比べないつもりが比べてしまう司法書士のつぶやき

比べないつもりが比べてしまう司法書士のつぶやき

比べない生き方に憧れてはいるけれど

「自分は自分、人は人」。そんな言葉を何度も自分に言い聞かせてきた。だけど実際のところ、気がつけば誰かと比べてしまう。特に同業者のSNS投稿や講演会の実績報告なんて見かけた日には、なんとも言えない焦燥感に包まれる。田舎でひっそりと一人事務所を構えている僕としては、「比べても仕方ない」と思いながらも、どこかで「負けてるな」と感じてしまう自分がいる。ああ、もういい年なんだから、そういうの卒業したいと思いつつ、やっぱり比べてしまうのだ。

周りの同業者の活躍に焦りを感じる日々

同じ年代の司法書士が都内で大きなセミナーを開催したり、大手企業と提携して業務拡大している話を耳にすると、胸の奥がズシンと重たくなる。僕はというと、登記の書類を片手に役所と往復し、合間に事務員さんと世間話。それはそれで悪くない。でも、どこかで「自分は何者にもなれていない」と感じる瞬間がある。比べないようにしたい。けれども、「あの人にできて、自分にできないのは何だろう」なんて考え始めたら、もう止まらない。焦りは静かに、でも確実に、心を蝕んでくる。

SNSで流れてくるすごい司法書士の存在

最近はSNSが便利すぎる。業務のヒントも、他の士業との連携も、すぐに情報が手に入る。それはありがたい。だけど、タイムラインに流れてくる「すごい司法書士」たちの投稿に、自分のちっぽけさを突きつけられることも少なくない。「〇〇士業連携プロジェクト立ち上げました」「○○区での無料相談会、50名以上来てくださいました」。そういう投稿を見ると、こちらは日々の仕事をこなすだけでいっぱいいっぱいな自分が情けなくなる。いや、別に競ってるわけじゃないとわかっている。けれど、自分は一体何をしてるんだろうと思ってしまう。

自分の投稿なんて誰も興味ないと思ってしまう

かといって、自分もSNSで何かを発信してみようとすると、「いや、誰がこんな投稿に興味あるんだろう」と自問してしまう。たとえば「今日、法務局で待たされすぎて凍えた」とか、「事務員さんの差し入れのどら焼きで救われた」なんて日常を書くにしても、なんだかみっともない気がしてしまう。輝かしい実績や人脈のない自分には、発信する内容がないように感じてしまう。だからまた黙り込んで、ただ人の投稿を見ては、比べて、落ち込む。その繰り返しだ。

地方で一人事務所を続けるということ

僕の事務所は、地方の小さな町の片隅にある。看板も控えめ。通りを歩く人も少ない。都会のように案件がどんどん舞い込むわけでもなく、一つひとつ地道に対応していく日々だ。最初はそれでも良かった。だけど、時間が経つにつれて「このままでいいのか」という思いが首をもたげてくる。地方での司法書士の価値や役割を信じてきたけど、たまに東京の煌びやかさが羨ましくなる夜もある。

都会の事務所の情報がまぶしすぎる

知り合いの司法書士が銀座にオフィスを構えたと聞いたとき、思わずGoogleストリートビューで検索してしまった。ピカピカのビル、きれいな受付、スマートなWebサイト。「ああ、うちとは別世界だな」と心の中でつぶやいた。それがすべてじゃないし、維持する大変さもあるだろう。でも、田舎の古びたビルの一角で働く自分には、そのまぶしさがどうしてもまぶしすぎた。自分の立ち位置を見失いそうになる。

比べないように距離を置いたつもりが気になってしまう

一時期、意識的にSNSや業界ニュースを遮断してみたことがある。「比べて落ち込むくらいなら、見ない方がいい」と思ったからだ。でも、人間って不思議なもので、かえって「今、みんなはどうしてるんだろう」と気になって仕方がなくなる。まるで試合のスコアが気になって仕方がないベンチの控え選手みたいに、そわそわしてしまった。比べないつもりが、逆に意識しまくっている。そんな自分にまた疲れてしまった。

数字や規模では測れない価値って何だろう

あるとき、古くからの依頼人に「先生のおかげで助かりました」と手書きの手紙をもらったことがある。それを読んで、不覚にも少し泣いてしまった。売上や規模では見えない価値が、確かにここにはあるんだと感じた瞬間だった。でも、日常に戻るとすぐに「でも売上は…」とか「拠点増やしてる人もいるしな…」と比べてしまう。価値は数字じゃないって思いたいけれど、心のどこかでは「数字で示せない自分は弱い」と思ってしまう。それが本音だ。

事務員さんとの会話に救われる瞬間

朝から電話対応に追われて、昼ご飯を食べるのも忘れていたとき、事務員さんが「これ、余ってたから」とコンビニのおにぎりを差し出してくれたことがあった。その一言で、なんだか全部が報われたような気がした。目の前の一人に感謝されること、それがどれだけ救いになるか。誰と比べようと、この小さなやり取りにこそ、自分が司法書士を続けている意味があるのかもしれないと思った。

誰かと比べる前に自分の今に目を向ける

「隣の芝生は青い」とはよく言うけど、こっちの芝生だってよく見りゃ青い部分はある。ただ、それに気づく余裕がないだけだ。日々のルーティンに追われて、「今」を見失ってしまいがちだけど、こうして文章を書いていると、意外と自分も頑張ってるなって思える瞬間がある。自分を責めるよりも、まずはちゃんと認めてあげることが大事なんじゃないか。事務員さんとのやりとり一つ取っても、確かにここで生きている証なんだ。

感謝はしてるのについ愚痴が出るのはなぜか

心のどこかで「もっとやれるはずだ」と自分に期待しているからこそ、愚痴が出るのかもしれない。決して今の環境が嫌いなわけじゃない。むしろ、静かなこの町も、マイペースな日々も、けっこう気に入ってる。でも、それでも何かが足りない気がする。それを埋めようとして、他人と自分を比べてしまう。感謝と不満が同居するこの感情の正体を、まだうまく言葉にできないけど、きっと誰かにも同じ気持ちがあるはずだ。

優しさって強さじゃなくて弱さの裏返しかも

「先生は優しいから」と言われることがある。でもそれは、強いからじゃなくて、断れなかったり、怖くて強く出られなかったりするだけかもしれない。優しさが、自分の弱さの裏返しに思えることがある。だからこそ、人と比べて「自分は甘いんじゃないか」と思ってしまうこともある。でも、そんな自分でも誰かに必要とされているなら、それでいいんじゃないか。最近は、そう思うようにしている。

比べてしまうのは頑張っている証拠かもしれない

結局、人と比べてしまうのは、自分もまだ成長したい、何者かになりたいという気持ちがあるからだと思う。あきらめていたら、そもそも比べたりもしない。そう考えると、このモヤモヤも、前向きに捉えることができるかもしれない。完璧じゃなくていい。比べながらでも、一歩ずつ歩いていけば、それでいい。誰かのようにはなれないけど、自分なりの歩き方はきっとあるはずだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓