遺産の分け前と沈黙の家族

遺産の分け前と沈黙の家族

朝の来客と封印されたファイル

午前9時。まだエアコンが本調子になる前の事務所に、重たい足音が響いた。ドアを開けて入ってきたのは、ヨレたスーツの中年男性。手に持った封筒は、湿気を吸って少しよれている。

「相続のことで相談があるんですが……」とその男は言った。だが、差し出された戸籍謄本には、見慣れない付箋と、一部破れかけたコピーが貼られていた。

見慣れぬ男と破れた戸籍謄本

依頼人の名前は村崎誠。だがその名義の土地が、今まで一度も登記された形跡がないという。さらに戸籍を見ると、長男として記載されているものの、その後の続柄には奇妙な空白があった。

「どうやら、これは…封印された分割協議書ですね」と俺は呟いた。もちろんそんなものが法的に存在するわけじゃない。ただ、何かが“伏せられている”匂いはした。

サトウさんの冷静な観察眼

背後からパチンと音がした。サトウさんがホチキスを止めた音だった。そしてひとこと。「その印鑑証明書、発行日が協議書の日付より一週間後ですね」。さすがだ。

封筒に押し込まれたままの書類を確認すると、確かに日付の不一致があった。これは、誰かが後から協議書を作り直した可能性を示している。

古びた遺産分割協議書の謎

協議書は、茶色く変色しており、コピーとは思えないほど原本のような見た目だった。それを封筒に戻しかけたとき、背表紙に小さく「平成二〇年七月」と手書きの文字があるのに気づいた。

その年には、被相続人の名義変更など一切の登記記録がない。つまりこれは、公になっていない協議——つまり、家族内だけの秘密の協議だった可能性がある。

日付の空白が意味するもの

協議書には「長男 村崎誠」とだけ書かれ、他の相続人の署名はなく、印も不鮮明だった。これはいわゆる「署名だけ預かった」パターンだ。実務では時々あるが、もちろん無効となる危険性も高い。

「この協議書、誰かが都合よく書いたな…」と俺は思わず呟いた。だがその瞬間、依頼人の表情が曇った。

登記簿の筆跡と別人の署名

サトウさんがスキャンしたデータと、過去の登記簿の筆跡とを比較してくれていた。やはり、筆跡が異なる。しかも「誠」の“誠”の部分がまるで旧字体だった。誰がこんな細工を?

やれやれ、、、一筋縄ではいかない展開だ。野球でいえば、ノーアウト満塁からの三者連続フルカウントってとこだ。

相続人は三人いた

戸籍を追っていくと、亡くなった父親には3人の子がおり、誠の他に次男の亮介と、妹の百合子がいたことが判明した。だが協議書にはその名前は一切出てこない。

つまり、誠ひとりによる「独占協議」だったわけだ。サザエさんでいえば、波平の遺産をカツオだけがもらって、サザエとワカメが蚊帳の外って話だ。

音信不通の長男が浮上する

実はこの「誠」本人、15年前に失踪届が出ていた。今目の前にいる男は確かに誠を名乗っていたが、本人確認資料が一切なかった。

「免許証は持ってないんです…ちょっといろいろあって」と言われても、そんな曖昧な話で法務局は通らない。俺はまた頭を抱えた。

隠された養子縁組の記録

意外にも鍵を握っていたのは百合子の婚姻届だった。その中に「養子縁組を解消」と記載されていた記録があり、その時点で誠が除籍されていたのだ。

つまり、今の戸籍上、誠はもう相続人ではない。代わりに養子縁組された亮介が正当な後継ぎだった。

再調査と役所回りの苦悩

俺とサトウさんは、市役所、法務局、家庭裁判所、あらゆる機関に電話とFAXを送った。役所特有の「担当が不在でして」攻撃に苦戦しながらも、証拠を集め続けた。

途中、熱中症で倒れそうになりながらも、何とか亮介の現住所を突き止めた。あとは、この事実をどう依頼人に突きつけるか。

閉鎖された法務局の裏話

かつての管轄法務局が統廃合され、古い資料が他県の倉庫に保管されていることが判明した。サトウさんが速攻で電話を入れ、資料をスキャンしてもらった。

そこに映っていたのは、養子縁組時の誠本人の署名。そして、現在の依頼人とは明らかに別人だった。

サトウさんが指摘した矛盾

「これ、誠さんって…本人じゃないですね」とサトウさんが静かに言った。俺もようやく全てのピースが揃ったと感じた。あの協議書は、誰かが“誠を演じて”作った偽物だった。

つまり、目の前の男は詐欺師だったということだ。

印鑑証明書の発行日と矛盾する日付

更に詰めとして、印鑑証明書の発行元が隣町の別人名義だった。つまり偽造印鑑。もはや完全にアウトだ。俺はその証拠一式を警察に提出する決意をした。

やれやれ、、、本物の依頼人に会う前に警察案件になるとは思わなかった。

決定的証拠と古い貸金庫

最後の決め手は、亡くなった父親の残した銀行の貸金庫だった。そこに古い遺言書が保管されており、正規の分割内容が記されていた。

それによって、誠ではなく亮介と百合子に均等に財産が渡ることになっていた。

鍵は被相続人のデスクにあった

その貸金庫の鍵は、家にあった古いデスクの裏に貼り付けられていた。遺族が気づかないよう、念入りに隠していたらしい。

俺はそのことを電話で説明し、ようやく百合子から「ありがとうございました」と言ってもらえた。

開かれた箱と白紙の遺言書

遺言書の他に、もう一枚の白紙の紙が出てきた。それは父親が最後まで書こうとしていた遺言だったのかもしれない。だが、それは永遠に空白のままだった。

クライマックスの対決

誠を名乗る男は、最後まで「自分が長男だ」と主張していたが、俺たちが用意した証拠の前に沈黙した。そして、静かに警察に連れて行かれた。

まるで怪盗キッドが正体を見破られた瞬間のように、潔く去っていった。

兄弟の確執と沈黙の意味

本当の誠は、亮介と絶縁したまま、遠くの町で亡くなっていた。そのことを知った百合子は泣き崩れ、静かに仏壇の前で手を合わせた。

「遺産なんていらない。ただ、知りたかっただけなの。お兄ちゃんがどうして姿を消したのか」

司法書士のひと言が事態を動かす

「あなたはもう、充分受け取っていますよ。お兄さんの最後の想いを」そう俺は言った。セリフとしては少し臭いが、サトウさんが何も言わなかったから、きっと大丈夫だろう。

結末と依頼人の涙

事件が終わって数日後、百合子から届いた手紙にはこう書かれていた。「兄は確かに不器用だった。でも、最後まで家族を想っていた気がします」。

その文字を見ながら、俺もそっと目頭を拭った。

再構成された協議書の署名

法的に正しい形で、再度協議書が作成され、今度は三人の署名と印鑑が揃った。きちんとした法務局の受付も無事に通った。ようやく、すべてが落ち着いた。

遺産は分けたが想いは残った

遺産は物理的に分けられたが、そこに詰まった記憶や想いは、きっとこれからもそれぞれの中に残っていく。俺はそう信じたい。

そして今日もまた、俺の机の上には新たな相談者の封筒が置かれている。「やれやれ、、、」俺は椅子にもたれながら、次の事件の匂いをかいだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓