昼ごはんを食べる暇もない日々の現実
気づいたら14時を過ぎている。そんな日が珍しくなくなってきた。司法書士として独立してからというもの、朝の9時に「今日は余裕あるかも」と思ったとしても、気づけば昼飯も食わずに一日が過ぎていく。もちろん誰かに強制されてるわけじゃない。なのに、自分で自分を追い込んでる気がする。この事務所、俺ひとりと事務員ひとり。食事より優先すべき「小さな急ぎの案件」がいつも顔を出してくる。
忙しさに飲み込まれる午前中のルーティン
朝イチでメールを開くと、大抵は「今日中に」という文言が並ぶ。登記に関する急ぎの確認や、クライアントからの書類の修正依頼、銀行や税理士からの連絡も重なる。気づけばパソコンの前から一歩も動いていない。トイレに行くのすら忘れるほど集中して、気がつくと12時半。昼飯の存在なんてどこかに消えてしまっている。たまに「よし、外に出よう」と思っても、その一歩が重たい。
メール返信で午前が終わるという悲劇
「たった5件の返信」で午前中が潰れることがある。それぞれの案件に責任があるから、内容を確認して、添付資料を確認して、必要なら法務局のホームページまでチェックしてから返信する。事務的な内容だけど、1通ずつが重い。気づけば11時50分。「ああ、また今日も昼のチャンスを逃した」となる。メールひとつに神経を使いすぎるのかもしれない。でも、いい加減にはできない。
依頼人対応は「ちょっとだけ」が命取り
電話で「今いいですか?」と言われると、断れない性格だ。ちょっとだけと思って応対すると、話は30分、場合によっては1時間に及ぶ。相手が悪いわけじゃない。みんな不安を抱えて電話してくるのだから、誠意をもって応えるのが筋。だけど、その「ちょっとの誠意」が、自分の体を削っている気がする。電話を切ったときには、もう空腹も忘れて頭がフラついていた。
書類確認が昼休みを圧迫する構造
事務所に戻っても、「これだけは確認しておきたい」と思う書類の山。登記原因証明情報、印鑑証明書、委任状…ひとつでもミスがあれば取り返しがつかない。過去に一度、昼休憩中にチェックを怠って、後で法務局から電話が来たことがあった。それがトラウマになって、「昼より先に安全確認」となってしまった。こういう性格、司法書士向きなのか、不向きなのか。
法務局への確認電話が全てを狂わせる
午前中の締めに「これだけ法務局に聞いておこう」と電話をかけることがある。だが、この電話が地味に長い。担当者が席を外している、担当部署が違う、確認に時間がかかる…その間ずっと電話を握って待つことになる。たった一件の確認が30分を超えることもざらにある。その時間、外に出られない。食事のタイミングがどんどん遠ざかっていく。気づけば昼を通り越している。
空腹に気づいた時にはもう15時
ようやく一段落ついたと思って時計を見ると15時過ぎ。お腹が鳴ってようやく空腹に気づく。でも、今さら飯を食べるのもなんだか面倒くさい。そう思うようになったのは、いつからだろうか。体が「今さら入れるな」と言ってる気がして、結局食べないこともしばしば。夕方には血糖が下がって頭がぼーっとしてくる。無理はしてないつもりでも、体は正直だ。
腹が鳴っても誰も気づかない静寂の中で
事務所は静かだ。事務員さんは気を遣ってくれるけど、別に俺が何をしてようと何も言わない。だから腹が鳴っても気づかれない。ひとりで仕事をしているような感覚になる。お腹が鳴るたびに、「これが孤独ってやつか…」と思う。何とも言えない寂しさと、虚無感。それでもやるべき仕事は目の前にあるから、パソコンに向かい続ける。飯を抜いても、業務は待ってくれない。
コンビニに行く気力すらない午後の壁
「食べたい」と思っても、「外に出るのがだるい」が勝つ。特に夏や冬は顕著で、暑さ寒さに打ち勝つだけの気力が残っていない。コンビニまで徒歩3分。それでも遠い。いつからこんなに億劫になったのか。元野球部の体力はどこへ行った。食べるという当たり前の行動が、こんなにもハードルの高いものになっている自分に驚く。
一口チョコで凌ぐ悲しき自己管理
デスクの引き出しに非常用のチョコレートがある。最近、それが昼飯代わりになることが増えた。最初は「ちょっと甘いものが欲しいな」だったが、今や「これで今日は乗り切るか」になっている。正直、健康的ではない。でも、今はそれが精一杯。医者に怒られそうな食生活をしてる自覚はある。でも、昼を食べに行くより、仕事を進めてしまいたい気持ちが勝る。
食べなかった言い訳が習慣化していく
「今日はバタバタしてたから」「時間がなかった」「お客さん対応が立て込んでて」…そんな言い訳を繰り返すうちに、それが当たり前になってくる。怖いのは、自分がそれを疑わなくなることだ。体に無理をさせているのに、それを「まあいいか」で済ませてしまう。気づいたら、昼食抜きが習慣になっていた。自分が自分を追い詰めてることに気づくのは、いつもあとになってからだ。
それでも回すしかない事務所の歯車
こんな日々でも、事務所は止まらない。いや、止められない。依頼がある限り、応えなければならない。司法書士としての責任もあるし、生活もある。理想を言えば、しっかり休憩を取って、健康的な働き方をすべきなんだろう。でも、現実はなかなか理想通りにいかない。だからこそ、「なんとか今日を乗り切る」という感覚で動いている。
事務員ひとり体制の限界とありがたさ
事務員がいてくれて本当に助かっている。ただ、彼女もまた一人で多くの業務をこなしている。補助的な業務だけじゃなく、クライアント対応や電話応対もしてくれる。そのぶんこちらも「手を抜けない」というプレッシャーがある。支えてもらっているからこそ、自分が倒れちゃいけないという変な責任感に支配される。ありがたくて、でもちょっと苦しい。
「今日もありがとうございました」が沁みる瞬間
業務終了後、事務員が「今日もありがとうございました」と言ってくれる。その言葉に、正直救われている。昼飯を抜いた一日でも、そのひと言で「まあいいか」と思えることがある。言葉ひとつで、気持ちが変わるんだと実感する。だから、自分も誰かにそう言えるような存在でありたいと思う。
本当は俺の方が感謝したいのに言えない
「ありがとう」と言いたいのに、素直に言えない。恥ずかしいとか、年上だからとか、そんなくだらない理由が邪魔をする。だけど、本当は毎日感謝している。昼飯を食べられなかった日でも、事務員の支えがあったから乗り越えられた。そういう小さな支えを、大事にしたいとあらためて思う。
昼飯を後回しにした自分への反省
毎日が忙しいのは仕方ない。でも、昼飯くらいはちゃんと食べるべきだ。体調を崩してからでは遅い。結局、自分が倒れたら、事務所も回らなくなる。だからこそ、昼飯は業務の一部だと考えるべきなのかもしれない。「飯食うくらいで休むなよ」なんて言われたら腹も立つけど、自分にはちゃんとそう言ってあげたい。
健康を後回しにしても誰も得しない
健康を削ってまで仕事しても、誰も喜ばない。依頼人だって、元気な司法書士に担当してもらいたいはずだ。昼飯を食べない自分を、誇るようなことはしたくない。むしろ、ちゃんと食べてちゃんと休むことこそ、責任ある行動なんだと今は思えるようになってきた。
たまには自分を最優先してもいいのでは
ずっと他人を優先してきた。でも、たまには自分を最優先にしてもいいのではないか。昼飯を食べる。10分だけでも散歩する。それだけで気持ちが変わるかもしれない。元野球部だって、ベンチで休む時間はあった。人生だって、試合だけじゃない。休憩も含めて、仕事なんだ。