契約書の終わりに待つ者

契約書の終わりに待つ者

ある日届いた依頼書

嘱託登記の奇妙な内容

午前10時、コーヒーを一口啜ったところで、FAXが届いた。紙を引き抜くと、見慣れたフォーマットの嘱託登記依頼書だったが、ある違和感が胸をざわつかせた。記載されていた登記原因が妙に曖昧で、しかも依頼主が地元ではあまり名の知られていない不動産業者だったのだ。

司法書士を十数年やっていれば、直感が騒ぐこともある。「変だな」と感じたときは、たいていロクなことが起きない。それでも事務処理は進めねばならない。淡々と、しかし注意深く、その案件を扱うことにした。

ふと気づけば、隣の席のサトウさんがこちらをちらりと見ている。まるで「その顔、また何かやらかしたでしょ」とでも言いたげに。

不自然な依頼人の態度

数時間後、依頼人が事務所に現れた。スーツはきちんとしていたが、妙に落ち着きがない。契約書類に署名捺印を済ませる手も、わずかに震えている。 「今日は暑いですね」と無意味に繰り返すその口調に、ますます警戒心が募った。 こちらから何かを聞いても、決まり文句のような返答しか返ってこない。まるで台本でも読んでいるかのようだった。

「何か、隠してるな」そんな確信だけが残り、机の上に置かれた契約書が異様に重たく見えた。

サトウさんの冷静な観察

登記原因の不一致

「これ、日付が変じゃないですか」 サトウさんが鋭く指摘したのは、契約日と登記原因日付の微妙なズレだった。確かに、契約書では六月一日付となっていたが、委任状には六月三日と記されていた。

「もしかして、先に登記がされてたことにしたいんじゃないですか?」 なるほど。これは一種の偽装登記の可能性がある。犯罪とまでは言えないが、意図的な操作を匂わせるには十分だった。

ファイル名に潜む手がかり

サトウさんはさらに、メール添付されたPDFのファイル名を調べていた。「Contract_A-revision3_final」とある。 「リビジョン3? ってことは、これ、3回以上修正されてますよ」 まるで怪盗キッドが予告状を何度も書き直しているかのような不自然さ。完璧に見える書類ほど、裏がある。

この“final”が本当に“最終”なのか、それとも始まりなのか。小さな違和感が、やがて大きな疑念に育っていく。

過去の契約に潜む影

五年前の登記簿謄本との違い

シンドウは法務局のオンライン閲覧で、同一物件の過去の登記簿を確認した。すると、五年前にも同じ依頼人の名が出てきた。 だがそのときの住所と、今のものが違っていた。しかも、当時の所有者は今とは別の人物。 「二重売買か?」 思わず声に出してしまい、サトウさんに冷たい視線を浴びせられた。

証拠としての日付印の謎

さらに奇妙だったのは、契約書に押されていた日付印の一つ。見るからにインクの濃さが異なり、後から押されたように見えるのだ。 「あのインク、もしかして…」 思い出したのは、数年前に流行った“後から押せる日付印”という小道具。某探偵漫画でもトリックに使われていたな、と頭をよぎる。

謄本を洗い直す

連続する登記の不自然な流れ

過去の登記の流れを見ると、ある特定の司法書士によって処理された案件が連続していた。名前は伏せるが、悪名高い“やり手”だった。 「これは、完全にチームでやってますね」 サトウさんの指摘が妙に冷たくて、逆に背筋がゾワリとした。

電話の向こうの沈黙

確認のため、元所有者に電話をかけた。しかし、名乗った途端、相手は「その件についてはもう終わった」とだけ言って切ってしまった。 終わったのではない。終わらされたのだ。 やれやれ、、、こういう時に限って胃が痛む。まるで波平さんがマスオさんの失敗を怒っている場面が脳裏に浮かんだ。

司法書士会の裏側

登録された署名印の真偽

念のため、司法書士会を通じて過去の委任状の筆跡と照合を依頼した。 数日後、戻ってきた結果は「一致せず」。 それはすなわち、偽造だ。

嘱託人の正体とは

依頼人が本当に不動産業者かどうかも調べた。すると、登記されていた住所にその法人は存在しなかった。 偽名、偽住所、偽契約。三拍子揃えば、もうお手上げだ。 しかし、ここで引いたら司法書士の名がすたる。

仕組まれた裏切り

親族間の対立と復讐

調査の結果、過去の所有者と今回の依頼人は親族だった。そして、かつて相続をめぐって争いがあったという記録が残っていた。 これは個人間の復讐劇。その道具に登記が使われたのだ。

サインされた委任状の秘密

委任状の筆跡をよく見ると、微妙にカーブの癖が異なる。 しかも、プリンターで出された日付と、署名欄だけインクの色が違う。 「一度スキャンして、合成して印刷したかもしれません」 サトウさんの一言で、点と点が線になる。

シンドウの推理

サトウさんの一言が導いた真実

「“最終版”って、言い換えれば“始まり”にもなりますよ」 その言葉が脳内で反響した。 この契約書は、復讐の終わりであり、新たな事件の始まりでもあった。

地方紙の記事が照らす動機

五年前の地方紙の縮刷版に、相続争いで家を追われたという記事が載っていた。依頼人の名前も、その中にあった。 「全部、繋がったな」 悲しみから生まれた怒り。それを登記にぶつけるとは、皮肉な話だ。

法務局での告白

涙ながらの自白

再度訪れた依頼人は、ついに涙ながらに語った。 「兄が父の遺言を捻じ曲げたんです。だから、俺は……やり返したくて」 その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。

嘱託登記を使った偽装の手口

依頼人は、法的なギリギリを突いた嘱託登記で、兄から土地を奪おうとしたのだった。 だが、やり方がまずかった。司法書士を通す限り、すべては記録に残る。 「それが、この制度の良さでもあるんです」と、心の中でつぶやいた。

解決とその代償

正義とは何かという問い

登記は無効として法務局に差し戻された。依頼人は行政書士法違反と偽造で取り調べを受けることになった。 だが、それで彼の怒りや哀しみが消えるわけではない。 正義とは何か。その答えはいつも、登記簿の余白にこそ刻まれているのかもしれない。

登記完了通知が届いた日

翌日、別件の登記完了通知が郵送で届いた。何事もなかったように淡々と進む手続きが、かえって救いのように思えた。 「やれやれ、、、今日はビールでも飲むか」 そうつぶやいた声に、サトウさんは「昼間ですよ」と冷たく返してきた。

やれやれ、、、静かな午後

サトウさんのコーヒーは苦い

午後三時。サトウさんがいれてくれたコーヒーは、相変わらずブラックで苦い。 でも、不思議とホッとする味だった。 「今日は静かですね」と言うと、「フラグですよ、それ」と返された。

書類の山に埋もれて

机の上には、まだ処理されていない書類が山のように積まれている。 「次の事件は、これかな」そう言いながら、次のファイルを手に取った。 司法書士の仕事に、エンディングはない。ただ、ページをめくるだけだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓