補正通知が来るたびにため息が出る
朝イチでメールを開くと、法務局からの補正通知。「またか……」と、ため息が漏れる。完璧に仕上げたつもりの申請が、なぜかまた突き返される。自分の能力に自信が持てなくなる瞬間だ。補正内容が軽微なものであっても、「やってしまった感」は重い。補正通知が届くたびに、自分の不甲斐なさと向き合わされる。それでも業務は待ってくれず、次の案件に取りかかる。この繰り返しの中で、少しずつ強くなっていくのかもしれないけれど、今のところはまだため息しか出ない。
完璧に仕上げたつもりでも届く現実
この前も、権利関係の複雑な相続登記を一週間かけて整理して、添付書類も抜けなく整えたつもりだった。でも補正理由は「登記原因証明情報の内容が不明確」。それを読んだ瞬間、頭の中が真っ白になった。「何が不明確なんだ……?」としばらく申請書を見つめていた。完璧だと思っていたからこそ、ショックが大きい。結局、登記官が読み取れない表現だったというだけの話だったのだが、こっちは毎回、心をすり減らしている。
登記官のクセを読み切れない歯がゆさ
法務局ごとに登記官の「クセ」があるのは業界では知られた話だが、それがまた厄介だ。ある局ではスルーされた文言が、別の局では「補正してください」と返される。まるで先生によって丸をもらえる答案が違うような感覚。経験を積めば見抜けるのかもしれないが、45歳を迎えた今もまだ読み違える。補正理由を読んで「またあの人か…」と呟く自分がいる。正直、こういうときは、やるせなさと共に独り身の寂しさが身に染みる。
補正理由に学ぶ、次へのヒント
毎回の補正はつらい。でも、冷静になって見返すと、「なるほど、ここが弱かったか」と気づくこともある。補正通知は、ある意味でプロからのフィードバック。素直に受け取るには時間がかかるが、学びに変えれば次回は防げる。そんな前向きな変換をできるようになったのは、年齢と共に「打たれ強くなった」おかげかもしれない。補正が来ても、「今日はひとつ覚えた」と自分に言い聞かせるようになった。
ただのダメ出しじゃない、成長のタネ
かつては補正通知が来るたびに、胃が痛くなった。でも、あるとき先輩司法書士が言った。「補正はプロの授業料だよ。タダで教えてもらってると思えばいい」。その言葉を聞いて、少し肩の力が抜けた。自分の不完全さを責めるばかりじゃ、何も残らない。補正の理由を丁寧に読み解いて、なぜその表現が誤解を招いたか考えるようにすると、ちょっとずつ引っかかるポイントが見えるようになってきた。
「記載不備」と書かれた先にある学び
「記載不備」なんて曖昧な言葉、最初は腹が立った。でも詳細を読み込めば、具体的に何が足りなかったのかは見えてくる。たとえば、登記原因証明書に「売買契約書に基づく」と記載したが、契約日が明記されていなかった。そんな小さな見落としが、補正になる。それを機に、契約日や文書の一貫性により一層注意を払うようになった。細かいようでいて、登記はその細部に命が宿る仕事なのだ。
登記官の言い回しにも慣れてくる不思議
最初は登記官からの補正理由の文章に戸惑ってばかりだった。回りくどい言い方に、「結局何が言いたいんだ?」とイライラしたものだ。でも、何度もやりとりするうちに、なんとなくその“言語”に慣れてきた。ある意味、翻訳作業のようなもので、「この言い回しは、あの意図だな」と読み取れるようになってくる。慣れって怖いけど、頼りにもなる。今日もまた一通、無事に翻訳完了。
経験年数と補正の数は比例しない
年数を重ねれば補正は減る――そんな期待を持っていたが、現実は甘くなかった。20代の頃より補正通知のメールは減ったが、それでも月に数件は来る。ベテランになっても油断するとすぐやられる。それはつまり、どれだけやっても「完璧」にはならないということ。補正を避けるより、どう付き合うかを考える方が健全だと、最近ようやく思えるようになった。
ベテランでもミスる、だから恥じゃない
ある日、地元の有名な司法書士が、補正をもらっていたことを耳にした。正直、ホッとした。あの人でもやらかすのかと。もちろん本人は悔しかっただろうけど、他人のミスは自分を安心させる薬にもなる。年数を積んでもミスはある。だから恥じるよりも、受け止めてまた次に活かすほうがいい。そう思えるようになってから、少しだけ気が楽になった。
「あの先生でも補正食らってる」の安心感
補正通知を受けた日は気が滅入る。でも、先日事務員さんと「この前、○○先生の登記でも補正来てたらしいよ」と話していたら、ふたりで笑ってしまった。「あの人でもやるんだね〜」と。補正は誰にでもある。自分だけじゃない。それを共有できる人がいると、妙な安心感に包まれる。「補正」って言葉、もはや業界内の共感ワードなんじゃないかと思う。
新人時代の方が、むしろ慎重だったかも
思い返せば、新人の頃のほうが何でも疑ってかかっていた。「これでいいのか?」と調べに調べて申請していた。その分時間はかかったけれど、補正は少なかった気がする。慣れてきた今の方が、「これくらいなら大丈夫だろ」と気を抜いてしまうのかもしれない。初心忘るべからずとは、よく言ったものだ。
補正理由をストックしておく意味
補正理由をただ読んで終わりにするのはもったいない。自分の「失敗の履歴」として、記録しておくことで後に活きる。Excelでもメモ帳でもいい。補正理由とその対応を書き溜めておくだけで、似た案件のときに見返せる宝になる。補正が「恥」から「財産」へと変わる瞬間だ。
未来の自分を救う知識の蓄積
最近は、事務員さんと一緒に補正理由ノートを作っている。「これは登記官の定番パターンだね」とか、「この文言、次回はこうしよう」と話しながらまとめる。忙しいときほど、過去のメモが役立つ。あのときの小さな気づきが、未来の自分を何度も救ってくれているのだ。補正をもらうことは恥ではない。記録しないことこそ、もったいない。
似た案件に遭遇したときの心の支え
この前も、かつて補正を受けた共有者の持分移転案件に再び出くわした。以前は補正を3回も受けたが、記録していたおかげで今回は一発で通った。「あれ、俺、やればできるじゃん」と思えた瞬間だった。経験は記憶に残らない。でも記録に残しておけば、いつかきっと役立つ。自分の失敗に助けられるって、不思議な気分だ。
「あのときの補正、また来たわ」ってやつ
何年かぶりに、同じような文言で補正が来た。「あ、これ、前にも食らったやつだ」とすぐ思い出した。前はオロオロしていたけれど、今回は違う。すぐに過去のノートを見て対応したら、法務局から「確認しました、完了です」とあっさり返ってきた。少しだけ、自分を褒めてもいい気がした。今日もまたひとつ、覚えた補正理由。それで十分。