家族を持つことに気づいたのはいつだったか
司法書士になったばかりの頃、家族を持つという発想はどこか遠い世界の話だった。仕事を覚えるのに必死で、恋愛どころか休むことすら贅沢だった。「まだ若いし、そのうち縁があるだろう」と、根拠のない楽観に支えられ、気づけば40代半ば。職場と自宅を往復するだけの生活の中で、ふとした瞬間に「あれ、俺ってこのまま一人なのか?」という現実が胸にのしかかる。家族という存在が、昔は抽象的な“いつかの未来”だったのに、今は“叶わなかった夢”のようにも感じてしまうのだ。
昔は考えもしなかった結婚や家庭
若い頃、特に30代前半までは、結婚や家庭のことなんて真剣に考えたことがなかった。友人が子どもを抱っこしている写真をSNSにあげても、「あいつも落ち着いたな」くらいで流していた。そんな僕は元野球部で、体力も自信もあって、独り身でいることを寂しいとは思っていなかった。でも今振り返れば、その頃に少しでも将来のことを真剣に考えていたら、何かが違っていたかもしれない。結婚がすべてではないけれど、“自分の場所”を持つという意味では、あの時期は貴重だったのだと思う。
仕事に追われていたらあっという間だった
開業してからは本当に時間が一瞬で過ぎていった。登記、相続、裁判書類の作成と、一日中集中していると気づけばもう夕方。夜はくたくたで、夕食はコンビニ、土日はたまった業務を片付けて終わる。気づけば1ヶ月、気づけば1年が経ち、いつの間にか「付き合う」「誰かと過ごす」といった生活の選択肢は消えていた。まるで、バッターボックスに立つ前に試合が終わっていたような感覚だ。何かに打ち込むのは素晴らしいことかもしれないけど、目を上げた時、観客席が空っぽだったら寂しいよね。
なぜか独身のまま司法書士を続けている
「気づいたら独身だった」。この言葉に尽きる。誰かに振られたとか、大きな失恋があったとかではない。ただただ毎日の積み重ねのなかで、誰かと深く関わるという選択を避けてきたのかもしれない。そういえば昔、同期が「一人だと気楽でいいぞ」と言っていたけれど、それって本音じゃなかったんだなと、今になってわかる。司法書士という仕事は、人の人生に関わる割に、自分の人生には鈍感になりやすい仕事なのかもしれない。
気づけば一人で年末調整している
年末調整の書類を書きながら、「配偶者」欄が毎年空白のままという事実に、ふと心が引っかかる。扶養控除もなく、生命保険もひとり分。税務上はシンプルでありがたいのだが、それはつまり「何も変化がない一年だった」という証でもある。誰かと暮らしていれば、ここに名前が増えるのかもしれない、とぼんやり思う。ひとり事務所の静かな年末。パートの事務員さんが帰ったあと、ストーブの音だけがやけに響いていた。
婚活という言葉に抵抗がある自分
正直、「婚活」という言葉に抵抗がある。合理的すぎる気がして、自分のような感情重視の人間には合わない気がするのだ。でも、現実はそんな感情論で済むほど甘くない年齢になってきた。婚活サイトに登録してみたこともあるけれど、「年収」「職業」「身長」などの検索フィルターに晒されると、自分が数値でしか見られていない気がして、心がしぼんでしまった。元野球部でも、現実の打席では空振りばかりだ。
周りの人たちは家族を築いていた
ある日、ふと開いたLINEのグループ。かつての同期たちは、それぞれの家庭の話題で盛り上がっていた。子どもの進学、家の購入、家族旅行。どれも僕には縁のない話ばかりだった。何かを責める気はない。でも、疎外感は確かにあった。僕が選ばなかった未来が、あそこにはあった。いつの間にか、同じスタートラインに立っていたはずの彼らと、自分の道は大きく分かれていたのだ。
同期のLINEアイコンに映る子どもたち
LINEのアイコン。そこに小さな子どもを抱いた笑顔の同期がいた。あいつ、昔は飲み会で悪ふざけばかりしていたのにな、と懐かしく思う一方で、「ちゃんとした大人になったんだな」と、少しの寂しさも感じた。僕のアイコンは、初詣の時に撮った神社の石段。誰が見ても「一人暮らし感」満載だろう。写真一枚にも人生の違いがにじみ出る。そんなことを思って、そっと画面を閉じた。
正月の帰省で感じる孤独と焦り
実家に帰ると、親戚が集まる場では決まって聞かれる。「いい人いないの?」。もう慣れた質問だけど、内心はざらつく。親ももう高齢で、言葉には出さないけれど、孫の顔を見たい気持ちはひしひしと伝わってくる。近所の子どもが挨拶してくるのを見ると、「自分にもこんな日常があったのかな」と思ったりもする。でも、もうその列車は発車してしまったのかもしれない。