全部投げ出して逃げたい夜を超えるまで
一晩だけ全部投げ出したくなる夜がある
誰にも知られたくないけれど、正直に言えば、月に一度は「もう全部やめたい」と思う夜がある。パソコンの画面を見つめながら、依頼人の不動産登記の書類がうまく通らなかったことを思い出し、ため息をつく。司法書士という職業は、誰かの人生の節目を支える立場なのに、自分の心の整え方には誰も責任をとってくれない。ふとした瞬間、全部から降りたくなる。ひとりの時間が多いからこそ、そういう感情がゆっくりと、でも確実に心を占めてくる夜がある。
きっかけは些細なことだったりする
疲れて帰った夜、ポストに入っていた督促状。確認し忘れていた公共料金だった。ほんの数千円。でも、「またか」と思ってしまう。それだけで、一日頑張って働いた気力が一気に崩れる。まるで積み上げたドミノが一枚のカードで崩れ落ちるように。別に誰が悪いわけでもない。自分の管理不足だってわかっている。だけど、その瞬間に溜まっていた疲れや不安、寂しさが一気に噴き出して、「もういいか」と心の声がつぶやくのだ。
「もう無理」と思った瞬間は午前2時のメール
あれは、去年の冬のことだった。眠れずに布団の中でスマホをいじっていた午前2時、取引先の不動産業者からのメールが届いた。「至急対応を」と書かれたその文面に、心がキュッと縮こまった。ああ、また休めないなと思った。こちらもプロだ。できる限りの対応はする。でも、「この時間にそれ送るか?」という感情が湧く。そこで「もう無理だな」とぽつりと漏れた。目を閉じても、眠りは遠く、ただ心が折れた音だけが残っていた。
あの一通が、今週の限界を越えてしまった
その週は、すでに登記手続き3件、債務整理の相談2件を抱えていた。事務員にも任せられない案件ばかりで、ひとつひとつ対応しながら、気づけば昼食も取らずに夕方になっていた。そんな状態で受けた午前2時のメールは、まさに限界点だった。「これ以上は無理ですよ」と叫びたかったけど、叫ぶ相手すらいない。机に伏して数分間、ただ自分の息遣いだけを聞いていた。あれが、自分の「全部投げ出したい」がピークに達した瞬間だった。
司法書士という仕事は、孤独に慣れることが求められる
日々の仕事は、基本的にひとり。依頼人とのやりとりも、役所との交渉も、結局のところ最後は自分で判断して動く。事務員がいてくれるとはいえ、判断の責任は司法書士にしかない。「これでいいのかな」と迷った時に相談できる人が近くにいない孤独感は、少しずつ心を蝕んでくる。特に、地方で事務所を一人で回していると、同業者との距離も遠く、孤独は一層深まる。
誰にも見えない重責がある
司法書士の仕事は、外から見ると「書類仕事」に見えるかもしれない。でも、その書類1枚1枚に命が通っている。登記ミスひとつで、大事な取引が破綻する可能性もある。信頼を預かる重さは、数字で測れるものじゃない。それを分かってくれる人が周囲に少ないからこそ、ミスが許されないプレッシャーをずっと抱えている。しかも誰も「大丈夫?」とは言ってくれない。だから、頑張るしかないと思い込み、限界を超えてしまうことがあるのだ。
ミスしても基本は自分で何とかするしかない
一度、登記手続きで提出書類に不備があり、法務局から補正指示が入ったことがある。原因は完全にこちらの確認ミス。しかし、それを誰かに押し付けることもできず、すべて自分でフォローしなければならない。事務員に「またか」と思われている気がして、無駄に背筋が冷たくなる。謝罪のメール、再提出書類の準備、そして再発防止の自分会議…。こんな時こそ「もうやめたい」と思ってしまう。
「誰にも相談できない」状況が一番つらい
気軽に「ちょっと聞いてよ」と言える同業者が近くにいない。SNSで同じような悩みをつぶやく人は見かけるけれど、画面の向こうに声は届かない。司法書士という仕事は、知識と経験を求められる反面、感情をあまり出せない空気がある。「弱音を吐いたら終わり」という幻想をみんなが持っている。でも本当は、誰かとたわいもない話がしたいのだ。孤独がつらいというより、「自分のことを誰も知らない世界」がつらい。
事務員一人に支えられて生きている
うちの事務所には、パートの女性が一人いる。経理も電話応対も任せていて、正直な話、彼女がいなかったら今の事務所は成り立たない。とはいえ、自分の感情に余裕がないときは、ついきつい言い方になってしまうこともある。そんな自分を後から反省するのだけれど、その時にはもう遅い。「ああ、またやっちまったな…」と、ひとり机に向かって落ち込む日が続く。