義母のことは信用できないと言われた午後に思ったこと

義母のことは信用できないと言われた午後に思ったこと

仕事の合間に飛び込んできたひと言が重たすぎた

その日も、変わらず書類に囲まれていた。相続登記の案件を3件抱えていて、午前中は法務局とのやりとりに追われ、昼休みすらきちんと取れていなかった。そんな昼下がり、スマホが震えた。事務所の古い机の上に置いたままにしていた端末を手に取ると、「義母のことは信用できない」という一文がLINEで届いていた。思わず、手が止まり、そして胸の奥が重くなった。まさか、そんなことを言い出すとは。いや、どこかで、そうなる気はしていたのかもしれない。

義母への不信は突然だった

彼女とは交際してそこそこ長く、結婚の話も少しだけ出始めていた。それだけに、このタイミングで「信用できない」と言われたことが意外だった。だが、言われてみれば、義母の発言に違和感を覚えたことは何度かあった。口調がきつく、こちらを試すような言葉を放つ人だった。例えば、「あなたの職業って安定してるの?」と聞かれた時、なんと返せば正解だったのか今でもわからない。信用というのは、時間をかけて築くものであると同時に、壊れるときは一瞬なのだ。

昼食をかき込む5分前に届いたLINE

実を言うと、その日のお昼はコンビニのおにぎり2つで済ませる予定だった。いつも通り、事務員さんには「休んできていいよ」と言って、自分は書類チェックの続き。そんな最中にあのLINEが来たものだから、食欲が一気に失せてしまった。おにぎりを握る手が止まり、机の上に置かれたそのメッセージだけが、やけに生々しく光っていた。「信用できない」という言葉は、仕事ではよく見るけれど、私生活に出てくると、破壊力が桁違いだ。

冷静に聞いてるふりをしながら心は別の場所

午後の面談で、相続放棄の相談に来た依頼者の話を聞いているふりをしながら、正直ほとんど頭に入ってこなかった。録音とメモに助けられていたが、気持ちは完全に別の場所にあった。もし自分が結婚したとして、家庭の中で「信用できない」と思われるようなことが起きたら、耐えられるだろうか。いや、そもそも信頼を築ける自信があるのか。そんな自問自答を心の中で何度も繰り返していた。

人の問題と書類の山に埋もれて

司法書士という職業は、法律と書類の間に立つ仕事だ。だが、本質的には人と人との問題の間に立たされることも多い。特に相続や離婚の登記では、見えない感情がうごめいている。表面上はきちんと整った戸籍や書類でも、そこに書かれていない怒り、悲しみ、不安が渦巻いている。今回の件も、まさにその延長線上にあるように感じた。感情の揺れが、静かに、しかし確実に波紋を広げていくのだ。

事務所の電話が鳴る音がいつもより響いた

感情が乱れているときほど、日常の音が鋭く刺さる。古びた事務所の電話が鳴る音すらも、なぜか苛立ちを誘った。受話器を取る手もどこかぎこちなく、声に力が入らなかった。依頼者には気づかれないように装ったが、自分でも分かるくらい気持ちが入っていなかった。こんな日は、黙って過ぎ去ってくれるのを待つしかない。だが、司法書士の業務は待ってくれない。書類はたまる。電話は鳴る。

登記より複雑な家族関係の話

登記簿には所有者や権利関係が明確に記されるが、人間関係にはそんな「一目でわかるもの」がない。義母と彼女、そして私の間に流れている微妙な空気は、法務局で証明してくれるものではないし、修正申請もできない。書き直したいと思っても、現実はそう簡単にはいかない。法務の仕事を通じて、むしろ「人の関係は不安定で脆いものだ」と痛感させられることが多い。

書類は片付いても感情は処理できない

夕方になり、予定していた書類の整理も一通り終えた。タスクとしてはこなしている。だが、心の中のもやもやはまったく整理されないままだった。仕事の書類には「完了」があるが、感情には「完了」がない。むしろ、処理しきれなかった感情ほど、静かに残ってしまうものだと、今日ほど痛感した日はない。

司法書士としての整理能力の限界

登記簿のチェックや必要書類の取り寄せは得意でも、自分の感情の整頓はどうにも苦手だ。義母との関係性も、彼女の気持ちも、これからどうなるかも不透明。仕事では「見える化」が求められるが、プライベートではそれが通用しない。整理整頓が得意な人間だと思っていたが、それは机の上だけの話だったのだと、自分を笑いたくなった。

戸籍謄本より見えない心の履歴書

戸籍謄本を見れば、誰と誰がどんな関係だったかは一目瞭然だ。だが、気持ちの移り変わりや相手の本音は、どこにも記録されていない。彼女の「信用できない」という言葉が出るまでに、きっと何かがあったはずだ。でも、それは書類には残っていないし、こちらも気づけなかった。法的に正しいことと、感情的に納得できることは、別の次元なのだ。

役所は正しい 書類も正しい でも人は

登記官は正しいことを言う。書類もミスなく作れば通る。でも、人はそんなに単純じゃない。信じていた相手が突然距離を置いてきたり、思いがけない言葉で突き放されたりする。正解がわからない。自分のどこが悪かったのか、どこからボタンを掛け違えたのかすら、今は分からない。司法書士として、正しさばかりを追いすぎたのかもしれない。

元野球部が法務局の帰り道で考えたこと

車を運転しながら、ふと高校時代の野球部のことを思い出した。無心で白球を追いかけていたあの頃と比べると、今は随分と「考えること」が増えた。たった一言のメッセージに、ここまで気持ちを乱されるとは。あの頃のように、思い切り汗をかけば、少しはすっきりするのかもしれない。だが今は、心の汗が止まらない。

キャッチボールの相手はいない

野球をやっていた頃は、誰かと向き合って投げ合う時間があった。いまの私は、誰にボールを投げればいいのか分からない。仕事では一方通行の書類ばかり。プライベートでも、本音を投げられる相手がいない。独り身の気楽さが、今日は妙にこたえる。キャッチボールって、実はすごく贅沢な時間だったんだなと、今さらながら思う。

たまには全部空振りでもいいと思いたい

全部うまくいかなくてもいい。すべてに正解を出そうとするから苦しくなる。書類の完璧さを求めるのは仕事だけでいい。プライベートくらいは、空振りしても責められない世界であってほしい。自分が「信用されなかった」としても、それで全否定されるわけではないのだと、そう思えるようになりたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。