今日もまたやる気のない朝が始まる
朝、目覚ましが鳴っても体はびくともしない。アラームを止めたあとも、次に何をすべきかがわからないまま布団にくるまる。かつては「やらねば」の気持ちだけで起き上がっていたけれど、今はその気力すら湧かない。時計の針が進む音だけが、静かに「遅刻ですよ」と告げてくる。誰にも責められていないのに、自分で自分を責める声が頭の中に響く。そんな毎日が続いている。
ベッドの中で現実逃避する自分
ベッドはいつの間にか、現実と戦わなくて済む最後の砦になってしまった。頭の中では「あの登記、そろそろ仕上げなきゃ」とか「今週末の相続相談、資料整理してないな」とか色々思い浮かぶのに、手も足も動かない。あれほど日焼けしていた元野球部の自分が、こんなにベッドと仲良くなる日が来るなんて思いもしなかった。けれど、今は布団のぬくもりだけが、唯一「頑張らなくてもいい」と言ってくれる存在なのだ。
起きても動かない 頭と身体の沈黙
ようやく布団を抜け出しても、そこからがまた長い。朝食を作る気力もなく、冷蔵庫を開けたまま固まっていることが増えた。テレビの天気予報が「今日は晴れです」と告げても、こちらの心はずっと曇り空。司法書士という仕事は、基本的に自分で自分を動かさないといけないから、やる気が壊れたままだと本当に厄介だ。頭のエンジンがかからないまま、事務所へ向かう準備だけが、惰性で進んでいく。
事務所のドアを開けた瞬間にため息
事務所の鍵を差し込むとき、自然と深いため息が出るようになった。今日もここで一日が始まるのか、という重たい感情。開業当初は「ここが自分の城だ」と思っていたはずなのに、今は城というより砦、いや、牢屋に近い。仕事があるのはありがたいことだ。でもありがたさだけじゃ、心は動かない。机の上の書類の山を見ると、「ああ、今日もひとつも減らなさそうだ」と、やる前から気持ちが折れてしまう。
山積みの書類 それでも誰も助けてはくれない
業務のほとんどが自分の肩にのしかかる。登記のチェック、戸籍の読み込み、電話対応、果ては掃除まで。ひとり事務所とはそういうものだと割り切っていたつもりだったが、最近はその「割り切り」すら保てなくなってきた。電話が鳴るたび、書類の隙間から新たな案件が現れるたび、心の中の「もう無理だ」が増えていく。助けてほしい、けど誰に頼めばいいかもわからない。そんな無力感に包まれる。
事務員はひとり でも頼りすぎるのも申し訳ない
唯一の事務員さんは真面目でよく働いてくれる。ただ、彼女にすべてを投げるわけにはいかないという思いもある。体調が悪そうな日も、こっちが「大丈夫?」と声をかける立場でありたい。だからこそ、自分がどんなにきつくても、やる気が湧かなくても、結局また一人で抱えてしまう。頼りたくても頼れない。そんなジレンマが、さらにやる気スイッチを壊したままにしてしまうのだ。
モチベーションという幻を追いかけた日々
司法書士になりたての頃は、何もかもが新鮮で「この仕事で人の役に立てる」と胸を張れていた。あの頃は、たとえ寝不足でも、書類の山を見ても、どこか高揚感があったように思う。しかしいつしかそのモチベーションは薄れ、今ではただの幻だったのかもしれないと思うことすらある。努力が実を結ぶ瞬間も確かにある。でもその「実」が小さすぎて、見落としてしまうことの方が多い。
新人の頃にあった謎のやる気 今はどこへ
振り返ってみると、新人の頃のやる気って「よくわからないけど頑張ってた」みたいなものだった。知識がなくても、根拠もなく「何とかなる」と思えていた。それが経験を重ねるほど、逆に「何が難しいのか」が見えてきて、慎重になり、怖くなり、やる気が消えていった気がする。知識と引き換えに、無鉄砲さを失った。その代償が、今のやる気のなさかもしれない。
仕事に慣れるほどに「何も感じない」が増えていく
ある日、依頼人から感謝された。でもその言葉を聞いても、心が何も動かなかった。嬉しいはずなのに、どこか他人事のように感じてしまった。「自分、疲れてるな」とそのとき初めて気づいた。慣れすぎて感情が動かなくなったのか、それとも防衛反応なのか。感謝が響かないというのは、もはや危険信号だと思った。
依頼人の笑顔だけが支えだった時期もある
開業して間もない頃、依頼人の「本当に助かりました」という言葉に泣きそうになったことがある。あの頃は、それだけで「明日も頑張ろう」と思えた。笑顔や感謝が、ちゃんと心の栄養になっていた。今、その栄養が足りていないことを自覚している。きっと、栄養不足なんだ。心がカサカサになっている自分に、誰も気づいてくれないし、自分自身すら気づいていなかったのかもしれない。
他人のやる気スイッチと比べて落ち込む
他の司法書士がSNSで「1日で5件終わらせた」「今日は3件の決済」などと投稿しているのを見ると、自分がどれだけ進んでいないかを突きつけられる。比べても意味がないとわかっていても、心が勝手に反応する。「なんで自分はこんなにダメなんだろう」と、勝手に自己嫌悪のスイッチが入る。そしてさらにやる気は下がっていく。負のループから抜け出すのがとても難しい。
SNSで活躍報告を見て心が折れそうになる
とある休日、少し気分転換にSNSを覗いてしまったのが間違いだった。「今日も○○登記完了!」「顧問契約追加されました!」といった投稿に心がザワザワする。他人の成功がうらやましいのではなく、自分にはそんな投稿すらできる気力がないことが辛いのだ。見なければいいのに、つい見てしまう。そしてまた落ち込む。やる気が壊れているときに、情報は刺激ではなく毒になる。
同業者の成功話は励ましよりもプレッシャー
本来なら「よし、自分も頑張ろう」と思えるはずの話。だがやる気がないときは、それが逆効果になる。がんばってる人を見ると、「自分はなんて怠けているんだ」と責めてしまう。そして責めれば責めるほど動けなくなる。励ましは、心が元気なときでないと届かない。だから今は、自分を責めず、静かに心を休ませるべきなのかもしれない。
誰も見てない場所で静かに潰れていく自分
司法書士は一人で完結できてしまう仕事だから、実は誰にも見られていない。頑張ってるところも、潰れていく過程も、誰も気づかない。声を上げなければ、ずっと「普通の先生」でいられてしまう。でも本当は、声を上げたい。「しんどいです」と。誰かに聞いてほしい。そんな気持ちだけが、胸の中に残り続けている。
それでも明日も事務所は開ける
どんなにやる気がなくても、明日は来る。依頼も来る。電話も鳴る。書類も溜まる。それでもドアを開けて、コーヒーを淹れて、パソコンを立ち上げる。小さなルーティンの積み重ねが、何とか自分を支えてくれている。「スイッチが壊れてても、生きていくしかない」。最近はそう思うことが増えた。やる気があろうがなかろうが、私は今日も司法書士としてここにいる。
やる気が戻らなくても やるしかないから
本音を言えば、やる気が戻ってきたらどんなに楽かと思う。でも、そんな日はいつになるかわからない。だからせめて、「やる気がなくてもやれる方法」を考える。完璧じゃなくていい。途中で休んでもいい。少しだけ動けたら、それでOK。そうやって、自分を責めずに過ごす日が少しずつ増えてきた。きっとそれが、壊れたスイッチの代わりになる何かだと信じている。
誰かのためではなく 自分のために続けていく
昔は「人の役に立てるから頑張れる」と思っていた。でも今は違う。人のためより、自分の心を壊さないために働く。それでも結果的に、誰かの助けになっていれば十分じゃないかと思うようになった。他人のスイッチと比べる必要はない。自分なりのペースで、焦らず、淡々と。壊れたままでも、生きていけると、自分に言い聞かせて今日も事務所の灯りをつける。