なぜこんなことになったのか国際相続で起きた悲劇の序章
「こんなことで揉めるとは…」と、心の中で何度つぶやいたか分かりません。依頼されたのは海外に資産を持つ方の相続案件。司法書士としての経験はあっても、外国語の文書が絡むと急に地盤が不安定になります。今回は、英語の遺言書と不動産の登記関連資料があり、専門の翻訳業者に依頼したのですが、結果的にはそれが地雷でした。まさか、あの一語が、相続人たちの関係を完全に壊す引き金になるとは思いませんでした。
見慣れぬ外国語の書類にただただ不安
依頼を受けたとき、正直「嫌な予感」はしていました。英語の文書に加え、フランス語の証明書まであって、内容が複雑すぎる。事務員と顔を見合わせて「これ、無理だよな」とボヤいた記憶があります。実務では、翻訳者に頼ることが多いですが、司法書士が内容を最終的に確認しないといけない。だけど、どれだけ注意しても、母国語じゃないものを読むストレスって、思っている以上に大きいんですよね。
専門家に任せたのに心はざわざわ
翻訳業者には法務文書の実績があるということで、そこに頼みました。でも、依頼した後も何となく不安で、夜中に読み返したり、Google翻訳をこっそり使ってみたりしてました。翻訳された文書を読んでも、どうも言い回しがしっくりこない。でもそれを指摘するだけの語学力はないし、「自分の気のせいだ」と無理やり納得して処理を進めてしまったんです。今思えば、ここで立ち止まるべきだった。
信じてたのにまさかの誤訳で全崩壊
問題の一語、「shall」が「may」に翻訳されていた。それが原因で、相続人の一人が「自分には拒否権がある」と主張し出したんです。他の相続人は「いや義務だろ」と反論。その場で口論が始まり、電話口で怒鳴り合い。こっちは顔面蒼白。事務員も半泣き。完全に修羅場でした。結局、翻訳会社も非を認めず、火に油。最終的に弁護士を入れて収束させるしかなかったんですが、司法書士としての立場はぐらつきました。
一語の違いがもたらす破壊力司法書士としての無力感
日々の業務で感じるのは、「完璧なんて無理」という現実。でも、依頼人にとってはミスは許されない。あのときほど、自分が無力だと感じた瞬間はありません。自分は法律の専門家のはずなのに、言語の壁に阻まれて、誰も救えなかった。野球部時代に味わった「完敗」の感覚が、久々に胸に蘇りました。あの試合もミスからの逆転負けだったな…。
翻訳された「義務」が「権利」になっていた衝撃
「shall」という単語が「may」と訳されただけ。でも、それで意味は真逆になる。義務と権利。相続の現場でこれがどれだけ大きな意味を持つかは、司法書士なら誰でもわかる。にもかかわらず、気づけなかった自分の甘さ。恥ずかしさと申し訳なさで、しばらくは胃薬が手放せませんでした。書類はただの紙じゃない、感情と権利が詰まっているんだと、改めて痛感しました。
依頼人の顔色が変わった瞬間を今でも思い出す
「なんでこうなるんですか?」と、目の前で言われたあの一言。依頼人の顔がみるみる険しくなり、空気がピリつく。こちらも冷や汗をかきながら、「」と頭を下げるしかなかった。信頼って、本当に一瞬で崩れる。そしてそれを取り戻すのが、どれだけ難しいか。その日から、そのご家族とのやり取りはぎくしゃくし、最終的に「他の専門家に変えます」と告げられました。
冷や汗と胃痛と自己嫌悪のトリプルパンチ
夜、一人事務所に残って反省会。反省というより自己嫌悪の時間。机に突っ伏して、なんで司法書士になったんだろうとまで考えました。そんな時に限って、冷蔵庫の缶ビールも切れてる。コンビニ行く気力もない。帰宅しても寝つけず、スマホで「司法書士 向いてない」と検索してる自分がいました。
事務所内も修羅場一人事務員とのギクシャク
今回の件で、事務所内の空気も悪くなりました。事務員も「翻訳チェックって私の仕事じゃないですよね?」とチクリ。まあ、正論です。だけど、一人で全部を背負ってると、つい誰かに八つ当たりしたくなる。反省してます。人手が足りないって、本当に心も荒れるんですよ。
翻訳会社に怒る前にまず謝罪の嵐
翻訳会社に苦情を入れる前に、まずは依頼人と相続人たちに謝罪。電話とメールで謝って、文書も作って、次は翻訳会社へ交渉。その間、通常業務もある。もう何がなんだか分からなくなってきて、冷静な判断ができなくなりかけました。怒って当然の場面でも、「とりあえず謝る」が習慣になってしまってるのは、この仕事の職業病かもしれません。
やってられないと思ってもやるしかない現実
辞めたいな、と思いました。本気で。でも、事務員に「辞めたら次どうするんですか?」と聞かれて返せなかった。そうなんです。辞めた後のプランがない。だからやめられない。この年で新しい道を探すのも面倒。結局、ぐちぐち言いながらも続けてしまう。気づけばまた机に向かってる。自分が一番分からない生き物です。
それでもやっぱり辞められない理由がある
大変だし、報われないし、モテないし、休めない。でも、それでも辞められないのは、自分なりにこの仕事に誇りがあるからだと思います。誰かの役に立てた時の喜び。依頼人の「助かりました」の一言。それがなかったら、とっくにやめてます。
誰かの役に立てるときもあるから
今回の失敗のあと、別件で感謝の手紙をいただきました。「先生のおかげで相続がスムーズにいきました」と。たったそれだけで、「ああ、もうちょっと頑張るか」と思えたんです。そういう瞬間がたまにあるから、続けていられるんだと思います。
元野球部のしぶとさで今日も生き延びる
野球部時代、何度もノックで心折れかけました。でも、最後には試合に出られた。今も同じです。打たれても、取られても、泥まみれでも、立ち上がるしかない。誰かが見てなくても、ちゃんとアウトは取らないといけない。それが、司法書士の矜持だと思ってます。