この歳になっても緊張すると言われて少し泣きそうになった日

この歳になっても緊張すると言われて少し泣きそうになった日

緊張するのは若い人だけだと思っていた

司法書士という仕事を20年近く続けてきて、「もう慣れたでしょ?」とよく言われる。でも、実のところ初対面の依頼人と話すとき、書類を読み上げるとき、いまだに緊張する。そんな自分にずっと劣等感を抱いてきた。きっと、もっと優秀な司法書士なら堂々としてるんだろうなと思っていた。だから、ある日年配の依頼人に「私もこの歳になっても緊張します」と言われたとき、心が一瞬ほどけたような気がした。まさかあの人が、と思うくらい堂々と見えていたから。

ベテランの依頼人の一言が胸に刺さった

その依頼人は地元でも有名な元校長先生。話し方も姿勢も立派で、「こんな人に自分の説明が通じるだろうか」と、正直プレッシャーを感じていた。手続きの説明中、私の声が少し震えたのか、「あら先生も緊張されるんですね、私も実はこの歳になっても人前では緊張しますのよ」と笑ってくれた。思わず言葉が詰まった。その瞬間、なんとも言えない安心感と同時に、目頭が少し熱くなった。緊張を恥ずかしいと思っていた自分が、すっと肯定された気がしたのだ。

その言葉が頭から離れなかった理由

あの一言は一日中、頭の中で繰り返された。帰宅して夕飯を温めながらも、歯を磨いているときも、ずっと響いていた。年齢を重ねるほどに、弱さを見せちゃいけないと無意識に思っていた。でも、あの先生はそんなの気にせず自然に言っていた。それが、うらやましかった。自分も、もっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかって。緊張すること自体が悪いんじゃなくて、隠そうとすることが、かえって自分を苦しくしていたのかもしれない。

自分だけがいつも焦っている気がしていた

いつからか、緊張する自分に対して「情けない」とか「まだダメだな」と思う癖がついていた。周りの同業者が平然と書類を読み上げ、スムーズに説明しているのを見るたび、自分だけが焦っているような気がしていた。でも実際は、みんなそれなりに緊張しているのかもしれない。ただそれを隠す術を身につけているか、あるいは受け入れているかの違いなのかも。そう思えたのは、あの一言があったからだ。

司法書士歴二十年でも初対面は怖い

20年もやっていれば慣れると思われがちだが、実際は逆で、経験を積めば積むほど「間違えられない」というプレッシャーが増していく。特に初対面の依頼人に説明する場面では、「プロらしく見せなきゃ」「信用されなきゃ」と自分にプレッシャーをかけてしまう。そんな気持ちが積み重なって、いつしか初対面のたびに肩がこるようになった。若い頃の「なんとかなるさ」精神は、いつの間にかどこかへ消えてしまった。

緊張を悟られたくないから余計にぎこちない

人って不思議なもので、緊張してることを隠そうとすればするほど、挙動が不自然になる。声のトーンが上ずったり、手元がおぼつかなかったり。私はよく、説明中にペンをカチカチ鳴らしてしまうクセがある。それを自分で気づいて「しまった」と思った瞬間、さらに緊張するという悪循環。まるで野球部時代の試合前みたいな感覚だ。当時は「お前、顔引きつってるぞ」とよく言われたが、今も全然変わってない気がする。

慣れよりもプレッシャーのほうが上回る

書類作成や登記の内容に関しては、もうほとんどのケースで経験がある。でも、それでも不安はゼロにならない。むしろ「このくらいの案件でミスしたら終わりだ」と思うからこそ、余計に緊張する。自信とプレッシャーは紙一重だ。自分の中で「完璧にやらねば」と気負ってしまうと、心がついてこない。昔のように、失敗を学びに変える余裕すらなくなってきたのかもしれない。

毎回が一期一会という言い訳

「毎回が一期一会だから、緊張して当然」そんな言い訳を心の中でつぶやいて、自分をなだめている。でも、それが本音でもある。人と人の関係はいつも一発勝負のようなもので、だからこそ真剣に向き合ってしまう。いいかっこしたいわけじゃなくて、ただ、ちゃんとやりたいだけ。それが自分の首を絞めているのも事実だけど、それが自分らしさでもあるのだと思いたい。

年齢を重ねても心は擦り減る

歳を取ったからといって、図太くなるわけではない。むしろ逆に、人の目や反応に敏感になっている気がする。ミスしたときにかけられる言葉の重みが、若い頃よりずっしりと心に響く。経験があるぶん、言い訳も通用しにくい。だからこそ、ますます緊張する。こんなこと、誰にも言えないけど、本音では「もう少し気楽に仕事ができたら」と思っている。

この歳でこんなことで緊張するなんてと自分を責める

時々、書類を持つ手が少しだけ震えているのに気づく。その瞬間、「なんでこんなことで緊張してるんだ、自分」と責める声が頭の中に響く。45歳、独身、仕事歴20年。世間的には中堅どころで頼れる存在に見えるかもしれない。でも、心の中はまだまだ揺れている。自分ではどうにもならないこの「緊張する癖」と、どう向き合えばいいのか、ずっと悩んでいた。

でも相手のその一言でちょっと許せた

「この歳になっても緊張します」あの依頼人の一言で、すっと肩の力が抜けた気がした。人は見た目じゃわからない。どんなに落ち着いて見える人でも、その内側では揺れているかもしれない。そう思えたことで、自分の緊張も少しだけ愛せた。無理に強がらなくてもいい。揺れてる自分も含めて、自分なんだと認めることからしか、たぶん楽にはなれないのだ。

緊張してるのはがんばってる証拠なのかもしれない

緊張するということは、手を抜いていない証だ。慣れたふりをして、適当にやることもできる。でも、自分はそれができない。不器用でも、必死に向き合うしかできない。そんな自分を、少しずつでも許してあげようと思う。緊張しながらも、今日も仕事をする。心臓がバクバクしていても、前に出る。そういう働き方を、これからも続けていくんだろう。

緊張を言い訳にしない仕事のあり方

緊張は消えない。でも、それを言い訳にして逃げるのは違うと思っている。不安でも、怖くても、仕事を全うする。それが司法書士としての責任であり、矜持だ。そしてその姿勢を見て、「あの人も実は不安を抱えながらやっていた」と思ってもらえるなら、それはそれでいいのかもしれない。完璧じゃなくても、真剣にやる。それだけは、誰にも負けたくない。

震える声でも丁寧にやるしかない

今日もまた、少し震える声で説明をした。でも、相手の方が静かにうなずいてくれた。それだけで十分だった。自分なりに丁寧にやった。それだけで、その日は少しだけ前向きになれた。緊張しながらでも、人と真摯に向き合えるなら、それでいい。そんなふうに、自分に言い聞かせながら、明日もまた、事務所のドアを開けるのだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。