返答を待つ時間が一番つらい日

返答を待つ時間が一番つらい日

仕事が止まるあの瞬間にただただ時間が過ぎる

司法書士の仕事って、一見地味に見えるかもしれないけれど、実際にはタイミングが命なんですよね。こっちは依頼を受けて書類も整えて、すぐにでも処理を進めたい。けれど、関係者の一言の返事待ちで、すべてがピタリと止まってしまうことがある。時計の針だけがやけに大きな音を立てて回ってる気がするのに、何ひとつ進まない。そんな時間が、正直一番つらいです。

電話一本の返答待ちで全作業がストップする現実

例えば、不動産売買の登記。金融機関からの残金決済確認がこないと、こちらは何もできません。電話一本で「終わりましたよ」と言ってもらえれば、次の処理にすぐ進めるのに、その一本が来ない。机に広げた書類を眺めては、また閉じて、事務員と顔を見合わせて、無言の時間が流れる。まるで、マウンド上でキャッチャーのサインが一生来ないような感覚です。

進まない登記 それでも責任はこっちにくる

しかもやっかいなのは、止まっている原因がこちらにないのに、クライアントからの「まだですか?」の連絡はこっちに来るってこと。登記が終わらないのは金融機関からの確認が遅れているせい、ってわかってもらえない。「先生、まだですか?」と聞かれるたびに、胃がきゅーっとなる。「いや、こっちだって今すぐ出したいんですよ」って本音は言えないし、飲み込むしかない。

「今確認中です」の破壊力は想像以上

電話して「まだ確認中です」と言われたときの絶望感といったら。たったそれだけの返事で、こっちの数時間が簡単に吹き飛ぶ。わかってる、確認に時間がかかるのは仕方ない。でも、こちらとしては全力でボールを投げたのに、キャッチャーがどこか遠くに行ってしまったような、そんな感じ。返事がない時間って、やる気すら吸い取られていくようです。

相手の都合が全てを支配するという理不尽さ

司法書士という仕事は、独立しているようでいて、実は周囲に振り回されっぱなしなんですよね。相手の返答一つで、こちらの段取りも仕事の進行もすべて変わってしまう。どれだけ事前に計画しても、返答がなければ計画倒れ。こちらの都合なんて関係ない。それが日常です。

こっちの段取りなんてお構いなし

こちらは朝から予定表をにらんで、何時に誰と何をして、その後どの書類を仕上げるかときっちり段取りを組んでいる。でも、実際にはその予定は一瞬で崩れる。銀行からの確認がこない、相手方の書類が届かない、役所から電話がかかってこない…。それぞれが「すみません、今日ちょっと忙しくて…」の一言で、僕の一日が瓦解する。積み上げたドミノを他人のくしゃみで倒される感じです。

役所対応も金融機関もやっぱり強い

これまた理不尽なのが、役所や金融機関の対応って、どれだけ遅れても許される風潮があること。こちらが一日遅れれば、すぐにクレームがくるのに、相手が三日放置しても「お待たせしました」の一言で済まされる。こっちはその三日間、胃をキリキリさせながら、何も手につかずに待ってたのに。結局、「待つ」ことが仕事の一部になってしまってる現実が、何よりもつらいんです。

黙って待つ時間が一番精神を削る

事務所の中にいるとき、一番静かになるのは「返事待ち」のとき。パソコンを打つ音も消え、書類のめくる音すら聞こえないほどの沈黙が漂う。その時間、目に見えない不安や焦りが、じわじわと心をむしばんでいく。何もしてないのに、心はすっかり疲れてしまう。動けないって、本当にしんどい。

何もできないという感覚のストレス

たとえば、前に経験したことですが、相続登記で関係者の一人が書類を返送してこなかったことがあって。何度か催促しても「近日中に出します」と言われ続け、結局二週間。二週間、他の手続きも進められず、他の予定も組み直しになった。まさに八方塞がり。その間のストレスといったら、仕事ができないというより「何もしてはいけない」ような圧力を感じて、本当にしんどかったです。

「返ってこない前提」で動くしかない

最近はもう、「返事は予定より遅れる」と前提で動くようになりました。そうしないとこっちの精神がもたない。返ってこない前提で、他の仕事を差し込んでおく、昼食を早めに済ませておく、など小さな対策でなんとか自分を保っている。でもそれって、結局は期待できない世の中に合わせて妥協しているだけなのかもしれません。

事務員の「まだですかね…」が胸に刺さる

黙ってても気まずい。だからこそ事務員がポツリと「まだですかね…」とつぶやく。たったそれだけの言葉が、胸にグサッとくるんですよね。「こっちだって待ってんだよ…」って思っても、言えない。責任者として冷静にいなきゃと思うほど、言葉が重くのしかかる。そういう時、自分の無力さがより鮮明になるのです。

無駄な時間の使い方に自己嫌悪する

何かを待っている時間に、スマホをいじったり、意味もなくコピー機の前をうろうろしたり。そんな自分をふと俯瞰したとき、「俺は今日、何をしてるんだろう」と自己嫌悪に陥る。別に悪いことをしているわけじゃない。でも、何かしていないといけないような焦りと、それでも何もできない現実に、自己否定のスイッチが入ってしまう。

コーヒーを飲みながら焦るだけの時間

コーヒーを淹れる時間って、リラックスするためにあるはずなのに、返事待ちのときはまったく違う意味になる。カップを手に持ちながら、「なんでこないんだ」とイライラしてしまう。そのたびに、味なんて覚えてないコーヒーを飲み干して、自分の無力さを噛みしめる。元野球部だった頃の、自分の思い通りに動けた感覚が遠く感じます。

「俺何やってんだろ」と思う瞬間

最終的にたどり着くのは、この一言。「俺、何やってんだろう」。他人の返事をただ待つだけの存在になっている気がして、自分が存在する意味すら見失いそうになる。誰かのタイミングに支配される人生って、こんなにもしんどいものかと。でも、それでもやっぱり今日もまた、電話の前でじっとしてるんです。返ってくるかもしれないその一言を、信じて。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。