上に嘘を塗り重ねていた。
家族の形は既に壊れていた。けれど、嘘は法律の前では通用しない。
「さすが司法書士ですね」と妹が涙を流しながら言った。
決定的証拠は登記簿の矛盾
最終的に決定打となったのは、登記簿に記された「地積更正申請」の痕跡だった。兄が申請した形跡が残っていたのだが、途中で取り下げられていた。
意図的な操作があったと見て、司法書士会にも報告することになった。
やれやれ、、、また報告書地獄か、、、。
最後の対決と告白
兄は最初こそ否定していたが、証拠の山を前にして静かに認めた。昔から父を憎んでいた、と。その憎しみが、この土地への執着に変わったらしい。
「家が欲しかったわけじゃない。ただ、父の築いたものを壊したかった」
悲しい告白に、妹も言葉を失っていた。
隠された過去と兄の動機
父と兄の間には、幼い頃の暴力事件があったという。そのことを誰も語らなかったが、それが兄の動機の根底にあった。
この家は、憎しみの象徴だったのかもしれない。
それでも、登記は真実を暴いた。
沈黙を破った母の手紙
妹が見つけたもう一通の手紙には、母からの言葉が綴られていた。「家は形。大事なのは、誰と住むか」
その言葉が、今は誰の胸にも刺さった。
サトウさんは黙って書類をファイリングしていた。
登記簿が語る真実
司法書士という仕事は、紙の山と数字を扱うものだ。だが、その向こうには人の思いがある。
今回の事件は、それをまざまざと見せつけてきた。
やれやれ、、、今日もまた、誰かの嘘と誰かの涙のあいだで、僕たちは書類をめくっていく。
嘘を暴いた司法書士の一手
全ての証拠を整理し、法務局への申請書を完成させたとき、サトウさんが小さく頷いた。「終わりましたね」
「ああ、終わった。けど、、、次の地雷はいつ爆発するのやら」
僕はコーヒーをすすりながら、次の依頼票を手に取った。
それぞれの新しい道
兄は土地を放棄し、妹が単独相続する形となった。家は取り壊される予定だという。
父の記憶も、嘘も、すべて解体されていく。
残るのは登記簿の記録と、僕たちの苦い記憶だけだ。