異変の始まりは一本の電話から
その日、事務所の電話が鳴ったのは、午後三時を少し回った頃だった。夏の陽射しがカーテン越しにじりじりと照りつけていて、エアコンの効きもいまひとつだった。着信の主は、郊外にある小さな病院の事務長だった。
「相続登記の件で相談があるのですが」と言われた時点では、よくある仕事の一つだと思った。まさか、あの一枚の紙から地雷を踏むとは夢にも思わなかった。
病院からの依頼
亡くなったのは高齢の女性で、相続人は一人娘。財産は土地と預貯金で、さほど複雑ではなかった。ただ、相続手続きの一環として提出された死亡診断書に、妙な点があった。死因欄が修正テープで消された痕跡があり、その上に新たに書き直されていたのだ。
しかも、書き直された文字の字体が妙に整っていて、医者が書くには綺麗すぎた。これは何かある。直感がそう囁いた。
不自然な相続時の相談
さらに奇妙だったのは、娘が「とにかく早く登記を済ませたい」と急いでいたことだ。書類の不備を指摘すると、「大丈夫、病院が全部確認してるから」と言い張る。こっちは法律職、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。
やれやれ、、、また面倒な案件に足を突っ込んでしまったらしい。
死因に疑問を抱く
診断書に書かれた死因は「老衰」だった。しかし、その女性は一年前にガンを患っていたという記録が残っていた。老衰で急に亡くなるのはおかしい、と感じた。
しかも、診断書に記載された死亡時刻も、病院の受付記録と30分以上食い違っていた。ここまでくると、偶然では済まされない。
死亡診断書の文字の違和感
「この“老衰”って字、明らかにテンプレですよね」と、サトウさんが呟いた。彼女は書類の癖を読み取るのが得意で、その直感はたいてい当たる。しかも、死亡時刻の前後におけるカルテの空白も気になった。
記録されていない時間。それは、何かを隠すにはちょうどいい空白だった。
サトウさんの冷静な分析
「おそらく最初の診断書が差し替えられていますね」とサトウさんが言った。彼女は近隣の診療所に勤めていた知人から、当該医師が最近離婚し、多額の慰謝料を抱えているという噂を掴んでいた。
金のために書き換えた。そう考えると、動機は見えてくる。
消えた原本と不審な再発行
市役所に保管されているはずの診断書の原本を確認すると、「原本は病院の責任で保管」と返された。普通は控えがあるはずなのに、それすら見当たらなかった。まるで最初から存在しなかったかのようだ。
この時点で、我々は確信した。「この診断書、本物じゃない」
市役所でのやり取り
役所の窓口では、担当職員が目を泳がせながら「再発行依頼は娘さん本人から出てます」と小声で言った。その再発行のタイミングは、まさに医師の離婚成立直後だった。
カネと証明書。その間に何かがある。
担当医師の妙な態度
病院に出向き、医師と面会したが、彼の目は落ち着かず、会話の最中もスマホをいじり続けていた。問い詰めると、「もう過ぎたことですから」と濁した。
その言い方が、逆にすべてを物語っていた。
真夜中の密会
夜、一本の非通知着信が鳴った。相手は、病院の元看護師を名乗る人物だった。「本当の死因、知りたくないですか?」そう言って、彼女は市内のファミレスに呼び出してきた。
正直、こういう展開はルパン三世みたいで少しワクワクしてしまった自分がいた。とはいえ、相手は真剣だった。
元看護師の告白
彼女の話によれば、実際の死因は「過剰投薬による急性中毒」だった。処方箋に記載されていない鎮静剤が投与され、患者はその日のうちに息を引き取ったという。
つまり、医療ミス、あるいは故意。
封筒に残されたメモ
看護師は封筒を差し出した。「これが証拠です」。そこには、廃棄されたはずのカルテの写しが入っていた。投与記録、タイムスタンプ、看護師の署名。決定的だった。
診断書は嘘を語り、カルテは真実を記録していた。
証拠は封印されていた
翌日、病院側に対して内容証明を送り、正式に調査を開始した。医師はすぐに休職届を提出し、姿をくらませたが、追い詰めるのは時間の問題だった。
すべての鍵は、原本の診断書がないこと。そして再発行の不自然な流れだった。
カルテ庫に残された記録
カルテ庫にアクセスした際、実は一部のバックアップデータが残っていた。それは「削除済み」のはずの電子カルテのコピー。そこには、投与ミスの記録がはっきりと残されていた。
情報とは、消してもどこかに痕跡が残るものなのだ。
登記と診断書の交錯点
診断書の改ざんは、相続を急がせるためだった。そして、その動機は娘が背負った借金の肩代わり。土地の名義変更を早く済ませ、担保に入れる必要があった。
「命」と「金」が交差する場所に、司法書士の役割は重くのしかかる。
偽りの死と本当の動機
すべての証拠がそろった。サトウさんの推理により、娘と医師の共犯が明るみに出た。最初の診断書では「中毒死」と書かれていたが、それでは保険金がおりない。
だから、娘は医師に金を払い、診断書を書き換えさせたのだ。
財産を巡る姉妹の対立
実はもう一人、異母姉がいた。彼女がこっそり異変に気づき、我々に相談を持ちかけていたのだ。姉妹間の確執と、親の愛を巡る悲しいドラマも垣間見えた。
だが、法律の世界では感情よりも証拠がすべてだ。
名義変更に潜む違和感
登記情報を確認すると、診断書が出されたその日にはすでに所有権移転の準備がされていた。つまり、死の前から全てが段取りされていたということだ。
計画性のある犯行。その痕跡を、我々は読み解いていった。
決め手となった一言
最終的に医師は「人の命より、金が必要だった」と口を割った。裁判所での自白だった。サトウさんは冷ややかに「本当に必要だったのは、あなたの誠意です」と言い放った。
その瞬間、傍聴席がざわついた。
サトウさんの鋭い指摘
彼女の観察眼は、サザエさんのカツオの悪知恵並みに鋭かった。小さな違和感から始まった推理は、現実の犯罪を暴いた。
「刑事さんより鋭いかもね」と冗談交じりに言うと、彼女は一言、「当然でしょ」と塩対応だった。
記憶の断片がつながる瞬間
その夜、事務所で一人、カルテと登記簿を眺めながら、シンドウは呟いた。「やれやれ、、、また背中押されたな」と。
彼の背後では、蛍光灯がチカチカと点滅していた。
静かに閉じる事件の幕
事件は終わった。娘は逮捕され、医師も免許を剥奪された。遺産は法定通りに分割され、異母姉の手にも渡った。
ただ、その過程で浮かび上がったのは、人間のエゴと弱さだった。
依頼者の涙と後悔
異母姉は、涙を流しながらこう言った。「本当は仲良くしたかった。でも、それができなかった」。その言葉は重く、事務所にしばらく沈黙が流れた。
誰もが少しだけ、切なさに包まれた。
サトウさんの冷たい一言
「じゃあ、次の登記の準備しますね」とサトウさん。いつも通りの口調だったが、その瞳の奥には、わずかな優しさが宿っていたように思えた。
夏の陽射しは、もう少しだけ優しくなっていた。