声が聞こえなくても気持ちは聞こえてると思いたい

声が聞こえなくても気持ちは聞こえてると思いたい

伝わらないことに慣れてはいけないと思った日

あの日、少し早めに事務所に来られた一人の女性。受付に座った彼女は何も話さなかった。ただ、そっとメモ帳を差し出してきた。そこには「耳が聞こえません。筆談をお願いします」と丁寧に書かれていた。私は一瞬、戸惑った。電話相談が当たり前になっている中、筆談での対応は初めてだったからだ。業務の効率ばかり気にしていた自分に、何か大事なことを問いかけられた気がした。

受付での最初の違和感と戸惑い

普段なら、まずは一通りのヒアリングを口頭で行う。しかし、その日は違った。筆談のやりとりは時間がかかるし、相手の表情やペースを常に見ながら進めなければならなかった。自分の書く字が相手にとって読みやすいのか、こちらの言葉は失礼になっていないか。そんなことばかり気になって、いつもの自分のペースがまるで通用しない。けれど、その戸惑いの中に、これまで見落としていた「相談の原点」があった気がした。

メモと筆談と目の動きだけの会話

彼女とのやりとりは、メモ帳と視線、そして小さな頷きや微笑みによって成り立っていた。言葉が交わせなくても、伝えようとする気持ちと、受け取ろうとする姿勢さえあれば、会話は成り立つ。たとえば、野球部時代のサインプレーを思い出した。言葉ではなく、身振り手振りとアイコンタクトだけで意思を通わせる感覚。あれに似ていた。むしろ、こちらの姿勢が甘ければ、伝わらない。それを彼女から教わった。

時間はかかるけど「向き合う姿勢」が伝わる瞬間

一問一答のようにやりとりを重ねる中で、彼女の表情が少しずつほぐれていくのがわかった。たぶん、私が一生懸命に書いて、何度も消して書き直していたのを見て、伝わろうとする努力を感じてくれたのだと思う。時間は確かにかかっていた。でも、効率では得られない信頼のようなものが、そこにあった。これが「向き合う」ということなのかもしれない。

効率と人情の間で揺れる心

事務所の外では他の予約の方が来ていた。事務員から目配せされ、時計を何度も確認する。焦る気持ちと、今ここにいる人と向き合いたい気持ちがぶつかる。業務として見るならば、どちらを優先すべきかは明白かもしれない。でも、人として考えると、目の前のこの人との時間を簡単に区切ることができなかった。

予定時間はすでに大幅オーバー

気づけば、予定の30分を過ぎていた。次の予約の方も事務員が何とか対応してくれていたが、これ以上は厳しい。そう頭ではわかっていても、筆談が途切れるたびに、彼女が少し不安そうな顔をするのを見てしまうと、やはり無理に打ち切ることはできなかった。「時間なので…」と告げる勇気がなかった。たぶん、自分の中にまだ彼女の声をちゃんと受け取れていないという不安があったのかもしれない。

後ろに控える他の依頼人への罪悪感

相談が終わった後、待っていた人の不機嫌そうな顔を見ると、胸がチクッとした。誰も悪くない。でも、全員に平等に時間を配分できなかったことへの後悔が押し寄せる。司法書士という仕事は、ただ法的に処理するだけじゃない。人と人との間で、見えない何かを調整しながら生きていく仕事なんだと思い知らされた。

それでも目の前の人を大切にしたかった

最終的に、私は彼女に「また何かあったら遠慮なく来てください」と伝えた。筆談で書いたその言葉に、彼女は両手でメモ帳を包み込むようにして深くうなずいた。その瞬間、すべてが報われた気がした。効率は悪かった。予定も崩れた。でも、自分の仕事の意味が少しだけ見えた気がした。

事務員のまなざしに救われた

相談が終わったあと、私の顔を見て事務員が一言「お疲れ様です」と言った。その表情がいつもと少し違っていた気がした。どこか労いと共感が混ざっていた。その日、彼女が静かに支えてくれていたことに、今さら気づいた。私一人では、きっと最後までやりきれなかった。

忙しいときこそ現れる気づき

人手が足りない。時間が足りない。そう文句ばかり言っていたけれど、実はちゃんと支えてくれる存在がすぐそばにいた。その日、筆談でのやりとりに集中していた私を、黙ってサポートしてくれていた事務員の存在に、改めて感謝した。人は、見ていないようで見ている。そして黙って支えてくれることもある。

メモをそっと差し出す優しさに泣きそうになる

私が少し詰まって困っていたとき、事務員が「これ使ってください」と差し出してくれたのは、大きな文字が書きやすいマーカーと新しいメモパッドだった。それだけのことなのに、胸にじんわりときた。なんだか、自分ひとりで戦ってるような気になってたけど、そうじゃなかった。ちゃんと、見ててくれてた。

伝える努力ができるうちはまだ大丈夫

疲れたし、正直もうやりたくないと思った。でも、また筆談希望の相談者が来たら、やっぱり私は断れないと思う。うまくはできなくても、伝えようとする努力を諦めたくない。声が聞こえないからこそ、気持ちを伝える手段は無限にあると気づかされた。

言葉にならない「ありがとう」が一番しみる

彼女が帰るときに見せた小さな会釈。その姿が、何よりも「ありがとう」を伝えてくれていた気がする。言葉じゃない。でもちゃんと伝わった気がした。こういう瞬間に、司法書士という仕事は「人」を相手にしているんだと改めて思う。

筆談だからこそ感じた重み

会話は一文字ずつ。遅くて、まどろっこしくて、非効率。でもその分、一言一言が重い。こちらの言葉も、相手の返事も、どれも「考え抜かれて出てきたもの」だからこそ、深く刺さる。普段いかに軽々しく喋っていたかを思い知った。

声を発しない言葉は心に残る

声には出さなくても、言葉は届く。そして、むしろその静けさの中にあるメッセージのほうが、長く心に残る気がする。きっと、あの日の彼女とのやりとりは、私の中に長く残っていく。司法書士という仕事の、本当の意味を教えてもらった気がする。

ひとり事務所でできることの限界と希望

一人事務所でやれることには限界がある。時間も人手も、気力も。でも、それでも来てくれる人の声にならない声に耳を傾けたい。できることを、できる範囲で。それがきっと、今の自分にできる精一杯の優しさなのだと思う。

誰かに頼ることへの小さな抵抗

今まで「自分が何とかしなきゃ」と思っていた。人に頼るのはダメだと思い込んでいた。でも、今回の経験でそれは違うと感じた。誰かがそっと支えてくれることに甘えることも、仕事を続けるうえで大切なことだと気づいた。

でも、それでも誰かを助けたいという矛盾

疲れてる。人手も足りない。だけど、来てくれた人をがっかりさせたくないという気持ちは、消えない。この矛盾と向き合いながら、私はこれからも、ひとつずつ目の前の依頼と向き合っていくしかない。声が聞こえなくても、気持ちは聞こえてくる。そう信じていたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。