朝の静寂を破る電話
依頼人の声に潜む焦り
静かな朝だった。ようやく温めた缶コーヒーをひとくち飲んだ瞬間、事務所の電話が鳴った。 「すみません、相続登記のことで相談したいんですが……」 声の主は五十代半ばの男性で、どこか焦燥感が滲んでいた。単なる相談ではなさそうな予感がした。
旧家の相続登記という依頼
話を聞くと、実家の相続登記を済ませたいという。亡くなった父名義の土地と建物を、自身の名義に変更したいとのこと。 「兄はもう亡くなってますので、私が単独で相続する形になります」 それだけ聞けばよくある案件だが、なぜか胸の奥がチリチリと焼けるような違和感を覚えた。
現地調査で見えた違和感
空き家に残る生活の痕跡
依頼された家屋は、郊外の農村地帯にぽつんと建っていた。古びた瓦屋根、草に埋もれた石畳の庭。 しかしポストには新聞が数日分も詰まり、玄関には最近のスーパーのレシートが落ちていた。 「空き家のはずでは……」と呟きながら、嫌な予感がさらに強まる。
近所の噂が語るもう一人の相続人
隣の家の老婦人に挨拶をすると、意外な話が飛び出した。 「え? お兄さん? この前も畑にいたよ。元気そうだったけどねぇ」 死んだはずの兄が生きている。サザエさんで言えば、波平が三途の川から帰ってきたようなものである。
登記簿の記録が語る真実
所有者欄にある不可解な名義変更
戻って登記簿を確認すると、過去に一度名義変更があった形跡があった。しかし抹消されていた。 しかもその日付は、父の死亡前。矛盾に次ぐ矛盾に、頭がクラクラする。 「やれやれ、、、また厄介なやつか」と、無意識に独りごちる。
司法書士としての直感が騒ぐ
私の中の野球部時代の直感、いや、探偵漫画の主人公のような勘が働く。 「これは何か隠してるな」そう思うと、手が勝手に資料をかき集め始めていた。 まるで名探偵コ●ンのように、記憶の糸が一本一本繋がっていく。
戸籍の繋がりと消えた長男
除籍謄本に記された死亡の事実
除籍謄本には確かに兄の死亡の記載があった。だがその死亡届の提出者は今回の依頼人だった。 さらに死亡地は別の県で、死亡証明の医師名も存在していない。 何かがおかしい。これはもはや“書類のミス”では片付かない。
なぜ彼は死んだことにされていたのか
サトウさんが黙ってパソコンを叩く。そして一言、「この医師、いません。登録なしです」 つまり死亡診断書が偽造だった可能性が高い。兄は生きていたのに、弟は書類上“殺していた”。 理由は一つ。単独で相続するため。いやはや、地味だが悪質な犯行だ。
サトウさんの冷静な分析
証拠となる転籍届とその日付
サトウさんは転籍届を取り寄せ、その日付が死亡届よりも後であることを指摘した。 「本来、死亡していたら転籍はできませんよね」 言葉は少ないが、鋭い指摘が私の背筋をピンと伸ばす。
小さな誤字が導いた大きな矛盾
提出された死亡届には、兄の名前に1文字だけ誤りがあった。 「藤田」ではなく「藤本」。 この小さな違いが、すべての帳尻が合わない理由だった。まさに“神は細部に宿る”とはこのことか。
過去の遺産分割協議の闇
誰が何のために嘘をついたのか
依頼人はかつて兄と不仲で、父の面倒も見ずに東京で暮らしていた。 父の死後、実家を巡って兄と揉めたらしい。兄を排除すればすべて手に入ると考えたのだろう。 しかし、その計算は私たち司法書士の前では通用しない。
調停記録が語る遺族間の争い
家裁に残されていた調停記録には、相続争いの詳細が綴られていた。 「兄とは縁を切った」と語る弟の執念が、書面から滲み出ていた。 それがこの事件の根源だったのだ。
依頼人の動機と真の目的
保全登記の裏にあった保身の策
彼は遺産を手に入れるために、兄を“紙の上で”消した。だが現実はそう簡単にはいかない。 事実は残るし、証拠は語る。嘘の上に立った登記は、いずれ崩れる運命なのだ。 「まるでカリオストロの城の偽札工場ですね」とサトウさんが珍しく冗談を言った。
語られなかった家族の事情
実際には、兄は病気を患い寝たきりだった。弟が生活費を送っていた時期もあったらしい。 だがそれでも、家という“資産”を巡る利害は、血縁すら超えてしまう。 人は、相続で変わる。いや、変わってしまうのだ。
決定的証拠と最後の一手
死亡診断書に残された医師の署名
その偽造された署名は、実在しない医師の名を語っていた。 これが決定打となり、私は法務局に報告を行った。 民事だけでなく、刑事の範疇に足を踏み入れた瞬間だった。
やれやれ、、、また偽造か
私は苦笑いを浮かべた。もう何度目になるだろう。こういう“創作力”豊かな依頼人に出会うのは。 サザエさんのような平和な日常を期待していたら、現実はいつだってサスペンス劇場なのだ。 「やれやれ、、、こっちは普通の登記がやりたいんですけどね」
司法書士としての結論
法務局への報告と刑事告発
私は一連の資料をまとめ、正式な報告書として法務局と検察に提出した。 この一件は、司法書士としての職責そのものを問われる案件だった。 嘘の書類を通さないこと、それが私たちの矜持である。
本来の相続人に届けるべきもの
その後、兄本人と面会した。静かに頷きながら、「ありがとう」とだけ言ってくれた。 報われる瞬間があるから、この仕事はやめられない。 どんなに愚痴をこぼしても、最後にはやるしかないのだ。
事件の終わりと日常の続き
サトウさんの塩対応に救われる
「で、報酬どうします?」とサトウさん。 「やれやれ、、、」とまた漏れるが、その目の奥にはわずかに笑みがあった。 彼女の塩対応は、なんだかんだ言って心地よい。
そしてまた次の依頼へ
今日もまた、電話が鳴る。 書類の山の向こうから、新たな事件がこちらを覗いている。 平穏とは縁遠い日々だが、それでも私はこの仕事を続けていく。